2011年10月22日土曜日

家事を楽しくやれる人とやれない人の違い(2)

 昨日のつづきの家事の話です。
 私も実は家事が嫌いでした。子どものころから家事はめんどくさいもの、やらなくてすめばそれに越したことはないもの、自分のやりたいことや大事な仕事の邪魔をするもの、という思いこみがありました。
 しかし、あるとき気がついたのです。その思いこみは自分が思ったのではなく、外部からあたえられた価値観なのだ、ということに。
 たとえば私のような世代の男は、子どものころから、家事はおもに女性がするもの、と思いこまされて育ちました。例えば父親が洗濯や掃除をしているところなど見たことがありません。それらは母親の仕事でした。たまに父親が釣ってきた魚をさばいたりするのを見ることがありましたが、非常にめずらしい光景でした。だから、居間で男がテレビを見ながらビールを飲んでいるときに、妻が台所で洗いものをしている風景も、さほど違和感を覚えませんでした。
 が、ある時期から男性も家事や育児に参加すべし、ということが盛んにいわれるようになりました。その言説の背景には、「つらくてめんどくさい家事や育児」を女だけでなく男も肩代わりすべきだ、という空気があったように思います。つまり、いぜんとして社会には、家事を下等な労働として位置づける空気が流れていたのです。
 この項、さらにつづきます。