宮本常一という実在の人物を中心に、第二次世界大戦中の若い民俗学者たちの葛藤を描いた劇で、2時間半の大作だった。
脚本はいつもの長田育恵。
膨大な下調べと資料精査があったろうと想像できる脚本で、セリフの分量も半端ではない。
それを全部覚えて演技する役者たちの労力も並大抵のものではない。
装置も緻密に作られていて、場面転換も計算しつくされている。
とくに目をみはったのは、扇田くんの演出ではいつもそうだが、時間経過を表現する群衆がステージ上で交錯していくシーン。
よく見ると、限られた人数の役者の、おそらく舞台袖では修羅場が展開されていたことだろう、早着替えによる季節の変化、そして歩行姿勢による年月変化が表現されていた。
役者の身体性をよく引きだしている演出は、相変わらず緻密極まりない。
小規模劇場ではあるが、緻密に構築されたステージを観ることの快楽を味わわせてもらった。
そしてどうしても引き比べてしまうのは、わが現代朗読の「脱構築」という方向性。
予測されることを手放し、偶有性の世界に身を投じ、たくらみを捨てていく。
たぶん真逆のベクトルなのだろうが、なぜかどこかで切り結ぶような気がしてならない。
このところ引っ張りだこでとても忙しそうな扇田くんだが、どこかでゆっくり話をしてみたいなあ、と思った。