現代朗読の体験講座や基礎講座にやってくる人は、朗読にかんして悩みを持っていることがある。
内容はさまざまで、滑舌がよくない、なまりが取れない、声がとおらない、本番でアガってしまう、などといったものだ。
なかに「サラサラつるつると読んでしまう」という悩みの人がいた。
ゆっくりじっくり、落ち着いた感じで読もうとするのに、ついついサラサラと軽く早口になってしまって、伝わらない読みになってしまう、というのだ。
これらのいずれの悩みも、現代朗読では「身体性」を意識することですべて解決の糸口を示すことができる。
これらは身体の使い方の問題だからだ。
「サラサラと読んでしまう」というのも、そういう「癖」をその人が持っているからだ。
「癖」とは「自分がそのようにしているということを自覚していないふるまい」のことで、自覚できればそれはいつでもやめることができる。
まずは客観的に自分自身を観察し、癖を自覚することが肝要だ。
私たちは文章をみると、それをついつい「効率的」に消費しようという癖がある。
幼いころから本は「速く読む」のがよい、知識をすばやく身につけるのがよい、効率よく情報を伝達するのがよい、という教育観のなかですべての人が育ってきている。
「速読術」がもてはやされているのはその代表例だろう。
文章を見ると、それを効率よく読み、声に出して読むときもすばやく読もうとする。
そのとき、働いている意識は、文章の内容や意味をすばやく理解し、伝達しようというものだ。
しかし、朗読表現という行為は、文章の内容や意味をすばやく理解し伝達するためのものではない。
朗読表現とは、ある文章を読むことによって自分自身を伝える行為である。
聴き手にはその文章の内容を伝えるのではなく、その文章をどのように読んでいるのかその読み手自身の感触を伝えるのだ。
文章を読んでいる自分自身を伝えるためには、文章を読んでいる自分自身の「いまここ」の身体性をしっかりと意識しておきたい。
いまここの、自分自身の、座っている足の裏の感触、膝の曲がり具合、股関節のゆるみ具合、座骨が椅子の座面にあたっている感触、体重、骨盤の角度、脊椎が立っている様子、頭が脊椎のてっぺんに乗っている様子、そして呼吸、そういったことを意識する。
それだけで読みは変化していく。
文章を意味だけで読むのではなく、音として自分の身体を通して相手に伝える。
自分の身体から出てくる音を意識できたとき、サラサラつるつると読んでしまうという「癖」は自然に消えているだろう。