2013年5月23日木曜日

「槐多朗読」第七弾、終了

明大前のブックカフェ〈槐多〉(キッド・アイラック・アート・ホールの地下)で断続的におこなっている沈黙の朗読シリーズ「槐多朗読」の第七弾が、昨夜終了した。
カフェは席数が20。そのうち私が演奏のために2席をつぶしてしまうので、18席しかない。
お客さんを呼びすぎると窮屈になってしまうし、少ないと寂しい。
さじ加減が難しいのだ。
しかし今回はその「寂しい」パターンになってしまった。
それでも席の半分は埋まったし、お客さんが少ないためなのかそうでないのかはよくわからないが、とても充実したパフォーマンスになった。

羽根木の家から明大前まで、これまでほとんどだれかに機材運びを手伝ってもらっていたのだが、今回は上記のようなわけで手伝ってくれる人もいなく、私ひとりでえっちらおっちら運んだ。
運ぶものは、midiコントローラーを兼ねたシンセサイザー1台、MacBook、BOSSのアンプ付きモバイルスピーカー、ミニミキサー、そしてACアダプターやケーブル類だ。
総重量15キロから20キロ程度と推測される。
これを基本的に非力で、しかも演奏前に指や腕に不可を与えたくないピアノ弾きが自力で運搬しなければならないというのは、かなり厳しい。

大汗をかいて〈槐多〉にたどりつくと、カウンターのなかには多恵子ちゃんがいた。
元気そうだ。
コーヒーを飲みながら、機材のセッティング。
これもまた孤独な作業。
嫌いではないけれど、だれかが手伝ってくれるとうれしい気持ちになるプロセスではある。
そういえば、先月の「キッズ・イン・ザ・ダーク ~ 春の宴」では、菜穂子さんが私の補助についてくれてありがたかった。
いつも恵まれているわけではない。

午後7時半になるとお客さんが順次やってきた。
といっても、皆知り合いばかりで、とくに一昨日から羽根木の家に滞在しているブリジットとルードが来てくれたのはうれしかった。
ブリジットはNVCの公認トレーナーであり、またアレクサンダーテクニークの教師でもある。
ゼミ生のKAT、バンガードさん、珪子さんや、川橋さん、千絵ちゃん、アトゥールさんも来てくれた。

8時すぎ、全員に飲み物が行き渡るのを待って、開演。
テキストは私が書いた『子どものころの七つの話』と槐多の詩をひとつ。
出だしは軽くいこうかね、と打ち合わせしていたのだが、電子楽器が思うように鳴らず、なんとなく重々しい感じで出てしまった。
いつものことながら、生ピアノとちがって電子楽器と格闘しながら、しかしすぐにそれを楽しめるようになってきた。
野々宮はというと、いつになく集中して自在に読んでいる。
それに引っ張られるようにして、私もサウンドメークに集中できたように思う。

60分から70分くらいで終わる予定だったのに、終わったら9時45分。
たっぷり100分近くやっていたことになる。
途中から皆さんつらくないだろうかと心配したのだが、休憩もなしに最後まで集中して聴いてくれてうれしかった。

終わってすぐにブリジットが感想を聞かせてくれた。
もちろん日本語はひとことも理解できないが、テキストの内容とは別に自分のなかに独自のストーリーが浮かんできたそうだ。
たとえば、だれかが川の堤防のようなところをずっと歩いていって、途中の橋から飛びこむ、といったストーリー。
『子どものころの七つの話』のなかに、私の妹が川に落ちて流される話があったり、河にまつわる話が多かったので、ちょっとびっくりする。
野々宮の朗読については、大きなエネルギーとパワーを感じ、それを受け取ったといってくれた。

私の演奏については、ブリジットからもルードからも「beautiful music」といってもらえてうれしかった。
英語なので聴き取れない部分もあったけれど、とにかくブリジットたちが共感的に聴いてくれ、共感的に受け入れてくれ、共感的に感想を伝えてくれたのがよくわかって、とても豊かな気持ちになれた。
私も共感的コミュニケーションのことを人に伝える立場であるけれど、自分自身がもっと実践できるようになれるといいなと思ったひとときだった。

終わってから、都合で早く帰った人以外、残ってくれた人たちと話ができた。
長すぎたのではないかと恐縮していた私にたいして、何人かが「全然長く感じなかった」といってくれたのはうれしかった。

「槐多朗読」の次回開催は未定だが、その前に「沈黙の朗読」を上のホール(キッド・アイラック・アート・ホール)でやることが決まっている。
9月23日に名古屋から榊原忠美を招聘し、「記憶が光速を超えるとき」と「特殊相対性の女」の2本立てでやろうと思っている。
まだ先のことだが、そしてどういう形でやるのかはまだ決まっていないが、興味がある方はその日の予定をぜひともあけておいてほしい。