2013年5月3日金曜日

ピアノと朗読

体験講座など、初めて現代朗読を学びにやってきた人に、講師の私が、
「私は朗読をやりません」
というと、たいていとまどった顔になる。
前回の体験講座でもそうだった。
びっくりしたような、一体どういうことなのととまどいに満ちた表情を浮かべる。

これについては、私は朗読家としてお手本を示すのではなく(朗読家じゃないし)、演出という立場からひとりひとりのオリジナリティを引き出し、よりクオリティの高い表現ができるようになるお手伝いをするんですよ、ということをいつもいうし、これについてはすでに書いたこともある。
なのであらためてくどくどと書くことはしない。

たしかに私は朗読はやらないが、げろきょのみんなといっしょにステージには立つ。
立つというより、正確にはピアノを弾くんだから座るといったほうがいいかもしれない。
みんながステージで朗読をするとき、私はたいていおなじステージ上でピアノを弾いている。
まあこれがげろきょのパフォーマンスのスタイルとして定着している観がある(それにこだわっているわけではないよ)。

ライブが終わってから、ピアノ演奏は即興ですよ、とお客さんに教えると、これまたびっくりされることが多い。
しかし本当なのだ。
演目によってはだいたいの曲の雰囲気やきっかけが決まっていることもあれば、まったくなにも決まっていないこともある。
私は朗読者の声、言葉、リズム、身体の動き、感情表現、作品のイメージ、観客の反応、そういったものをすべて受け取り、それに「反応していく」という形で即興的にピアノを弾く。

じつをいうと、これはあまり大きな声でいったことはないのだが、もうひとつ別のこともやっている。
それは「音でしかける」ということだ。
ピアノ演奏で雰囲気を作り、盛り上げたり、あるいはステージ全体を鎮静させたり、つまり演出的なしかけを演奏でおこなっているのだ。
げろきょのステージは演出家がおなじステージにいて、リアルタイムに演出指示を出しているようなものといえないことはない。

とはいえ、朗読者をコマのように扱っているわけではない。
共演者としておたがいに尊重しあい、刺激しあい、おもしろがりあいながら、イキイキとその瞬間を表現している。

音楽演奏には「舞台装置」としての側面もある。
いったん音楽が流れると、そこにはある種の空気感が生まれる。
ときには風景が見えたりもする。
風が吹いたり、鳥がさえずったり、夜が来たり、雨が降ったり、街になったり、山に行ったりできる。
こういった「生きた音楽装置」のなかで朗読してもらうというのも、げろきょの特徴のひとつかもしれない。

私のような朗読演奏家がほかにも出てくるといいと思うのに、なかなかそういうものを「教えてくれ」といってくる人がいないのは、ちょっとさびしい気もする。