(以下の記事はあくまで私見であり、私が自分自身の考えをまとめるために書いたメモのようなものです。暖かな目で読んでいただければ幸いです)
参議院選挙が終わった。
さまざまな感想や意見が飛びかっている。
私の周りではやはり失望の声が多い。
与党が圧勝したことで、国会のねじれ現象が解消されたわけだが、それは「ねじれ解消」ではなく「抑止のたががなくなっただけ」という指摘がある。
そのとおりだわな。
自民党の改憲論に危惧をおぼえている人も多い。
自民党はこのところ、強気な改憲姿勢を押しだしている。
そのために世界でも類を見ない平和憲法の改悪によって自衛隊の国軍化、徴兵制の復活、それらによるアジア周辺諸国との緊張の高まり、そして戦争突入、といったシナリオを想定して慄然としている人も多い。
私もそのひとりだ。
戦争をしたいやつは、自分たち同士でやってくれ。
自民党の改憲案は、戦争放棄を削除するだけではない。
そもそも憲法は国民が守るべきものではなく、国民が国を治める者(政治家、政府、官僚など)に守らせるためのものだ。
ここに国民主権が保証されている。
その基本的な権利を変えてしまおうというのだ。
つまり主権は国民にはない、とする改憲案を出している。
国民は国家の利益のために存在し、それに反する者は国賊として排除される、という第日本帝国憲法の世界に逆もどりしようとしている。
また、表現の自由も著しく制限される改訂案が打ち出されている。
これは私も困る、嫌だ、徹底的に抵抗したい。
このようなブログすら自由に書けなくなる世界がやってくるかもしれない。
自民党が勝ったことで、憲法の改訂がおこなわれ、原発が次々と再稼働され(重大事故が起こる可能性がまた生まれる)、TPPで国ごと売りにだされ、国民皆健康保険制度がくずれ、年金制度もなくなり、経済効率優先主義がさらに進み、格差がますます広がり、教育は荒廃する。
結果的に国全体が疲弊し、希望をうしなった者はこころの病にかかり、あるいは優秀な人材は次々と国外に出ていくことだろう。
しかし、これらのことは全部、私たち有権者が選択したことなのだ。
だれか悪いやつがいて、あるいはバカな者がいて、そいつらのせいでこんな事態におちいったのではない。
私たち全員がこんにちのこの事態を選択したのだ。
選挙制度に不正がある、投票結果を操作されている、情報操作されている、という者がいる。
実際にそのようなことがおこなわれているかいないかは別にして、現制度のもとで私たちは勝たなければならなかったのだ。
しかし、そうはならなかった。
日本国民の大多数がその日の暮らしになんの不自由もない。
漠然とした不安は抱いていながらも、とにかく毎月決まった給料ははいってくるし、食うに困らないし、住む家もある。
蛇口をひねれば清潔な水が流れるし、スイッチひとつでお湯がわく。
なんのかんのいって電力は足りているから、エアコンもかけられるし、涼しい部屋でテレビを見ながらビールを飲めば天国だ。
なんとなく危機感があるような気がするけれど、それは現時点でまだ起こってはいないし、また大地震が来るとかいってるけどそんなのいつなのかわかんない。
いまでないことだけはたしかだ(たしかではないのだけれどね)。
そういうとき、人間は「現状維持バイアス」というものに行動を支配される。
つまり、なにも変えたくない、変わりたくない、行動を起こしたくない、という無意識に支配されるのだ。
本当は現状は少しずつ、少しずつ悪化しているのに、いますぐは行動したくない、なんでわざわざおれが動かなきゃならないの、切迫した危機感を持っているやつが勝手にやればいいじゃないの、そういえば山本なんとかとか三宅なんとかとか、若いやつが元気にやってるみたいだね。
あいつらががんばってるんだから、多少はましになるんじゃないの、おれが動かなくても。
といって、選挙に行かない、あるいは頼まれた人に票をいれる、会社からいわれたとおり自民党にいれる。
自民党にいれておくと、なんだかわかんないけどアベノミクスでお金がもうかって、給料があがるらしいぜ。
私たちは個性と想像力を奪われる教育を受けつづけてきた。
学校教育だけではない、就職したり仕事をはじめたりしたときにも、無意識の社会教育のなかで、そのようにされてきた。
余計なことをかんがえるな、計算しろ、問題を解け、丸暗記しろ、すばやく走れ、団体行動を乱すな、ふるさとを思え、家族を大事にしろ、ローンを組んでいい家に住め、長時間かけて通勤しろ。
こうやって、想像力の欠如した、自分の頭ではなにもかんがえられない、決断できない、現状維持バイアスに支配された人が大量生産された。
これが今回の選挙結果であろう。
では私はこれからいったいどうすればいいのか。
日本から脱出する?
革命を起こす?
あるいは「賢くふるまって」アベノミクスの波に乗って大儲けする?
違う。
いまこそ個性と想像力を駆使して、現システムから途中下車するのだ。
政治や行政に期待するのはもうやめよう。
なにか必要なことがあれば、自分でなんとかしよう。
そのようなかんがえ方の人とつながって、おたがいに助けあおう。
信頼できる方法で農業をやっている人とつながろう。
自分たちで電力会社を作ろうとしている人を応援しよう。
非暴力の学校を作ろうとしている人に協力しよう。
私だって学校をはじめたり、コミュニティを作ったり、想像力でつながるための場を提供できるかもしれない。
効果的な健康法を教えてくれる人から学ぼう。
すばらしい思想を持っている人を迎えよう。
自分を強くする方法を身につけよう。
弱い者を受け入れられる場所をみんなで作ろう。
子どもたちはみんなで育てよう。
これからのキーワードはコミュニティであり、トランジション(移行)、持続可能性、共感、文化・芸術のシェアだ。
ここには経済効率とか、所有とか競争といった言葉はない。
いまはインターネットという便利なものがある。
これを使ってそういった人々を点々とつないでいき、大きなコミュニティにしていくことも可能かもしれない。
経済や、従来のしがらみとは別のところで成立している、私の生きる場所があればいい。
もちろんそういう場所を、私が自分で作ればいいのだ。
いや、実はすでにある。
現代朗読協会/音読療法協会というコミュニティは、すでに私の生きる場所となっている。
ここを守り、育てることが、今回の選挙結果に対抗しうる私の手段のひとつだ。