2010年7月5日月曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.6

1977年、私は大学生になり、自由になるお金がほしくてアルバイトを始めた。いろいろなバイトをやったが、最終的に時給の高い夜の仕事に落ち着いた。祇園の店でのバーテンダーのバイトだ。そこにはグランドピアノが置いてあり、ピアノの練習ができるのが魅力だった。

その店はいまでもある。〈バードランド〉という名前で、もちろんニューヨークの有名なジャズクラブの名前をもじっている。マスターの中川氏はジャズファンで、ピアニストが毎晩やってきて、演奏した。私が店にはいったころはヨッさんというオルガン奏者が来ていた。

バードランドはまた、関西のジャズミュージシャンやバンドマンのたまり場のようにもなっていて、いろいろなミュージシャンが出入りした。バイトはきつかったが、彼らの話を聞けるのが魅力だった。また、彼らといっしょに来日ミュージシャンのコンサートに行ったりもした。

来日ミュージシャンのコンサートのなかで、私にとって最もインパクトがあったのはウェザー・リポートだった。高校生のときにエアチェックして何度も何度も繰り返し聴いていたグループが、目の前で生で演奏しているのだ。それは夢のような体験だった。

ジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーター、後にはジャコ・パストリアスという、超一流のプレーヤーが生で演奏しているのだ。夢中にならないわけがなかった。そうやって私の20歳の生活はますます音楽化していった。アルバイトの合間のピアノ練習にも熱がはいった。

高校生のときにはどうしても習得できなかったジャズの即興演奏だったが、ジャズにどっぷり浸かった生活のなかで徐々にコツがわかってきた。理論書も読んだし、店に出入りするジャズマンにいろいろ教えてもらったりもした。また、彼らのリハーサルに遊びに行ったりもした。

そのうち、プロミュージシャンのリハーサルなどでメンバーが足りないときに、補欠要員として時々弾かされるようになった。多少アドリブができるようになっていたのと、譜面が読めることとで、しだいに彼らの仲間入りをするようになっていった。

バンドに臨時の欠員が出たときに、補充メンバーとして出向くことを「トラ」という。エキストラの「トラ」なのだが、それに時々呼ばれるようになった。バンドマンは通常、「ハコ」と呼ばれる定期的に演奏する店を持って生活しているが、たまに抜けることがあった。

たいていは結婚式やパーティーなどでの演奏のアルバイトのためにハコの仕事を抜ける。アルバイトのほうがギャラがいいからなのだが、そういうときに代わりのメンバーを補充しなければならない。その仕事が「トラ」といって、遊んでいるバンドマンに回ってくるのだ。

そういった「トラ」の仕事が、ちょくちょく回ってくるようになった。バーテンダーのアルバイトを続けながら、バンドマンの仕事もやるようになっていった。また、ジャズの勉強をさらに深めたくて、若手のバンドマンに声をかけて自分でもバンドを組んだ。

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