昨日の夜は、これで4回めとなる「槐多朗読」だった。
明大前キッドアイラック・ホール地下のブックカフェ〈槐多〉にて。
定員15名と少人数制なので、告知がなかなか難しい。
積極的にお客さんを集めすぎると窮屈な思いをさせてしまうし(1回めと2回めはそうだった)、かといってまったく宣伝しないとだれも来てくれない。
今回はそこそこ宣伝して、用心深く「完全予約制」をうたったので、昨日の時点で13名の方の予約があった。
ところが、あけてみたら、そのうちの6名の方がおいでにならない。
顔ぶれをみると、まあそれなりに納得できるラインナップではあった。
で、7名プラスこちらの記帳漏れのおひとりを加えて、お客さまは8名。
お店のスタッフ2名、そして朗読の野々宮と演奏の私、というこじんまりした布陣。
これはこれでよい感じではあった。
私は早めの午後6時すぎに槐多入りして、機材のセッティング。
今回は最軽量・最小サイズの機材にしてみた。
ひとりでかついでいけるし、万が一電源が取れなくても2時間くらいなら演奏できる。
もちろん、槐多には電源があるので、ふんだんに使わせてもらう。
午後7時にげろきょ仲間のまなさんが早めに来てくれて、客入りやらチラシ配りなどを手伝ってくれた。
助かる。
7時半ごろからお客さんが来てくれて、定時には(上記の欠席客はのぞいて)そろったので、始めることができた。
最初に少し挨拶と、「沈黙の朗読」について説明させてもらってから、最初の演目。太宰治の「くろんぼう」という作品。
15分くらいかかっただろうか。
私は例によって即興演奏で対応。
私の今回の機材のポイントは、演奏用キーボードが2オクターブしかないミニ鍵盤だということだ。
これで果たしてまともに演奏ができるのかどうかという心配があったが、そして実際に演奏は大変不便だったが、結論としては、
「やってやれないことはない」
不便さゆえに、あれこれと変則的な技を思いついたり、演奏の不自由さをカバーするために音色で勝負してみたりと、大変忙しかったのである。
聴いていた人にはわからなかっただろうけど。
それにしても、かつてトラック一杯分の機材をステージにあげて演奏していたフュージョングループ全盛時代に比べたら、それとほぼ同等の音源と機材がカフェのカウンターの一番端っこにちょこんと乗ってしまうのだ。
すごい時代になった。
ちょっとインターバルを置いて、また少し話をさせてもらったあと、後半へ。
今度は村山槐多の詩を2編。
そして私の「繭世界」という作品。
「繭世界」は本来、ふたりで読むために書かれているテキストだが、それを野々宮がひとりで読む。
しかもありえない方法で。
オーディエンスの頭と身体を揺さぶり、ストーリーと思考を手放してもらい、「いまここ」と「過去」と「未来」を行ったり来たりしてもらうのがねらいだ。
野々宮卯妙はじつに多彩な読みと身体使いで、表現の一番てっぺんのところを突いてくる。
私も不自由なセットながら、いろいろと音を繰りだしてみる。
意外なことに、iPhoneがいい仕事してくれた。
Animoogというアプリが大変役にたった。
そして朗読会は沈黙へと進んでいった。
終わってからは言語活動も思考もない、味わい深い、濃厚な沈黙。
店のなかの沈黙を核として、周辺の物音や人の声、足音が音楽のように流れこんでくる。
こういうライブは、終わってからみなさんがろくなことをいえず、感想を言葉にできず、呆然としてしまうのが、私としては成功と思っている。
そういう意味でも、昨日の朗読会はこれまでにないクオリティの表現ができたのではないかと感じた。
もちろん、おいでいただいた皆さんとともに作りあげ、共有できた表現空間であり、濃密な時間であった。
みなさんには感謝。
次回「槐多朗読」の開催日が決まった。
9月17日(月)の夜である。
まだだいぶ先なので、ぜひ予定をあけておいてください。
最後に、ご来場の皆さんからいただいた感想を紹介しておきます。
(槐多朗読感想)
◎ものすごくかっこよかったです。サイコーに。けっこう激しい出し方をしているのに、不自然さがどこにもない! 感服いたしました。繭世界で不思議に思ったのは、発している言葉とは違う漢字が頭に浮かんでくる……(具体的なことばはわすれちゃいましたが)次、なにくるかな? と予想するのが楽しかったです。
◎呼吸が伝わってきて連動となり、気持ちが良くて、やわらかい心持ちになりました。ののさんが通る時にじゃまですみませんでした。足をずらしても良かったのですが、そのままの位置にしていたのはすみません、ワザとです。ののさんがどのように読むのかが見たかったのです。
◎言葉が空間に散ってゆき、散ったさきからまた現われる。音が無くなっていくにつれ、存在の確かさが現われる。そんな朗読でした。
◎ビールの味が深くなった。時間の流れのスピードが何度も変わった、と思う。
◎声と音楽とカフェという空間、それぞれが独立して成立するものが、ひとつになってまとわりついてくる感じがした。それをひとつにしたものは、空気と沈黙かな〜。言葉にできないものをいっぱい受け取りました。
◎繭世界の途中である夏の夜の夢を思い出しました。寝ている自分の四肢が上下に伸びて、自分と世界との境界が無くなるような。は、と我に返ると、それでも自分の足の感覚がなく、私は沈黙の一部になっていました。不思議な夜をありがとうございました。私も何かの形でこういう舞台を作りたい。
◎音である、と思いました。4回目の今回が一番奥行きを感じ、自由な感じでした。