2011年5月7日土曜日

浜岡原発停止要求会見から一夜あけて蠢きはじめたモノたち

昨夜の菅首相の浜岡原発停止要求会見から一夜あけて、案の定、有象無象がわらわらと蠢きはじめた。
原発推進派はその利権ゆえに、反原発派はそのイデオロギーゆえに、それぞれの立場からたくらみに満ちた発言をわき上がらせている。これらの発言を私はまったく信用しない。
私が信用するのは、
「自分の子どもや孫にどのような世界を引き渡したいか」
という視点でものを見ている人たちの発言だ。ママたちに多い。
私もその視点でしかものを見ない。
次世代に渡すエネルギーは、クリーンで持続可能なエネルギーシステムであり、またそれらを無駄にしないローカライズされた仕組みとライフスタイルであってほしい。その世界には原発も火力発電所もないことが望ましい。
いますぐは無理かもしれないが、その方向を向くことは可能だ。

ネイティブアメリカンの言葉にこういうものがあるそうだ。
「この大地は祖先から譲り受けたものではない。子孫から借りているものだ」
そのとおりだと思う。私たち自身の肉体や精神もまた、そう考えるとよい方向に向かいたくなる。

3.11以来、私たちはよきにしろ悪しきにしろ、大きく変わった。価値観が根底から変わってしまったともいうべきだ。
もし「なにも変わらない」と思っている人がいるといたら、救いがたいまでに感覚と精神を鈍化させてしまっているのだろう。そんな人がいるのかと思ったら、政財界にごろごろいるようだ。もはや「人」ではないと思って、私はそのように処遇する。

3.11後、人々は混乱し、沈みがちになり、自粛ムードが蔓延して活力を失っていたが、このゴールデンウイークの動きを見ているとその空気が一転したように思える。
自粛の反動なのか、GW中の高速道路は大渋滞、公共交通機関は激混み、観光地もゲロ混み。日本全体の空気が、サッと変化したようだ。
前向きの気分が出てきたのはいいと思う。しかしまた、思考停止の烏合の衆に戻ってしまわないか、危惧する。
震災を機に、緻密に考え、行動する日本人の美徳が現れてきたようだったが、これが持続し、この社会の通奏低音として定着していってくれるといい。

菅内閣も、指導力不足とかいろいろいわれているけれど、自民党が作り自民党がやれなかった原発の、稼働中のものを停止要求を出すというのは、かなり評価できることではないか。
まずは支持したい。
この流れがこれからの地震列島日本の国政の流れになっていってほしい。流れはじめた新しい潮流が、政財界の老醜をさらした化物たちによってつぶされてしまわないように、私たちはしっかりと監視し、声をあげつづけなければならない。