言葉を発音するその中にも、リップノイズが混入することがある。この頻度は朗読者によってまちまちで、頻度だけでなく強弱の差もある。リップノイズが多い人には、それを無くすためのトレーニングをしてもらうよう、その方法とともにアドバイスをしている。
朗読者にも、自分のリップノイズについて自覚のある人とない人がある。マイク収録の経験がある程度ある人は自覚がある場合が多いが、そうでない人はまったく自覚のないこともある。とにかく、実際に収録し、リップノイズをキャッチできる「耳を作る」ことが先決である。
このようにノイズカットは時間がかかる場合とかからない場合があるが、いずれにしても必要な編集作業のひとつだ。ほかに必要なものとしては、読みの間合いの調整などがあるが、これは収録時にディレクターがチェックするので、アイ文庫ではほとんど編集時にはやっていない。
読みのリズムや間合いは、収録時に整えたほうが、編集の恣意が働かない。なので、読み違いも収録時に止め、「パンチイン」という音楽製作では馴染みの手法で継ぎ目なく修正してしまう。編集時に間合いを動かすとすれば、タイトルと本文の間合い、タイミング程度だ。
編集の最後は、音声ファイルの整理だ。なんていう作品のどの部分なのかわかるように、決まったルールに従ってネーミングとナンバリングがおこなわれる。収録された原ファイルも、編集ずみのファイルも、すべて二重三重にバックアップを取っておくことはいうまでもない。
などと威張っているが、アイ文庫も初期のころはずいぶん大きな失敗をいくつかやらかした。いまでも強烈に覚えている失敗を開示しておく。まずは田中尋三と『吾輩は猫である』を収録しているときのことだった。何十回分もの編集前の原ファイルを、あやまって消失してしまった。
なにがどうなってそのようなことが起こったのか、いまとなっては思いだせないが、うっかりバックアップを取らないまま消去してしまったか、編集ソフトで変な操作をしてしまったか。とにかく、そのようなファイル消失事故は一、二回だけではすまなかった。
相原麻理衣の『坊っちゃん』のときも、神崎みゆきの『三四郎』のときも、岩崎さとこの『こころ』のときもあった。ほかにもあったかもしれない。何度も痛い教訓があり、いまはめったにそういう事故は起こさないようになった。しかし、油断はできないと、いつも戒めている。
※この項はTwitterで連載したものです。
新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。