渋谷のシアター・イメージフォーラムまで池谷薫監督のドキュメンタリー映画「先祖になる」を観に行ってきた。通常なら私のアンテナにまず引っかかることのないタイプの映画だが、今回観に行ってみようと思ったのは、徳久珠央さんがFacebookで絶賛していたからだ。
私は珠央さんの嗅覚を信用できると思っている。
それは「玉響のとき」という合同ライブをやったときの肌感覚といってもいいし、それまでにも何度かお話させていただいたときに感じたとても自分に正直な、しかしとても開いて風通しのいい感受性の方だという印象にも根ざしている。
だから、行ってみた。
陸前高田の気仙町に住んでいる77歳のじいさんに終始焦点があてられている。
消防団員だった息子をなくし、家も二階の床上まで津波に襲われたが、家はなんとか流されることなく残った。
とはいえ、見たところ、とても不自由なく暮らせるような状態ではない。
つまり、ぐちゃぐちゃ。
そんなことをものともせず、自分は山男だから水と米さえあれば生きていける、といって、平然とそこに暮らしている。
役所からは避難所への移動をなかば強制されているが、がんとして動かない。
動かないどころか、そこで暮らしながら、農業を再開し、山仕事のためにチェーンソーなどの機械を取り寄せ、そして新しい家を建てようとまでしている。
一貫した哲学があり、それにもとづいて揺らぎない人生を歩んでいる。
それに共感し、たったひとりじいさんを支えている男がいる。
この人がまたかっこいいんだ。
役者さんみたいで、ちょっと渡瀬恒彦に似ている。
街のけんか七夕の様子や、町内会の若い者、始まった山仕事の様子などを交えながら、じいさんの生活がこれでもかと接近して撮られている。
説明は一切ない。
音楽もなければ、ナレーションすらない。
愚直に感じるほどだが、しかし実は凄腕で編集されている。
こういうじいさんの生き方は、もちろん現代社会では受け入れられがたく、妻からもうとまれて別居状態になってしまう。
あまり多くは語られていなかったが、たぶん地域の人たちからも「あのどうしようもないがんこじじぃ」とうとまれている面もあるのではないか。
しかし、たったひとり、自分の支持者がいることで、じいさんは自分の人生をがんこに歩みつづけることができている。
人とはそういうものなのだ。
たったひとりでいいのだ。
そしてもうひとつ、重要なことは、じいさんが山にせよ農業にせよ、自分の仕事について100パーセント誇りを持ち自分自身を信頼していること。
はたして現代社会にどれほどこれだけ自分自身を信頼できている人間がいるだろうか。
私はできない。
山にはいれば20代のころと変わらないといいきり、チェーンソーをふるって杉の大木をいとも簡単に、正確に伐り倒していく。
そして倒した木にたいする礼儀と感謝も忘れない。
映画を観終わったあとかんがえたこと。
この生き方はもはや私たちには無理だろう、でもなにかできることはあるだろう。
自分に正直になること、正直になりつづけること、自分に誇りを持つこと、自分を信頼すること、自分自身を信頼できる人間にすること。
むずかしいが、それはたった一度の自分自身の人生にとって価値のあることではないだろうか。
そんなことを教えてもらった映画だった。
渋谷のシアター・イメージフォーラムにて上映中。
詳細はこちら。
そして、徳久珠央さんとの「玉響のとき Vol.5」は3月30日午後の開催です。
予約定員に限りがあるので、早めにお問い合わせ・お申し込みください。