2010年5月19日水曜日

オーディオブックの真実 Vol.8

この地下室ではものすごくたくさんの収録とライブと音楽制作とワークショップをやった。なにしろ一日中、朝から晩までスタジオにいるわけだから、制作ペースは半端ではなかった。また、自前のスペースがあるということで、さまざまな企画が生まれ実行された。

オーディオブックも順調に収録できた。地下室の隅にこのビル全体の排水設備がある、私たちが「パイプ室」と呼んでいた小部屋があった。狭い部屋だったが、ここはさらに音響的にも完璧だった。吸音材やら毛布やらを壁にならべて、無反響の収録環境を作った。

小さなテーブルと椅子を置き、マイクを設置して、朗読者はそこに入る。壁に小さな穴をひとつあけ、マイクやトークバックのケーブルを通して、収録機材とオペレーターは小部屋の外、つまり地下室の広い場所のほうで作業する。大変快適になった。

機材も徐々にグレードアップしていった。機材自体も劇的に安くなってきたというのもあった。また編集ソフトも劇的な進化をとげつつあった。バージョンアップのたびに夢のような機能が安価で付加され、しばらく前のプロフェッショナルなスタジオ環境がほぼ実現できるほどだった。

そうやってどんどん制作を進めていくと、悩みがひとつ出てきた。朗読者がどうしても足りないのだ。初期の若手メンバーはそこそこ育ってきたし、彼らが連れてきた二次、三次メンバーもいたのだが、それでもより多彩にコンテンツを制作するには足りなかった。

アイ文庫主催で朗読ワークショップを始めたのは、オーディオブックの読み手がほしかったからだった。ワークショップはオーディションも兼ねていて(そのほうが人の集まりがよかった)、実力のある読み手はすぐにでも収録メンバーに加わってもらいたいと思っていた。

実際には、すぐに収録に使えるような人はほとんどいなかった。皆無といってよかった。「オーディション付き」にしていたせいか、ワークショップに参加するのは声優、ナレーター、フリーアナウンサー、司会者といった、すでに声の仕事にたずさわっている人がほとんどだった。

アイ文庫としても即戦力をおおいに期待した。実際、きれいでスムースな読みなら問題がない人は多かった。が、朗読をやってもらうとなると、どうやら別の話になるようだった。とくに文芸作品の朗読ということになると、初期の若手メンバーとおなじような状況が生まれた。

文章をただきれいに正しく読むだけなら、声優学校や養成所で数年訓練を受けた人ならだれでもできる。が、文学作品を読解し、その世界観を声で表現する、さらにいえば朗読者の個性を生かせる読みとなると、声の仕事をしている人でもまったく役に立たないことが多い。

平板で、魅力のない、薄っぺらい朗読。それではアイ文庫が作る意味はない。もちろんそういう読みのほうがいい、というリスナーはたくさんいたし、いまもいる。文字情報を耳から入れたいだけなら、余計なバイアスはかかっていないほうがいいからだ。

淡々とスムースに読んでくれたほうがいい。実際、実用書などのオーディオブックはそのほうがいいだろう。しかし、この用途なら、いずれ近いうちに機械音声に取って変わられるだろうと私は思っている。読み上げソフトはかなりいい線まで来ていて、年々進化している。

人間にしかできない読み。その人でなければ表現できない世界。文字をわざわざ人の声で読みあげることで成立するオーディオ作品。アイ文庫ではそういったものを作りたい、作っていきたいと、最初から考えていた。まるで一曲をさまざまなピアニストが演奏するように。

まだそこまで行っているとはとてもいえないが、オーディオブックのコンテンツマーケットが成熟してくると、音楽マーケットがそうであるように、たとえば「羅生門」をさまざまな朗読者が読み、リスナーをそれらを聴き比べて楽しむようになるのではないか。

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