2010年5月24日月曜日

オーディオブックの真実 Vol.13

編集が終わり、ファイルが整ったら、最終的なマスタリング作業に入る。このマスタリングというものがまったくないがしろにされているのが、オーディオブック業界なのだ。この機会に私は、他のメーカーの方に「どうぞマスタリングをきちんと行なってください」とお願いしたい。

音楽コンテンツ、つまりJ-POPもロックもクラシック曲も、商業コンテンツとして出回っているものに最終的な「マスタリング」という工程を経ていないものはない。100パーセント、マスタリングしてある。もししてないものがあるとすれば、それはアマチュアのものだろう。

しかし、現状のオーディオブックの世界では、逆にマスタリングしてあるものを探すほうが大変だ。マスタリングはなぜ重要なのか。なぜ音楽の世界ではすべてマスタリングを必要とするのか。それには、マスタリングという工程でなにを行なっているのか理解してもらう必要がある。

電子的に録音された音というのは、そのまま再生しても、録音されたときのようには聴こえない。どんなにすぐれた再生システムがあっても不可能だ。録音されたときのように、あるいは朗読者が読んだときの雰囲気のように再生するためには、電子的な工夫を加えなければならない。

ピアノはピアノらしく、バイオリンはバイオリンらしく、オーケストラはオーケストラらしく、そして人の声は人の声らしくスピーカーから再生されるためには、電子的な加工がどうしても必要なのだ。なぜなら、そもそも最初に電子的な信号として録音されたものだから。

電子的に録音されたものを、良質な再生音とするために、最終的にマスタリングがおこなわれる。専門用語を並べてもしようがないので簡単に述べるが、イコライザー(EQ)、コンプレッサー、リミッター、時には空間系のイフェクトも使用しながら、最終的な仕上げをおこなう。

音楽の世界では、マスタリング・エンジニアが重要な役割を果たしていて、レーベルや演奏者は必ず優秀なエンジニアを使う。マスタリングの仕上がりで学曲の雰囲気がまったく変わってしまうこともある。古い曲を「リマスタリング」することで現代によみがえったりもする。

このようにして、音楽は商業コンテンツとしての地位を獲得してきた。つまり、商品としてのクオリティの確保。これがユーザー/リスナーに対する誠意であろう。その動機がマネーであろうとも。たんなる情報伝達を越えた「音声作品」としての提供にはなにが不可欠かということだ。

最終的なクオリティを軽視したマーケットは、必然的に縮小せざるをえない。ユーザーの安全性を軽視した自動車会社が利益を得られないように。欧米では膨大な既存オーディオブックの二次利用によっていきなり大きなマーケットが出現したが、日本では事情が違っていた。

ほとんどゼロからスタートしなければならなかったオーディオブック市場は、最初からクオリティの確保は重要な問題だったと考えている。たとえ手間と時間とお金がかかったとしても、良質のオーディオブックをこつこつと提供することでしかマーケットは育たないと確信していた。

そういう理念のもと、アイ文庫は作品のクオリティにこだわってきたし、いまでもそうであるのだ。現在のオーディオブックマーケットを、クオリティの観点からひとくくりにしてとらえることは不適切だ。繰り返すが「テキストデータ」と「音声作品」の両方の側面があるからだ。

本の内容、つまりテキストデータを視読するのではなく、なんらかの理由で聴読する目的であれば、言葉が明瞭に聞こえればいい。音声作品としてのクオリティは問題ではない。が、音楽と同様、朗読を音声作品として楽しむ目的であれば、クオリティは重要な問題となる。

オーディオブックマーケットの成長と成熟は、これらふたつの側面から進んでいくだろう。聴読データとしてオーディオブックは、今後おそらく読み上げソフトなどに取って替わられるだろうし、全部がそうはならないとしても、アイ文庫の業務ではないと思っている。

※この項はTwitterで連載したものです。
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。