世田谷区内で連続上映会をやっていて、しかしなかなかタイミングが合わず観れてなかったのだが、今夜、三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉で上映するというのでようやく観れた。
製作者の堀切さとみさんは埼玉在住の給食調理の仕事をされている方で、映画製作のプロではない。
ホームビデオを持って双葉町から避難してきた町民のなかにはいりこみ、家族のようにコミュニケーションを取りながらこの映画を作った。
いわば内部の視線だ。
騒がしい避難所で町民の声をとるためか、異様に肉迫した画角があったりして、それがリアリティを増している。
きれいで整えられた画面では伝えられないことが伝わってくる。
映画のなかでは習字の先生の言葉が印象的だった。
「避難所で書いているなんて思って書いている人はひとりもいませんよ。みんな、懸命に書いている。先生にほめられたくて一生懸命前を向いて書いているんですよ」
ご自分の役割について確信しておられる力強い言葉だ。
それを聞きながら、堀切さんもまたなにかを確信しながらこの映画を撮りつづけてきたのだろう、と思った。
その堀切さとみさんが、遠方からわざわざ駆けつけてきてくれた。
製作者から直接話を聞けたのはうれしかった。
とくに、私も身におぼえがあることだが、なにかを作り発信する者にたいするさまざまな風当たりについて、実際に作ったものにしかわからない話を聞けたのが刺激的だった。
そして福島とおなじ原発立地の福井県出身者として、そして原発事故を扱った長編小説『原発破壊』を書いた者として、あらためてかんがえさせられることが多かった。
人間とはなにか、日本人とはなにか、生活者とはなにか。
さまざまな矛盾のなかで、これから私たちはどう生き、どう発言し、どのようにものを作っていけばいいのか。
原発事故が引きおこした様相は単純なものではない。
そのことを多くの人に知ってもらいたい、この映画をひとりでも多くの人に観てもらいたい、と思った。
このような現状がなおつづいているいま、再稼働だの、諸外国に原発を輸出するだの、とてもまともな神経ではありえないという実感を持つのだが、この映画を観た方々はどうなのだろう。