いつごろから私の生まれた田舎町でもFMラジオが聴けるようになったのかはわからない。が、私が聴きはじめたのはたしかに中学3年生のころで、それまではラジオといえばAM放送の何局かと、朝鮮語やロシア語の放送が日本海の向こう側から聴こえてくる程度だった。
FMラジオというすごく音質のいい放送があるらしい、ということはやはり父親が聴きこんできて、それが聴けるラジオを私は買ってもらったのだと思う。私はラジオを自分の部屋に持ちこみ、T字型のアンテナを自分で作ってFM放送を聴けるようにした。
たしかにFM放送は音質がクリアで、しかもステレオだった。もっとも、私の田舎町で聴けるFM放送はNHK-FMただ1局のみで、民間放送ははいらなかった。専用アンテナを立てれば名古屋のFM愛知が聴ける、という情報もあったが、なかなかそこまでは手が出せなかった。
最近はだいぶ変わったが、当時のNHK-FMはクラシック中心の選曲の番組がほとんどだった。そして私はそれらの番組を時間の許すかぎり聴きこんで、音楽知識を増やしていった。バロックや民族音楽、現代音楽といったものまで、片っ端から吸収していった。
そんななか、変わった番組があった。正確な名称は忘れてしまったが、「ジャズスポット」とかなんとか、つまりジャズを扱う週1の番組があったのだ。油井正一とか青木啓などのジャズ評論の人たちが担当していて、なかなか聴きこたえのある内容だった。
私はそこで初めて、ジャズという音楽に接したのだった。たしか金曜日の夜にやっていて、たまたまつけたら、聴いたこともない奇妙な音楽が流れてきたのだった。はっきりと覚えているが、そのとき私が耳にしたのはウェザー・リポートというグループの曲だった。
高校生になっていた。発売されたばかりの『ミステリアス・トラベラー』というアルバムの紹介をしていた。電子楽器を多用したサウンド、そして西洋音楽にはない民族的なテイストを持ったメロディやリズム。ジャズがちょうどフュージョンへと移行していくその時だった。
私が高校生だったのだから1975年ごろということになる。ウェザー・リポートの結成が1970年、マイルスの「ビッチェズ・ブリュー」が1970年、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエバーの結成が1972年。まだフュージョンはクロスオーバーと呼ばれていた。
1950年代から60年代にかけて、急速にスタイルの変遷をたどったモダンジャズは、すでに熟成期から早くも老年期を迎えようとしていた。私がジャズを聴きはじめたのは、まさにモダンジャズからフュージョンへと移行していく激動の時代だったといえる。
一瞬たりとも目/耳を離せないジャズ世界の変化だった。そもそもジャズは、1900年代初頭に発生し、ラグタイム、ディキシーランド、スイングジャズと変遷を経て、1040年代にビ・バップ革命が起こり、モダンジャズの時代にはいっていった。
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