2013年11月18日月曜日

セシル・テイラーと田中泯! 観てきた

昨日の夕方、草月ホールでおこなわれたセシル・テイラーと田中泯のデュオ公演を観に行った。
これはセシル・テイラーが京都賞を受賞したことを記念しておこなわれた公演で、「論理はいらない、魔術をつかめ」というなにやら意味不明の表題がついていた。

セシル・テイラーといっても知らない人が多いかもしれないが、私にとっては青春時代の超アイドルピアニスト。
知る人ぞ知るフリージャズの帝王で、いまでもちょくちょく聴く。
そんなファンの私でも、まだ生きているとは知らなかった(失礼)。
1929年生まれというから、いま84歳ということになる。
ピアノ、まともに弾けるのか? という素直な疑問が。

10年くらい前だったか、トミー・フラナガンの最後の来日では、トミーのよれよれの(しかし味わい深い)演奏に涙したものだ。
セシルはどうなんだろう。
田中泯は何度も観ているので、セシルのほうがはるかに気になる。

250席ある会場は完全に満席。
熱気むんむん。
年齢層はかなり高く、若干殺気立っているように感じたのは私の思い違いだろうか。

開演すると、薄暗いステージの上手からふたりの男が出てきた。
ひとりはあきらかに田中泯で、出だしから無音のなかでけっこう大きくひらひらと踊っている。
軽い。
もうひとりの男は帽子をかぶって背を曲げ、かなり前のめりになって、たぶんセシルなのだろうが、あれ? なんか踊っている。
というより、舞踏的な動きでステージ上をゆっくりとぎくしゃくと移動していく。
かなりの時間をかけて、下手のベーゼンドルファーへと近づいていく。
舞踏家なのか?
プログラムにはもうひとり舞踏がいるとは書いてなかった。
だれなんだろう。

かなり体認の行き届いた動きでピアノにたどりついたその男は、手に持ったスティックで譜面台を叩いたり、ピアノの低い弦をつまびいて音を出したりして、長い時間をかけてピアノの椅子に座った。
やはりこれがセシルなのだった。
なんという動きなのだろう。
舞踏的な動きということでは、田中泯より存在感があるではないか。

演奏がはじまった。
最初はさぐるようにごく弱いタッチで不規則な音を出したりしていたが、演奏するその目はピアノのまわりを動きまわる田中泯に注がれている。
非常な集中を感じる。
しだいに音が増えていき、中盤からかなり激しい演奏が混じるようになった。
クラスタ奏法で音塊がステージに満ち、と思うと消え入るような繊細な音階が挿入され、そしてまた激しい音塊がわきおこる。
身体全体が脈打ってスイングしている。
なんというスイング感だろう。
聴いているこちらの意識が音のなかに吸いこまれそうだ。

踊っている田中泯はその音を聴いているのだろうが、あえて反応していないようにも見えるし、反応できていないようにも思える。
ときおり呼応するように動くことがあって、反応できないわけではないとわかるが、おなじようなパフォーマンスを朗読者とやることが多い私としては、コミュニケーションに関して不満を感じてしまう。

小休憩があって、第二部でセシルが上手から出てきたときは、すたすたと歩いてピアノのところに行ったから、最初に出てきたときの動きはやはり舞踏を意識したものなのだとわかった。
それにしても84歳。
背のまがった、ちいさなおじいさん。
その演奏の切れ!
世界にはおそろしい人がいるものだ。

終わってから、このためにわざわざ名古屋から出てきた位里ちゃんや、元クセック女優の水谷友子、野々宮卯妙と、友子推薦の「おもしろい中華」の店に行き、大いに盛り上がった。
後半は女子トーク炸裂で私も楽しませてもらったが、15日と16日におこなわれたカルメン・マキさんとの公演「白い月、あるいは鳥の歌」のディープな余韻が日が変わっても消えず、ちょっととまどっていたのだが、このセシル・テイラーと田中泯の公演、そして位里ちゃんたちとの飲みですっかりリセットできて、爽快な気分で帰宅することができた。
すべてのものごとに感謝!