2013年7月30日火曜日

「がっかり」ということば

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「がっかりする」あるいは「がっかりされる」ということばがある。
友人や家族など親しい人から「なんだ、がっかりしちゃった」などといわれるととても悲しくなったり、やりきれなくなったり、怒りをおぼえたりすることもある。
どうしてそのような気分になるのだろうか。

私たちはだれかに「期待する」ということがある。
だれかになにか仕事を頼んで、それがうまく成就することを期待する。
しかしそれが期待どおりうまくいかなったとき、がっかりする。
相手にその仕事ができる能力があると期待していたのに、それを裏切られて失望したり、腹が立ったりする。
それを「がっかり」ということばで表現する。

その逆もおなじことだ。
だれかから期待され、それを裏切ってしまったとき、がっかりされる。
「もっとちゃんとやれる人だと思ってたのに、がっかりだわ」
などといわれてしまう。
とても痛くて悲しい。
そしてなんとか相手のがっかりを修復する方法はないだろうか、なにか取り繕うことはできないかとかんがえたり、行動をあせってしまう。
その結果が思わしくないことは、だれもがよく知っていることだろう。

さて、この「がっかり」という言葉にどうやって対処したらいいのだろうか。
がっかりという気持ちが生まれるのは、人に過剰な期待をしていたときだ。
相手の都合はさておき、自分で勝手に相手がこのように行動してくれるとうれしいな、という期待がふくらんでいるとき、それを裏切られてがっかりした気持ちになる。
つまり、相手の行動によって自分の気持ちが左右される、相手に自分の価値を満たすことをあずけてしまっている。
相手の行動に寄りかかっている。
このことを手放さないかぎり、「がっかり」を捨てることはできない。

相手には相手の都合や価値がある。
自分の価値を相手にあずけるのはやめよう。
自分の価値を満たすのは自分にしかできない、としっかりと心得ておこう。

相手から「がっかりした」といわれたときにはどうしたらいいだろうか。
その相手の価値を推測してみよう。
「この人はどんなことを大切にしていたのか。自分が満たせなかったこの人の価値はなんだろう」
と推測してみる。
できればそれを相手に聞いて確かめてみればいい。
「きみはぼくがこの程度の仕事は難なくこなせると思ってぼくを信頼したかったのに、それが裏切られたような気がしてがっかりしているのかな?」

相手はどう答えるだろうか。
相手は自分がなぜがっかりしたのか、自分の心のなかを見てみるだろう。
と同時に、自分の価値に興味を持ってもらえた、あなたがそのことを聴こうという態度を見せていることを、無意識に受け取るだろう。
その2点が、あなたと相手のあいだに、あるつながりの質を作るのだ。
相手のがっかりをどうにかしようとする必要はない。
ただ相手の価値に興味を向け、つながりつづけるだけでよい。

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