現代朗読協会ではNPO法人としての運営を共感的コミュニケーションというコンセプトと方法でおこなっているのだが、表現そのものも共感的コミュニケーションであることが望ましいとかんがえている。
19世紀までの芸術表現や、現代社会における経済活動の枠組みのなかでおこなわれている商業的表現は、表現者がオーディエンスよりいかにすぐれた人間か、いかにすぐれた技能を持っているか、いかに特別な存在であり特別な行為ができるか、というものを誇示するものだ。
そのために表現者はみずからの技能を厳しく磨きあげ、表現行為のクオリティをあげていく。
この場合の「クオリティをあげる」とは、一般人にはできないようなことができるようになる、というその行為のクオリティである。
歌ったり踊ったり読んだり演じたりすることについて、人よりすぐれた技能を身につけること、特別な行為者となること、これが表現者のめざすものだった。
現代朗読ではそれはめざしていない。
20世紀以降のコンテンポラリーな芸術表現のすべてがそうであるように、他人より技能的にすぐれた存在になるのではなく、ひとりひとりがユニークで貴重な存在なのだということを共感的に示そうとする。
この場合の「クオリティをあげる」とは、共感のための感受性のクオリティをあげる、ということだ。
一瞬一瞬、自分の内側を感じ、自分自身につながりつづけ、そしてオーディエンスに自分自身を誇示することなくただ提示しつづける。
お互いにユニークで貴重な存在であることを尊重しあい、表現行為において共感しあうことをめざす。
そもそも「表現する」という行為は、だれかと「つながる」ためのものであったはずだ。
自分が優位に立つためではなく、相手とつながるために歌ったり踊ったり話したり読んだりするものだろう。
根源的な人の欲求としてそういう表現衝動がある。
自分が優位に立つためにおこなう行為は表現ではなく、経済活動である。
現代朗読において公演やライブをおこなうのは、オーディエンスのみなさんと共感的コミュニケーションでつながりの質を作るためなのだ、といえる。
もちろん出演者同士のあいだでも。
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