モダンジャズはバップスタイルからクールへと移行していく。それはごくざっくりといえば、ジャズ音楽の消費スタイルのライブから録音への移行だった。その後、モードジャズが発明され、ジャズは芸術音楽の域へと表現が高まっていった。それが1960年代までのこと。
1970年代にはいって、マイルス・デイビスなどが電子楽器を取りいれたロック音楽との融合をはかったり、ラテンアメリカの音楽のリズムを取り入れたりと、ジャズはフュージョン音楽の時代にはいっていく。まさにそのときに私はジャズを聴きはじめたのだった。
そして田舎住まいだったために、聴ける放送はNHK-FMのみ。クラシックからジャズへと鞍替えした私は、毎回の放送をかじりつくようにして聴いていた。そのころにはカセットテーブという録音媒体が気軽に手に入るようになっていた。
ラジオで放送される音楽をカセットテープに録音することを「エアチェック」と称していて、そのための専門雑誌まであったほどだ。私ももちろん熱心にエアチェックをした。番組ではアルバムを丸ごと一枚放送するようなこともしていたので、金のない高校生にはありがたかった。
高校時代をジャズ浸けですごしたが、サウンドソースがNHK-FMだけでジャズを聴く仲間は皆無だった。演奏するグループもなかったし、もちろん田舎町にジャズ喫茶やライブハウスもなかった。生まれて初めてジャズ喫茶にはいったのは、田舎を離れてからだった。
私は最初の大学受験で失敗し、京都で浪人生活をすごすことになった。北陸の田舎町から京都の移った。左京区の岡崎の、平安神宮や京都会館にほど近いなかなかよい立地の下宿に決まった。すぐ近くの丸太町通りに、〈YAMATOYA〉というジャズの店があった。
予備校通いもそこそこに、私はすぐにYAMATOYAに入りびたるようになった。なにしろ本格的なジャズ喫茶だ。いろいろなレコードがかかっている。夢のような世界だった。またライブ演奏もあった。ある夜私は意を決して、ひとりでライブ演奏を聴きに行ってみた。
出演メンバーを正確には覚えていないのだが、ベースが猪俣猛、ドラムスが日野元彦(故)、ギターに渡辺香津美がいたことは覚えている。6人くらいのジャムセッションだった。いまはすっかりメジャーになった渡辺香津美もまだ若く、ひどくへたくそだった記憶がある。
しかしとにかく、それは私が生まれて初めて接するナマのジャズ演奏であった。クラシックはオーケストラも室内楽もピアノ独奏や歌曲もナマで聴いたことがあったが、ジャズは初めてだった。そしてジャズという音楽の自由さを実感して、衝撃を受けたのだった。
浪人生にも関わらず、私はお金が許すかぎりライブハウスに通った。そのころ(1970年代なかば)の京都には、まだまだジャズ喫茶やライブハウスがたくさんあった。先のYAMATOYAのほかにも、しぁんくれーる、52番街、ZABO、インパルスなど、たくさんあった。
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