スタートした朗読研究会では、すべてをゼロから客観的/論理的にとらえなおすという姿勢で、声優たちには学校や養成所で習ってきたことをすべて捨ててもらうところから始めた。個別の問題をそれぞれ徹底的に洗いなおし、客観的な観測による対処法をひとりひとり考えていった。
それと並行して、テキストの扱い方・読み込み方の勉強もいっしょに始めた。これには私自身が小説家であるということが大いに役立ったように思う。文章を読むといっても、それまではただ漫然と繰り返し読み、せいぜい意味をとらえて文章になじんでいく程度だった。
ここに「書き手の視点」を持ちこむことによって、文章全体をかなり構造的にとらえられるようになる。この文章はどのように書かれているのか、なぜここにこの文章があるのか、この文章は全体の構造のなかでどのような位置づけを持って書かれているのか。
興味深いことに、このような視点で文章を構造的に読みこみ、理解を深めていくにつれ、読み手の「読み」も劇的に変化していったのだ。客観的に文章をつかまえるほど、主観(つまり読み手主体)との関係性が明確になり、読み手はその関係のなかに「表現」を持ちこめるようになる。
文章を客観的にとらえ距離を置くことと、読解によって徹底的に自分のものにすることとは矛盾しない。これができれば、読み手は自在にその文章を自分の表現材として使えるようになる。若手声優たちにはかなり難しい挑戦ではあったが、それでもおもしろい読み手が何人か出てきた。
先に書いたように、研究のためのテキストは私が書いたものではなく、古い文芸作品から選ぶことが多かった。古い作品の言葉にはなじみがなく、客観的な読解の勉強のためにはかえってよい材料だったからだ。そしてもうひとつ、著作権の問題があった。
著作権についても私たちは勉強を進めており、その扱いについては慎重になっていた。というのも、朗読の勉強が進むにつれ、せっかくだからその文章朗読を発表してみたいという気持ちが生まれてきたからだ。もちろん私が書いたものは番組内で定期的に発表していた。
それとは別に、夏目漱石や芥川龍之介などの有名な作品を、せっかくだからネットや朗読ライブで発表しようということになった。朗読研究会の初期メンバーは高橋恵子さんが紹介してくれた生徒数人だったが、その生徒がまた知り合いを連れてくる、というふうになっていた。
その初期メンバーのなかには、かなり読めるようになってきた者も出てきた。たとえば、相原麻理衣、田中尋三、神崎みゆき、大津千絵たちであり、ここにあとから窪田涼子、岩崎聡子、渡部龍朗なども加わっていく。最初の頃は短い時間で読み切れる短編を収録していた。
宮沢賢治や太宰治、梶井基次郎らのごく短いものを収録していた。田中尋三には夏目漱石の「文鳥」という短い作品を朗読してもらったりした。いまから思えば、どれも苦労しながら収録した、なつかしいものばかりである。最初は豪徳寺の私のワンルームで収録していたのだ。
収録機材はKORGのとてもちゃちな安いMTRと、Shureのダイナミックマイクを使っていた。その機材選定にしても、自分で調べた。使い方も苦労しながらの試行錯誤だった。半地下の比較的静かな部屋だったが、それでも普通のマンションの一室である。ノイズには悩まされた。
道路からの交通騒音が一番やっかいだった。とくにバイクやトラック、そして救急車。ほかにも犬やカラスの鳴き声、近くの部屋の話し声や物音。さまざまなものに収録を中断させられた。それでも静かな合間を縫っては、朗読の収録をしていた。
MTRに収録したものは、コンピューターに取りこむ。デジタルデータとして取りこむためには「AD/DAコンバータ」とか「USBキャプチャー」あるいは「オーディオインターフェース」と呼ばれる機械をかます必要があって、初期のころはYAMAHAのものを使っていた。
オーディオインターフェースを通してコンピューターに取りこんだ音声データは、音楽編集ソフト(当時使っていたのはSONAR)を使って編集する。微細なノイズをカットし、音量を調整し、不自然な間合いを詰めたり、あるいはのばしたりする。最後にはマスタリングである。
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