上陸当初は「iTunes Music Store」略称「iTMS」といっていた。このサイトの欧米での成功は日本にも知られていたので、日本上陸の際には大変な注目を浴びた。ストアジャンルのなかに「ミュージック」の次に「オーディオブック」という項目があった。
日本ではほとんど知られていない言葉/ジャンルだった。「これなんだろう」と思ってクリックしてみた人は多かっただろう。が、実際に開いてみると、そこにはほとんど売り物らしいコンテンツはなく、閑散としていた。しかし、その後、多くのコンテンツが一挙に参入してくる。
あとで詳しく述べるが、アイ文庫のコンテンツもiTMSで扱われるようになり、また、他社コンテンツもドッとばかりにならぶようになった。2006年以降のことだ。目立つところでは、NHKなどラジオ局/放送局がらみのもの、そして語学関係のコンテンツがならびはじめた。
いずれも番組で流した朗読などの二次利用だった。語学関係のものも、すでにカセットやCDブックとして流通したあとの二次利用である。当初は最初からオーディオブックとして作られたコンテンツは少なかった。そんななか、アイ文庫の文芸コンテンツはなかなか健闘した。
コンテンツが少なかったということもあるだろうが、無名の会社が作り、無名の新人が読んでいるオーディオブックが、売り上げの上位ランキングに食いこんでいた。いまでもベスト100には必ず入っているが、吉田早斗子朗読の『方丈記』が、公開と同時に上位に入った。
なにしろ古典文学である。著者は鴨長明である。そんな作品が売り上げ上位の10位以内にいきなり入ってきたのだ。ほかにも多くのアイ文庫製作コンテンツが上位にいくつも入った。そういう状況のなか、資本力のある会社が何社か、録音物の二次利用ではないものを出してきた。
つまり、自社制作のオリジナルコンテンツをiTMSに投入する会社が何社か現われた。これらの会社はもともとオーディオブックを作っていたわけではなく、ビジネスチャンスがあると見たマーケットにいきなり資本が投下され、誕生した新興の制作会社といっていい。
グーグルで「オーディオブック 制作」などと検索すると、アイ文庫以外にも多くの制作会社がヒットする。それらの会社の多くが、オーディオブックという音声コンテンツを作っていながら、音声編集の基本的な仕上げ方、つまりマスタリングというものを軽視している。
いろいろな人に話を聞いてわかったことだが、オーディオブック=朗読本などというものは、録音機さえあれば朗読者がちょこちょこと暇を見つけては本を朗読し、あとで多少切ったりつないだりして体裁を整えればできてしまうように思っている人がたくさんいるらしい。
実際にそのようにして作られたオーディオブックはたくさんあるし、ネットで出回っているアマチュアの方が趣味で読んでいるものはほとんどがそうであるばかりか、制作会社が作った商業コンテンツですらそのように安直に作られているコンテンツがたくさんある。
もちろん本の内容を「テキスト情報」としてとらえ、それをたんに耳から取れるように「音声化しただけ」というとらえかたなら、それで充分なのだ。言葉がはっきり聞き取れ、内容が理解できればいい。多少のノイズやら音声クオリティなんて気にはならない。
しかし、アイ文庫ではオーディオブックもあくまで音楽同様の「音声コンテンツ」あるいは「声による文芸作品の一種」ととらえている。またそうでなければなぜわざわざ朗読者という「ひとりの人間/個性」が本を長時間、苦労して読みあげる必要があるというのか。
そのため、ノイズや音声クオリティにはかなり気を使って作っている。ここでアイ文庫でのオーディオブックの製作過程を簡単に紹介しておこう。事前の企画段階のことや著作権処理、テキスト選定や朗読者との読解を含めた擦り合わせ作業については、割愛する。
※この項はTwitterで連載したものです。
新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。