2010年5月26日水曜日

オーディオブックの真実 Vol.15

そもそもどのくらい売れるかまったくわからない、あるいは売れたとしてもたいした数ではないことがわかっているオーディオブックの場合、アイ文庫を除いてはたいていの制作会社がギャランティー方式を採用しているようだ。一本あたりいくら、という決まった額で読んでもらう。

アイ文庫ではあまりそういう方式は取っていない。第一の要因としては、先行して多額の制作費を確保できるような資金力がない、ということがある。まだ売れてもいない(作ってもいない)コンテンツのギャランティーを朗読者に支払うほどの財力はない、というのが正直なところだ。

もうひとつは、アイ文庫では会社側と朗読者が「恊働してひとつの音声作品を作りたい」という気持ちが強いことがある。完成したオーディオブックはたしかに「商業コンテンツ」ではあるが、小説や絵画などと同様、音声表現作品であると考えている。

「作品」は制作会社のものである以上に、朗読者のものでもあり、またリスナーのものでもある。そういう考えで、朗読者の権利を「買い取る」ということはなるべくやりたくないと思っている。そこで、どのようにするかというと、ロイヤリティ=印税方式を採用している。

M社はクオリティの高さと権利関係の問題から、アイ文庫の朗読コンテンツを開発中の医療機器に使ってくれることになった。M社だけでなく、このような問い合わせがこのころからぽつぽつと入ってくるようになった。たいていが予算が合わず、商談は流れてしまったが。

そして残念なことに、M社の医療機器開発の計画も、その後さまざまな事情で流れてしまった。アイ文庫の朗読コンテンツが乗った医療機器が世に出回ることはなかったが、それからしばらくして、今度はやはりあるIT機器メーカー(P社としておく)からコンタクトがあった。

P社はハードウェアや、それに付属するソフトウェアを開発している中堅のメーカーだったが、オーディオブックも自社コンテンツとして扱おうとしていた。その際、さまざまなコンテンツ制作会社をあたった結果、M社と同様の事情でアイ文庫にコンタクトしてきたわけだ。

P社は朗読コンテンツそのものをダウンロード販売したい、という意向を持っていた。自社サイトでも販売展開するが、別のダウンロードサイトでも自社製品として売りたい、といってきた。その他社サイトに、ちょうど上陸したばかりの iTunes Store が入っていた。

上陸当初は「iTunes Music Store(iTMS)」といっていたが、Apple社のミュージックストアとしてすでに欧米では大きなシェアを占め、成功を収めていた。だから日本にも鳴り物入りで上陸して感があった。ここにコンテンツを出すにはどうしたらいいか。

ミュージックストアで「オーディオブック」というジャンルがあるのは、iTMSだけだった。そしてこのジャンルは、オーディブル・インクというアメリカの会社がアップルと組んでコンテンツ提供と管理をしているらしい。ここに朗読コンテンツを出すにはどうしたらいい?

P社はここにパイプを持っていたのだ。P社はアップル製品、つまりMacにもハードやソフトを提供していて、太いパイプがあった。iTMSの日本上陸についても情報を持っており、オーディブル・インクの日本支社とも付き合いができていたのだ。

かくしてアイ文庫が作ったオーディオブックはiTMS上陸のかなり早い時期にコンテンツとしてならぶことになった。当初は本当に品揃えがおそまつで(いまでも立派とはまだまだいえないが。なにしろ村上春樹も大江健三郎もないのだから)、アイ文庫のものはかなり目立っていた。

オープン当初は語学と落語程度、ほかにはNHK番組の二次利用のコンテンツくらいしかなかったところへ、夏目漱石の長編だの、芥川龍之介の主要作品だの、太宰治だの、古典作品がいくつか、といった文芸作品が次々とならびはじめたのだ。いきなりランキング上位に次々と入った。

※この項はTwitterで連載したものです。
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。