私は夏目漱石の全作品をあらためて読み直してみたくなった。それもただ読むのではなく、音声化という作業を通じて綿密に、蜜月のように密着しながら、読み直したいと思ったのだ。そこで、若手声優たちに「夏目漱石全作品をオーディオブックにしようぜ」と呼びかけた。
たぶん彼らはよくわからないままに、私の呼びかけに応えてくれた。夏目漱石の長編作品の収録作業が始まった。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』この3作品から、田中尋三、相原麻理衣、神崎みゆきという3人の若手声優によって収録がスタートした。
名作文芸作品への挑戦が始まると同時に、彼らの朗読も急激に魅力を増していった。私は彼らひとりひとりの声優に、いわゆる「あてがき」という形で、ラジオ番組のコーナー「ジューシー・ジャズストーリー」のためのテキストを書いた。それは私にとっても楽しい作業だった。
結局、若手声優とともに作ったオーディオ作品(朗読と音楽の共作)は、40作品以上が残っている。音楽がジャズCDからの既成のものだったため、現在は著作権処理の問題で公開はしていないが、私が書いたショートストーリーは「水色文庫」のなかですべて紹介している。
世田谷FMを中心にコミュニティFMを何局かネットして「ジューシー・ジャズカーゴ」という番組を制作していたが、今度はJFNという全国ネットのFMラジオ制作配信会社からの制作依頼がはいってきた。私の古巣のFM福井を含む全国の地方FM局をネットする会社である。
1985年前後に全国に東京FM系列の民放FMがたくさんできた。FM福井もそのひとつで、私はそこで制作の仕事に関わったわけだが、その仕組みを作ったのがJFNという会社だ。東京FMで作った番組を地方FM局に配信するのが中心業務だが、自社制作番組もあった。
最初はホラー番組かなにかの企画の話だったと思うが、それは別会社がやることになり、アイ文庫にはBSデジタル放送の番組の話が回ってきた。当然テレビ番組なのだが、ハイビジョンの高精細を利用したスライドショーのようなものに、朗読と音楽を乗せるというものだった。
番組名は「はなのある風景」といった。この番組で、アイ文庫は初めて、音楽もオリジナルで制作するという挑戦をおこなった。番組名が表しているように、まず花の写真がある。それに花にまつわる文学作品の描写の朗読を乗せ、さらに音楽をつける。そういう作業だった。
そのころには私の住まいは、ワンルームマンションから地下スタジオに移っていた。やはり豪徳寺だったが、近所の酒屋の地下室がたまたまあいており、そこを改造して住まい兼スタジオにして移ったのだ。地下という静穏環境は、朗読にしても音楽にしても、収録には最適だった。
この地下室で、番組「はなのある風景」は制作された。毎月、60分のオリジナル番組の音声部分だけだが、作っていく。これは相当な作業量になる。そのころ、アイ文庫の経営体制もすでに変わっていた。ケータイ広告がうまくいかなかった後は、制作会社へと変わっていた。
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