オーディオブックというコンテンツは、基本的に朗読本であり、文章を人が読んだ音声データでできているものだが、私はそれだけではなんとなく寂しく、つまりラジオ番組のようにテーマ音楽とかジングルを入れたものにしたかった。幸い、私は曲も作ることができた。
ラジオ番組やオーディオブックと同様、というよりそれ以上に、コンピューターを使った音楽制作の世界は日進月歩で、大げさなスタジオがなくてもだれでもクオリティの高い音楽を作れるようになっていた。オーディオブックに使うテーマ音楽も、自分で作ることにした。
また私の妹は国立音楽大学の作曲科を出ていて、現在は名古屋の音大でコンピューター音楽を教えているので、彼女の作った曲もずいぶんいろいろとオーディオブックに使わせてもらった。そんなわけで、アイ文庫のコンテンツは当初から良質の音楽とともに提供されている。
こうやって作りはじめた朗読作品だが、クオリティの高いものについてはやはり発表したくなる。ケータイ広告事業は完全に失敗したアイ文庫だったが、幸いメールマガジンの読者はたくさんいる。この人たちに配信してはどうか、ということになった。無料で。
そのころはまだ「オーディオブック」という言葉はほとんど普及しておらず、日本の市場といえば新潮社など一部の出版社が出している「朗読カセット」や「朗読CD」か、視覚障碍者向けの図書館など公共機関を中心としたボランティアに近い朗読サービスくらいだった。
アイ文庫では新潮社のように朗読CDとして展開したかったが、もちろんそんな販路も広告資金もなかった。そこで、ネットで自社プロモーションをおこない、コンピューターで焼いたCD-Rにプリンターでプリントしたジャケットを付けて、オンデマンドで販売しようとした。
問題はどうやってアイ文庫の朗読CDの販売を多くの人に知ってもらうか、だった。そこでオーディオブックの無料配信をおこなうことにしたのだ。適当な長さ(5分前後)に分割したオーディオファイルをレンタルサーバーにUPし、そのURLをメールマガジンに張りつけて配信する。
5分というのは音楽だと1曲分くらいの長さだが、オーディオブックの場合、長さがまちまちなので、当然分割配信ということになる。田中尋三が朗読した夏目漱石の「文鳥」という作品は60分程度だが、メールで分割配信するとなると12回連続になる。
分割したオーディオブックのエンディング部分に音声広告をつけたり、メールマガジンで朗読CDの宣伝をしたりと、いろいろな工夫をして、無料配信と有料販売を結びつけようとした。が、世の中、なかなかそううまくいくものではない。いながらにしてもうかったりはしない。
決済方法の問題もあったかもしれない。いまでこそ個人ですらクレジットカード決済が利用できるようになったが(売り手側の話)、当時はかなり大きな信用のある会社でなければ利用できなかった。それに利用料金も高額だった。決済方法は銀行振込か着払いしかなかった。
なかなか銀行振込までして朗読CDを買ってくれるという人は少ない。これはいまでもおなじことだ。それに朗読は、音楽と違って、一度聴いてしまうと何度もCDを聴きなおすということは少ない。おなじ価格だと音楽CDに比べて割高感があるのだ。制作費はあまり変わらないのに。
というようなわけで、実際にはなかなか朗読CDの売り上げに結びつけることは難しかったが、オーディオブックの無料配信はかなりの反響があった。もちろん好意的な反応ばかりではなかった。イントネーションがどうの、漢字の読み方がどうの、重箱の隅を徹底的につつかれた。
それはそれで勉強になるものだったし、好意的な反応も多かった。励ましのお便りもいただいたりした。それらに元気づけられ、私たちは朗読研究会の内容を深めながら、さらに文芸朗読の収録を続けていった。やがて「長編小説も連続配信してはどうか」ということを思いついた。
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