26歳くらいのことだったと思うが、バンドマンをやっていた京都で食いつぶし、生まれ故郷の福井で大人向け(子どももいたけれど)のピアノ教室をほそぼそとやっていたとき、FM福井というラジオ局が開局した。
ちょっとした縁があってそこでラジオ番組の制作に関わるようになった。
いま調べたら、FM福井の開局は1984年2月で、たしかに私は26歳だった。
情報番組の構成やら選曲の手伝いをしていたのだが、その番組のパーソナリティが局アナの女性と、もうひとりは名古屋のタレント会社から派遣されてきた榊原忠美氏だった。
榊原氏は名古屋の劇団クセックの俳優でもあり、どちらかというとラジオのパーソナリティやCMナレーションの仕事は食うための副業のようにかんがえているらしかった。
じつに多くのマニアックな映画や小説を読んでおり、ちょうどそのころ私もはまっていたラテンアメリカ文学の話でたまたま意気投合した。
いっしょになにかやろう、という話になり、彼が朗読、私が即興ピアノを弾く形で、ライブをおこなうことになった。
それがいまにいたる30年近くにわたってつづく、私と榊原氏の朗読パフォーマンスの付き合いのはじまりであり、ひいてはいま私が主宰している現代朗読協会の起点であったといえる。
榊原氏とは福井、名古屋、岐阜、豊橋、金沢など、さまざまなところでさまざまな朗読イベントをやった。
その後、私は2000年に仕事場を福井から東京にうつし、やはりラジオ番組やオーディオブック制作をはじめた。
失礼なものいいだが「名古屋ですら」榊原氏のようなすごい朗読者がいるのだから、「さぞや東京には」すごい人がゴロゴロいるのだろうと期待していたのだが、私の期待はすぐに裏切られることになった。
榊原氏をこえるようなすぐれた朗読者にはついぞ出会うことがなかった。
榊原氏のすごさは、その即興性と音楽性にある。
即興演奏家のように反応し、ダンサーのように身体を駆使する。
東京に出て間もなく、榊原氏のような朗読者は非常にまれな存在なのだと認識することになった。
それからしばらくして、榊原氏のような朗読者はどのようにして生まれるのだろうか、とかんがえはじめた。
私的な塾として朗読研究会を立ちあげたのは、そういう理由からだった。
その後、現代朗読協会を設立し、即興性、身体性、音楽性に的を絞った朗読者の育成方法を試行していった。
協会設立とほぼ同時期に、朗読などまったくやったことのない、いわばずぶの素人である野々宮卯妙に現代朗読の育成方法を試しはじめた。
いわば人体実験である。
それまでは声優やナレーター、アナウンサーといった、声の仕事にたずさわっている者が多く私のもとに来ていたのだが、まったくの素人に私の方法がどのくらい通用するのか、試してみたかったのだ。
結果はみなさんがご存知のとおりだ。
野々宮卯妙はいまや、どこに出しても恥ずかしくない、堂々たる現代朗読のパフォーマーである。
「朗読業界」から評価されることはあまりないが、ミュージシャンや身体表現のパフォーマーたちと共演すれば、たちまち皆驚愕し、おもしろがってくれる。
そして再演の機会を作ってくれる。
たとえば下北沢の老舗ライブバー〈レディ・ジェーン〉や、中野のジャズ・ダイニング・バー〈Sweet Rain〉などからは、名指しでライブの依頼が来たりするようになった。
榊原氏や野々宮の朗読パフォーマンスを観た人は、彼らがじつに自由に、気ままに、軽々とやっているように思えて、いますぐにも自分でもそのようにできるように勘違いすることがある。
やってみればわかることだが、とんでもない。
彼らのようにやるためには、すぐれた音楽的感性と身体反応力、瞬発力、自由度、そして高度な知性が必要だ。
朗読においてそれらをみがいていく方法を持っているのは、現時点で現代朗読協会以外には存在しない。
現在、現代朗読協会には、野々宮卯妙につづくようなすぐれた朗読パフォーマーの卵がひしめいている。
私の仕事は、あと何人、名指しでライブ依頼されるような朗読者をここから出すことができるか、だ。
同時にもちろん、私自身も、日本でただひとりの朗読ピアニスト(?)として彼らに負けないように腕をみがきあげていくことも大切だと思っている。
私と野々宮卯妙によるライブは、来週5月22日(水)夜の「沈黙の朗読——槐多朗読」が、6月7日(金)夜の「ののみずライブ@中野スウィートレイン」が予定されている。
よろしければ目撃しにきてください。