昔からげろきょ、こと現代朗読協会にやってくるのはだんぜん女性が多い。
「昔」というと漠然としているが、げろきょのNPO法人認可は2006年だし、その前からすでに活動は始まっていた。
げろきょの母体である朗読研究会は2000年ごろから活動していたので、かれこれ13年くらいの印象ということになる。
ずっと一貫して、女性の参加者が多かった。
男性がいないのか、というとそういうわけではない。
いるが、割合でいうとかなり少ない。
現在も1割以上2割未満というところか。
ずっとこんな具合だった。
げろきょの特徴として、年齢層がまちまちというのは、昔もいまも変わらない。
10代(いまはたまたまいない)から70代後半まで、さまざまだ。
いずれも女性が元気だ。
朗読という表現活動特有の現象かとも思ったが、そうでもないようだ。
演劇にしても音楽にしても、さまざまないわゆる文化的な活動においては、どこも圧倒的に女性のほうが多いようだ。
男性はなにをしているのか。
仕事一辺倒、あるいは仕事が終わったら家に遅く帰りついて、文化活動どころではないという人も多いだろう。
単身生活者の場合はゲーセンに行ったり、引きこもってパソコンに向かってたり、せいぜい仲間と飲みに行ったり。
文化活動に積極的な男性を見ることはとても少ない。
それでもいないことはない。
げんにげろきょにも何人か、ゼミ生として継続的に参加している人がいる。
この男性たちを見ていると気づくことがある。
それは、私もふくめて、いわゆる「おばさんっぽい」ことだ。
誤解を招く表現かもしれないが、私が思う「おばさんっぽい」とは、たとえば人と交わったり、会話をしたり、いっしょに食事したり、といったことが好き。
あまりものごとにこだわりを持っていなくて、自分の意見を押しつけたり押しとおすことがない。
人の話もよく聞くし、興味のあることにはなんでも遠慮なく首をつっこむ。
自分のやりかたより人に教えてもらったやりかたのほうがいいと思ったら、ためらわずそっちに乗りかえて柔軟に楽しむ。
げろきょに来る男性でも、思考がカタくて柔軟性がない人は、長続きしない。
いや、これは女性にもいえることかもしれない。
男性的な思考法を持っている女性もたまにいて、そういう人はたしかに長続きしない。
ただし、そういう女性は割合として少ない。
では「男性的な思考法」とはどういうものなのか、といわれるとひとことで厳密に規定するのはなかなかむずかしいし、書きはじめると本が一冊書けるくらいだろうと思うのでここでは割愛するが、ニュアンスは理解してもらえるかもしれない。
ともかく、いまの世の中、やたらと女性が元気で、それはとてもいいことだと私は思っていて、政治システムにしても経済システムにしても社会システムにしても男性中心に動いているものがどんどん悪くなっていくなかで、唯一希望が持てる側面のような気がする。
女性にはもっともっと元気になってもらいたい。
ついでにいえば、男性ももっともっとおばさん化して柔軟になればいいのだ。