2010年7月8日木曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.9

中には、いまでは世界的な彫刻家になった福井出身の土屋公雄さんの展示もあった。非常に刺激的な作品群で、私はそこで土屋さんと知遇を得、その後も交流を持つことになった。そのギャラリーを経営していたのが、「ビーちゃん」と呼ばれている人物で、ドラマーでもあった。

ギャラリーの横の物置のようなスペースにドラムセットが置いてあり、そこでドラム教室をやっているのだ、ということを聞いて、まず驚いた。そして、そこに住んでいるのだ、ということを知って、さらに驚かされた。世の中にはびっくりするような人がいるのだなあと知った。

聞けば、ビーちゃんはフリージャズ系のドラマーで、いろいろなジャンルの人ともパフォーマンスをやっているという。なんとなく一緒にやらないか、という話になった。うまい具合に、商店街の祭でビーちゃんが演奏を依頼されているという。とりあえずそこで一緒にやろうと。

1984年の冬だったと記憶している。なぜ覚えているかというと、その年の秋に私の息子が生まれたからだ。私とビーちゃんがやるイベントを宣伝するために、ビーちゃんの知り合いのつてでラジオに出ることになった。12月にFM福井が開局したばかりだった。

ちょうどそのころ、全国の各県に東京FM系列の地方FM局がいっせいに開局していた。FM福井もそのうちの一局だった。JFN(ジャパン・エフエム・ネットワーク)という会社が元締めの系列局で、いまでもそうだ。開局したばかりの新番組に、私とビーちゃんは出演した。

「情報パック」という名前の、土曜日朝の情報番組だったと思う。パーソナリティは局アナの黒川くんと黒原真理さんだった。ビーちゃんは口べたで、しかも福井弁丸出しの素朴派なので、あまりしゃべれず、代わりに私が助け舟を出してイベントについていろいろと話した。

番組はなんとか終わり、イベントも無事に終了したが、後日、FM福井のディレクターから私に電話がかかってきた。番組制作の手伝いをしないか、という誘いだった。田舎町でジャズピアノを弾いている者が珍しかったのだろうと思う。ポップ音楽にも詳しかったこともある。

私はピアノ教師のかたわら、FM福井で放送作家の仕事をするようになった。番組の構成をかんがえ、かける曲をCDから選曲して、番組構成表を作るのだ。FM局のCD庫には大量のCDが移動式ラックに収納されていた。そして毎日大量のCDが送られてきた。

年が明け、あたらしい番組が始まることになった。私はその番組の構成をやることになった。パーソナリティとして局アナではなく、名古屋からタレントを呼んでいた。プロのナレーターで、榊原忠美(ただよし)という名前だった。ちょっと変わった感じの男だった。

癖のある風貌で、もちろんしゃべりはうまいのだが、性格も一風変わっていた。聞けば、名古屋の劇団で役者もやっているとのことだった。本をたくさん読んでいて、私とは話が合った。とくに、その頃熱中して読んでいたラテンアメリカ文学の話では盛り上がった。

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