2014年9月11日木曜日

9月の横浜共感カフェを終えて

2014年9月10日、水曜日夜。
昨日は横浜の神奈川県民センターで共感カフェがあった。
主催はいつもの須美子さんで、彼女によれば横浜共感カフェも昨日でもう6回めになるそうだ。
常連の方もいるし、初めての方、まだ数回の方と、いろいろ。

昨日はまったくの初心者の方がいなかったということもあって、ざっくばらんにみなさんの最近の体験を話していただきながら、実例にそくして共感的コミュニケーションの勉強をしていった。

おひとりの方・Nさん(女性)が、ある事情から裁判所と関わることになり、その過程でなにやら法外な利用料というか弁護士費用を請求されて、非常に憤慨している、ということをおっしゃられた。
事情を説明してもらおうとしても、窓口の職員は「もうこれは決まったことですから」の一点張り。
このようにまったく取りつく島もない対応を前にした場合、どうすればいいのですか、という話。

なかなかやっかいな事例だが、まずはNさんに共感してみると、もちろん法外なお金のことも困っているが、それ以上にきちんとした説明がされずに納得できない、明確さのニーズが満たされない、誠実さが感じられない、こちらをまったく尊重してもらえていないように感じる、そういうことが一番大切なことのようだった。
一見お金の問題に見えるけれど、裁判所という公的機関の非人間的な、役所ばった、こちらにたいする誠実さと尊重のない態度が、Nさんを憤慨させたり悲しませたり傷つけているのだということがよくわかった。

このように、相手が自分の職業的な「立場」に閉じこもってかたくなな物言いをしているとき、その相手にこちらの求める対応を望むのはとても難しい。
人間的な対応を求めるなら、なんとかしてその「立場」から出てもらう必要がある。

ここで重要なのは、そのように一見「立場」に閉じこもり、まったく非人間的に見えている相手も、やはりその中身は家族も友人もいるひとりの人間であり、彼もまたなにかのニーズを必死に満たそうとして立場にしがみついているにすぎないのだ、ということだ。

立場に閉じこもるのは役所の人ばかりではない。
医者も学校の先生も、大会社の社員も、事務員も、コンビニの店員も、マクドナルドのバイトの女子高生も、それぞれの立場があって、そこにしがみつくことがある。
そのように、立場にしがみついてこちらにとって理不尽なことをいいつのる相手を前にしたとき、私たちは腹がたち、その理不尽な言質に気をとられてしまいがちだが、もっとも重要なのは、「相手はなぜその立場にしがみつく必要があるのか」ということだ。
つまり、立場にしがみついている相手のニーズに目を向ける、ということだ。
そこに共感できる余地がある。

うまく共感できて、すこしでもつながりを持てれば、相手は立場という囲いから顔をのぞかせて、その人本人の個人的な言動をしてくれることがある。
相手のニーズがわかり、相手がこちらに自分を伝えることができたと感じられれば、こちらも相手にこちらのニーズを伝えることができる。
それが共感的コミュニケーションの可能性だ。

そんなことを昨夜はこまかく検証しながら、みんなで学んだ。
最初はとても憤って途方にくれておられたNさんも、最後は明るく建設的なお顔になって、私も大変うれしかった。
参加のみなさんもクリエイティブな気持ちを共有されたのではないだろうか。

さて、来月の横浜共感カフェは、やはり神奈川県民センターで10月14日(火)夜に開催することになった。
ご都合のよい方はどうぞおいでください。
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