「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、岸田國士「現代日本の演劇」です。
今日のフォトは瓶入りの飲み物、テキストは岸田國士「現代日本の演劇」です。
コーラやジンジャーエール、ビールなど、ガラスの瓶に入った飲料は、もはやなつかしい感じすらします。
水城ゆうブログ
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2013年1月23日水曜日
2013年1月22日火曜日
電子書籍のレビューで猫の絵プレゼント
これを読んでいる方にお願いがあります(要求ではないので無視してくれてもいっこうにかまいません)。アマゾンのKindleストアに私・水城ゆうの電子書籍コンテンツが出ていますが、そこからお買い上げいただいた際に作品レビューを書いていただきたいのです。
現在出ている作品です。
『共感的コミュニケーション〔入門編〕』
『原発破壊』
『浸透記憶』
『祈る人』
リンクはこちら。
いずれも100円から500円という価格です。
で、レビューを書いていただいた方には、もれなく私が描いた猫スケッチの絵はがき3枚セットをプレゼントさせていただきます。
どの作品にレビューを書いたのか、送り先とともにメールをください。
メールはこちら。
レビューは正直に書いていただいていいですよ。
まあ、あまりなこき下ろしはアレですが(笑)。
現在出ている作品です。
『共感的コミュニケーション〔入門編〕』
『原発破壊』
『浸透記憶』
『祈る人』
リンクはこちら。
いずれも100円から500円という価格です。
で、レビューを書いていただいた方には、もれなく私が描いた猫スケッチの絵はがき3枚セットをプレゼントさせていただきます。
どの作品にレビューを書いたのか、送り先とともにメールをください。
メールはこちら。
レビューは正直に書いていただいていいですよ。
まあ、あまりなこき下ろしはアレですが(笑)。
映像コンテンツ:水城ゆう音楽塾 第2回 配信スタートしました
水城ゆう音楽塾 第2回「大衆音楽の誕生と発展、日本のポップス」を映像コンテンツとして配信スタートしました。
■本編はこちら。
■こちらから試聴できます。
2012年末からはじまって現在も大好評開催中の「水城ゆう音楽塾」。
学校では教わらなかった、そして音楽評論家や演奏者のだれもが教えてくれない音楽の本質に大胆に迫ります。
また、それを知り、水城式即興演奏法のエチュードを学ぶことで、まったく演奏経験のない人も即興演奏を楽しんだり、オリジナル曲を作れるようになる音楽塾。
これが映像コンテンツとして広くご利用いただけるようになりました。
第二回の内容
好評を博した単行本『だれも教えてくれなかったジャズの聴き方』(ブックマン社)の著者であり、即興ピアニストでもある水城ゆうが、音楽全般についての歴史、聴き方、演奏法についておこなった「だれも教えてくれなかった」講義シリーズの第二弾。
第一回で解説した西洋クラシック音楽の歴史を踏まえて、20世紀に始まったポピュラー音楽の成り立ちと経緯、その仕組み、そして日本の大衆音楽に使われている音階について解説する。
クラシック音楽の終焉
メディアの登場(放送とコピー文化の始まり)
賛美歌、ミュージカル、大衆音楽の登場
黒人霊歌、ブルースの誕生
ディキシーランドからスウィングへ
ビバップ革命からクールジャズへ
モダンジャズ
リズム&ブルース
ロックンロール
フォーク
ビートルズ、そしてロックの誕生
フュージョン(クロスオーバー)
多彩なポップ・ミュージックへ
日本のポップスの事情
日本人の音階
演歌、わらべ歌、唱歌
■音楽塾第1回の紹介とダウンロードはこちら。
■本編はこちら。
■こちらから試聴できます。
2012年末からはじまって現在も大好評開催中の「水城ゆう音楽塾」。
学校では教わらなかった、そして音楽評論家や演奏者のだれもが教えてくれない音楽の本質に大胆に迫ります。
また、それを知り、水城式即興演奏法のエチュードを学ぶことで、まったく演奏経験のない人も即興演奏を楽しんだり、オリジナル曲を作れるようになる音楽塾。
これが映像コンテンツとして広くご利用いただけるようになりました。
第二回の内容
好評を博した単行本『だれも教えてくれなかったジャズの聴き方』(ブックマン社)の著者であり、即興ピアニストでもある水城ゆうが、音楽全般についての歴史、聴き方、演奏法についておこなった「だれも教えてくれなかった」講義シリーズの第二弾。
第一回で解説した西洋クラシック音楽の歴史を踏まえて、20世紀に始まったポピュラー音楽の成り立ちと経緯、その仕組み、そして日本の大衆音楽に使われている音階について解説する。
クラシック音楽の終焉
メディアの登場(放送とコピー文化の始まり)
賛美歌、ミュージカル、大衆音楽の登場
黒人霊歌、ブルースの誕生
ディキシーランドからスウィングへ
ビバップ革命からクールジャズへ
モダンジャズ
リズム&ブルース
ロックンロール
フォーク
ビートルズ、そしてロックの誕生
フュージョン(クロスオーバー)
多彩なポップ・ミュージックへ
日本のポップスの事情
日本人の音階
演歌、わらべ歌、唱歌
■音楽塾第1回の紹介とダウンロードはこちら。
2013年1月21日月曜日
ルーティーンを守ることから創造性が生まれる
photo credit: Rick McCharles via photopincc
すでにいろいろな人が言及していることなので、いまさら私がいうこともないと思うけれど、自分自身へのメッセージとして書いておくことにする。
古今東西の芸術家や表現者は、とかく、自由奔放な性格で気ままな生活をしていたというイメージがなぜか定着しているけれど、実際にはまったくそうではない。
すぐれた仕事を残すには、気ままで放埒な生活では不可能なのだ。
それはやってみればわかる。
私も自律が足りないために、思うような仕事ができずに悩んでいる者のひとりだ。
テキストであれ音楽であれ絵画であれ、その他さまざまな表現の世界では、創作のインスピレーションはとても微細な信号としてやってくる。
それをキャッチして、大事に育て、作品に仕上げていくのが、アーティストの仕事の主要部分といっていい。
やたらイベントが多く、乱雑で、変化にまみれた生活をしていると、微細なインスピレーションをとらえることなどできない。
毎日、ルーティーンをこなし、静かで変化の少ない生活を守っていなければ、微細な創造的信号をキャッチできない。
多くのアーティストが、毎日、決まりきった退屈な生活を送っていたことはよく知られている。
決まった時間に起き、決まった食事をとり、コーヒー豆の数をかぞえ、おなじ散歩道をおなじ時間に通る。
儀式のようにルーティーンをこなし、創作に向かう。
そんな生活のなかで「ちらっ」とあらわれてくるインスピレーションを確実にキャッチし、人生の真実に肉薄するような表現作品をものにする。
多くの名作はそのようにして生まれた。
私もいま、人生の終わりにさしかかって、どのように最後の作品を残せるかということばかりをかんがえている。
ルーティーン。
これがもっとも重要だ。
起床時間、食事、身体を鍛え本を読むこと、決まった時間に机に向かうこと。
生きる「意味」を大切にするためにも、いまいちどルーティーンを見直してみたい。
夜は午後10時までに眠りにつく。
朝は午前4時すぎには起きる。
起きたら、脳みそがフレッシュなうちに「創作仕事」に取りかかって、5時から8時くらいまでは集中したい。
そのあと、ゴミ出しだの、朝食だの、必要なことをこなして、プールに行けるときは行くし、行けないときはウォーキング(身体を動かすことは大切だ)。
日中は講座やワークショップ、人と会ったり出かけたり。
夕方から夜は講座・ワークショップ、もしくはそれがなければ本を読んだり、映像を見たり音楽を聴いたり。
ようするに、早朝の時間帯が勝負ということだな。
明日からあらためてやる。
つまり、今夜は10時に寝る(笑)。
すでにいろいろな人が言及していることなので、いまさら私がいうこともないと思うけれど、自分自身へのメッセージとして書いておくことにする。
古今東西の芸術家や表現者は、とかく、自由奔放な性格で気ままな生活をしていたというイメージがなぜか定着しているけれど、実際にはまったくそうではない。
すぐれた仕事を残すには、気ままで放埒な生活では不可能なのだ。
それはやってみればわかる。
私も自律が足りないために、思うような仕事ができずに悩んでいる者のひとりだ。
テキストであれ音楽であれ絵画であれ、その他さまざまな表現の世界では、創作のインスピレーションはとても微細な信号としてやってくる。
それをキャッチして、大事に育て、作品に仕上げていくのが、アーティストの仕事の主要部分といっていい。
やたらイベントが多く、乱雑で、変化にまみれた生活をしていると、微細なインスピレーションをとらえることなどできない。
毎日、ルーティーンをこなし、静かで変化の少ない生活を守っていなければ、微細な創造的信号をキャッチできない。
多くのアーティストが、毎日、決まりきった退屈な生活を送っていたことはよく知られている。
決まった時間に起き、決まった食事をとり、コーヒー豆の数をかぞえ、おなじ散歩道をおなじ時間に通る。
儀式のようにルーティーンをこなし、創作に向かう。
そんな生活のなかで「ちらっ」とあらわれてくるインスピレーションを確実にキャッチし、人生の真実に肉薄するような表現作品をものにする。
多くの名作はそのようにして生まれた。
私もいま、人生の終わりにさしかかって、どのように最後の作品を残せるかということばかりをかんがえている。
ルーティーン。
これがもっとも重要だ。
起床時間、食事、身体を鍛え本を読むこと、決まった時間に机に向かうこと。
生きる「意味」を大切にするためにも、いまいちどルーティーンを見直してみたい。
夜は午後10時までに眠りにつく。
朝は午前4時すぎには起きる。
起きたら、脳みそがフレッシュなうちに「創作仕事」に取りかかって、5時から8時くらいまでは集中したい。
そのあと、ゴミ出しだの、朝食だの、必要なことをこなして、プールに行けるときは行くし、行けないときはウォーキング(身体を動かすことは大切だ)。
日中は講座やワークショップ、人と会ったり出かけたり。
夕方から夜は講座・ワークショップ、もしくはそれがなければ本を読んだり、映像を見たり音楽を聴いたり。
ようするに、早朝の時間帯が勝負ということだな。
明日からあらためてやる。
つまり、今夜は10時に寝る(笑)。
寒いけどいい天気、富士見台まで音読ケアとピアノ演奏に行く
朝からいい天気。だが寒い。
日のあたらない裏道にはまだ大量の雪が、凍りついたまま残っている。
私の部屋は角部屋で、東と南に向いているので、大変日当りがいい(夏は地獄)。
植物がよく育ってうれしい。
とくに冬の寒い時期にも、寒さに弱い観葉植物や蘭も元気なのでいい。
毎日の植物の世話は手間がかかるけれど、それがまた楽しい。
仕事机の上やまわりにも緑を置いていて、毎日間近に見ていると、すこしずつ動いているのがわかる。
午後は富士見台まで行って、メディカルホームまどか富士見台でのいきいき音読ケアに参加してくる。
今回のメインは音読療法士補のピリカさんで、補助にボイスセラピストのKATさんと日榮さんがついた。
私はほとんどなにもせずに、見ているだけ。
今回も唱歌「冬景色」の歌詞を使ったエチュードをおこなったのだが、最後にそれをみんなで歌うときにピアノ伴奏をした。
まどか富士見台にはグランドピアノがあるのだ。
歌ったあとには、季節の唱歌のメドレー演奏をする。
「たき火」「雪」「春が来た」「どこかで春が」など。
最後にもう一度「冬景色」を歌って終了。
明日は梅丘のホットケーキの名店〈リトルツリー〉で、ボイスセラピストの植森さんがファシリテートする音読と、私と野々宮が協力しての朗読エチュードのイベント。
もちろんおいしいホットケーキをいただきながら。
インフルエンザにかかって来られなくなった人がいるので、予約に1、2名余裕があります。
興味がある方はこちらをどうぞ。
日のあたらない裏道にはまだ大量の雪が、凍りついたまま残っている。
私の部屋は角部屋で、東と南に向いているので、大変日当りがいい(夏は地獄)。
植物がよく育ってうれしい。
とくに冬の寒い時期にも、寒さに弱い観葉植物や蘭も元気なのでいい。
毎日の植物の世話は手間がかかるけれど、それがまた楽しい。
仕事机の上やまわりにも緑を置いていて、毎日間近に見ていると、すこしずつ動いているのがわかる。
午後は富士見台まで行って、メディカルホームまどか富士見台でのいきいき音読ケアに参加してくる。
今回のメインは音読療法士補のピリカさんで、補助にボイスセラピストのKATさんと日榮さんがついた。
私はほとんどなにもせずに、見ているだけ。
今回も唱歌「冬景色」の歌詞を使ったエチュードをおこなったのだが、最後にそれをみんなで歌うときにピアノ伴奏をした。
まどか富士見台にはグランドピアノがあるのだ。
歌ったあとには、季節の唱歌のメドレー演奏をする。
「たき火」「雪」「春が来た」「どこかで春が」など。
最後にもう一度「冬景色」を歌って終了。
明日は梅丘のホットケーキの名店〈リトルツリー〉で、ボイスセラピストの植森さんがファシリテートする音読と、私と野々宮が協力しての朗読エチュードのイベント。
もちろんおいしいホットケーキをいただきながら。
インフルエンザにかかって来られなくなった人がいるので、予約に1、2名余裕があります。
興味がある方はこちらをどうぞ。
朗読で痩せるか?
photo credit: isergy via photopincc
朗読や呼吸法でダイエット、という本やビデオが売れまくっている。私も実をいえば、朗読ダイエットをうたうことで本を売ったり、集客したり、という誘惑にかられたことが何度かある。
が、結局そのたびに、実証性、客観性、正当性を大切にするために、思いとどまってきた。
実際のところ、朗読とある種の呼吸法にはダイエット効果はある。
これはゼミ生の多くが体感し、証言しているし、実際に現代朗読協会の仲間にはいわゆる「デブ」な人はひとりもいない。
どういうことなのか、少しだけ紹介したい。
朗読では長く吐いていく呼吸を使う。
音読療法で使う呼吸法においても、長くほそく吐いていく呼吸法が重要だ。
これにはふたつの効果がある。
・吐く呼吸のための呼吸筋の強化
・副交感神経の昂進による心身の鎮静化
とくに前者がダイエット効果につながる。
吐くときに使う呼吸筋は、おもに、内肋間筋、腹横筋、外腹斜筋、内腹斜筋といった、深層筋群(いわゆるコアマッスル)を使う。
これは意識的に鍛えにくい筋肉で、これを鍛え、太くすることで、基礎代謝をあげることは期待できる。
また、これらは腹部の筋肉なので、腹部を引きしめる効果も期待できる。
つまり「くびれ」を作る効果があるかもしれない。
以上の事実によって、朗読にはダイエット効果がある、といえるかもしれない。
しかし私はダイエット効果を期待してくる人を集めたいのではない。
結果的にダイエット効果はあるかもしれないし、そのことを喜ぶ人がいてもいいとは思うが、私が望むのは自分を表現したいという切実な気持ちを持った人たちに、現代朗読のすばらしさ、おもしろさを伝えることなのだ。
だからダイエット効果をかかげて売ったり、集客しようとは思わない。
朗読や呼吸法でダイエット、という本やビデオが売れまくっている。私も実をいえば、朗読ダイエットをうたうことで本を売ったり、集客したり、という誘惑にかられたことが何度かある。
が、結局そのたびに、実証性、客観性、正当性を大切にするために、思いとどまってきた。
実際のところ、朗読とある種の呼吸法にはダイエット効果はある。
これはゼミ生の多くが体感し、証言しているし、実際に現代朗読協会の仲間にはいわゆる「デブ」な人はひとりもいない。
どういうことなのか、少しだけ紹介したい。
朗読では長く吐いていく呼吸を使う。
音読療法で使う呼吸法においても、長くほそく吐いていく呼吸法が重要だ。
これにはふたつの効果がある。
・吐く呼吸のための呼吸筋の強化
・副交感神経の昂進による心身の鎮静化
とくに前者がダイエット効果につながる。
吐くときに使う呼吸筋は、おもに、内肋間筋、腹横筋、外腹斜筋、内腹斜筋といった、深層筋群(いわゆるコアマッスル)を使う。
これは意識的に鍛えにくい筋肉で、これを鍛え、太くすることで、基礎代謝をあげることは期待できる。
また、これらは腹部の筋肉なので、腹部を引きしめる効果も期待できる。
つまり「くびれ」を作る効果があるかもしれない。
以上の事実によって、朗読にはダイエット効果がある、といえるかもしれない。
しかし私はダイエット効果を期待してくる人を集めたいのではない。
結果的にダイエット効果はあるかもしれないし、そのことを喜ぶ人がいてもいいとは思うが、私が望むのは自分を表現したいという切実な気持ちを持った人たちに、現代朗読のすばらしさ、おもしろさを伝えることなのだ。
だからダイエット効果をかかげて売ったり、集客しようとは思わない。
音読日めくり1月21日:牧野信一「地球儀」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、牧野信一「地球儀」です。
今日のフォトはAED付き自動販売機です。
なるほど、自動販売機は電力が来てますからAEDをくっつけておくのはいいアイディアですね。
しかし、とっさのときにAEDを使える人がどのくらいいるのか、そこが問題です。
今日のフォトはAED付き自動販売機です。
なるほど、自動販売機は電力が来てますからAEDをくっつけておくのはいいアイディアですね。
しかし、とっさのときにAEDを使える人がどのくらいいるのか、そこが問題です。
2013年1月20日日曜日
マダガスカル、玉響のとき、音楽塾、徳久口琴
ゼミ生の木多村さんがひさしぶりに羽根木に来る。マダガスカル帰り。
仕事で半年ほど滞在していらして、その前にも何度か行っていた。
今年もまた行くらしい。
マダガスカルのいろいろな話をたくさん聞かせてもらった。
おもしろいのなんのって。
しかし、日本に帰ってくるのが大変で、帰ってきてからも頭を2針縫う怪我をしたりして、波瀾万丈の近況だ。
録音機材やソフトのことをいろいろ伝えて、実際に音声収録して聞いてもらったり見てもらったり。
私としては「マダガスカル通信」みたいなラジオ的なトークを向こうから定期的に送ってもらいたいものだ。
そうしたらそれを編集して、Podcast番組として流せる。
それほどマダガスカルの話はおもしろい。
一度行ってみたいと思うけれど、たぶん一生行くことはないだろうなあ。
気がついたら午後の「玉響のとき Vol.4」のスタート時間が迫っていた。
いそいで演奏機材のセッティングをする。
フットセラピストの徳久珠央さんもちょっと遅れてやってきた。
Vol.2 も羽根木の家でおこなったので、段取りはわかっている。
予約した方が順番に15分前後のフットマッサージを受けていくあいだに、私がそれを見ながら、外の物音や自分の気持ちの変化にあわせて即興で瞑想的音楽を演奏する、というライブイベントだ。
今回も不思議な時間が流れ、古民家の座敷が異空間になったような感じ。
演奏する私も不思議な流れ(フロー)のなかにたゆたいながら、ずっとマインドフルな状態で演奏をつづけていた。
気がついたら2時間近く、ずっと切れ目なく演奏していた。
通常のライブではありえない。
夕方5時から音楽塾。
といっても、参加者はピリカさんひとり。
今日は「音律」の話と、即興演奏に必須である「相対音感」のエチュードをいくつかやった。
最後にピリカさんに簡単な曲を弾いてもらったが、耳覚えのある唱歌程度の曲ならもう楽譜なしですぐに弾けるようになってきた。
夜は徳久ウイリアムくんによる口琴ワークショップ。
羽根木に初めて来る人ばかり。
さまざまな顔ぶれがあって、ちょっとめずらしい感じだ。
これを書いているいまも、横で開催中。
仕事で半年ほど滞在していらして、その前にも何度か行っていた。
今年もまた行くらしい。
マダガスカルのいろいろな話をたくさん聞かせてもらった。
おもしろいのなんのって。
しかし、日本に帰ってくるのが大変で、帰ってきてからも頭を2針縫う怪我をしたりして、波瀾万丈の近況だ。
録音機材やソフトのことをいろいろ伝えて、実際に音声収録して聞いてもらったり見てもらったり。
私としては「マダガスカル通信」みたいなラジオ的なトークを向こうから定期的に送ってもらいたいものだ。
そうしたらそれを編集して、Podcast番組として流せる。
それほどマダガスカルの話はおもしろい。
一度行ってみたいと思うけれど、たぶん一生行くことはないだろうなあ。
気がついたら午後の「玉響のとき Vol.4」のスタート時間が迫っていた。
いそいで演奏機材のセッティングをする。
フットセラピストの徳久珠央さんもちょっと遅れてやってきた。
Vol.2 も羽根木の家でおこなったので、段取りはわかっている。
予約した方が順番に15分前後のフットマッサージを受けていくあいだに、私がそれを見ながら、外の物音や自分の気持ちの変化にあわせて即興で瞑想的音楽を演奏する、というライブイベントだ。
今回も不思議な時間が流れ、古民家の座敷が異空間になったような感じ。
演奏する私も不思議な流れ(フロー)のなかにたゆたいながら、ずっとマインドフルな状態で演奏をつづけていた。
気がついたら2時間近く、ずっと切れ目なく演奏していた。
通常のライブではありえない。
夕方5時から音楽塾。
といっても、参加者はピリカさんひとり。
今日は「音律」の話と、即興演奏に必須である「相対音感」のエチュードをいくつかやった。
最後にピリカさんに簡単な曲を弾いてもらったが、耳覚えのある唱歌程度の曲ならもう楽譜なしですぐに弾けるようになってきた。
夜は徳久ウイリアムくんによる口琴ワークショップ。
羽根木に初めて来る人ばかり。
さまざまな顔ぶれがあって、ちょっとめずらしい感じだ。
これを書いているいまも、横で開催中。
玉響のとき Vol.4 @羽根木の家(with ミュージック・メディテーション)のお知らせ
フットセラピストの徳久珠央さんがおこなっているフットセラピーと音表現のコラボ企画「玉響(たまゆら)のとき」の第3弾が、ふたたび水城ゆうのミュージック・メディテーションとのコラボで開催されます。
即興演奏による瞑想音楽、フットセラピー、そしてご参加いただく方々とがともに響きあい、また羽根木の家という古民家環境そのものと相まって空間全体がもみほぐされ、またたがいにもみほぐすような経験を提供すべく準備をすすめています。
ゆったりとたおやかな時間を共有できれば幸せです。
◎日時 2013年1月20日(日) 14:00〜15:30
◎場所 羽根木の家
世田谷区羽根木1-20-17
京王井の頭線「新代田」駅下車徒歩2分
◎参加費 フットセラピー/お茶・菓子付き 2,500円
ライブ/お茶・菓子付き 1,500円
フットセラッピーについて……
・おひとり10分程度を演奏中に順番におこないます。
・参加人数に限りがありますので、ご希望の方は早めにお申し込みください。
・定員になりましたら締め切らせていただきます。
☆ライブのみの参加も歓迎です♪
※ご予約はこちらまで
MAIL : info@roudoku.org
TEL : 090-9962-0848
FAX : 03-6893-0595
前回「玉響のとき Vol.2」の抜粋映像はこちら。
即興演奏による瞑想音楽、フットセラピー、そしてご参加いただく方々とがともに響きあい、また羽根木の家という古民家環境そのものと相まって空間全体がもみほぐされ、またたがいにもみほぐすような経験を提供すべく準備をすすめています。
ゆったりとたおやかな時間を共有できれば幸せです。
◎日時 2013年1月20日(日) 14:00〜15:30
◎場所 羽根木の家
世田谷区羽根木1-20-17
京王井の頭線「新代田」駅下車徒歩2分
◎参加費 フットセラピー/お茶・菓子付き 2,500円
ライブ/お茶・菓子付き 1,500円
フットセラッピーについて……
・おひとり10分程度を演奏中に順番におこないます。
・参加人数に限りがありますので、ご希望の方は早めにお申し込みください。
・定員になりましたら締め切らせていただきます。
☆ライブのみの参加も歓迎です♪
※ご予約はこちらまで
MAIL : info@roudoku.org
TEL : 090-9962-0848
FAX : 03-6893-0595
前回「玉響のとき Vol.2」の抜粋映像はこちら。
すべての人が表現しあい尊重しあえる世界になればいい
photo credit: ChrisHaysPhotography via photopincc
本当によく訊かれるのだが、「水城さんはなにが本業なんですか?」
こう訊くたいていの人は、人の「本業」はひとつしかないと思っている。
会社員とか医者とかお百姓とか豆腐屋とか小説家とかピアニストとかこけし職人とか服飾デザイナーとか。
これまで何度も訊かれて、そのつどかんがえてきたけれど、自分がやっていることをある職域をしめすひとつの言葉であらわすのは、無理。
ひとことであらわすのは無理だけど、「ここ見て」といえばわかってもらえるウェブサイトのようなものを整備しておこうと思いたって、現在作業中。
で、書きだしてみた自分自身のキーワード。
文章(テキスト)
長編小説
短編、詩、シナリオ、朗読用フリーテキスト
テキスト表現ゼミ
音楽
CD
映像
作曲
ミュージック・メディテーション
即興演奏法
音楽塾
現代朗読
協会のゼミやワークショップ・講座など
演出&出演
音読療法
共感的コミュニケーション
ほかにスケッチとか料理とか、これは趣味の領域か。
これら、自分のなかでは全部ひとつにつながっている。
表現の統一理論というものも最近完成しつつある。
すべての人が表現者として生きればいいと思っている。
ひとりひとりがオリジナルでユニークな、唯一無二の貴重な存在として、お互いに表現しあい、尊重しあえる世界になればいい。
本当によく訊かれるのだが、「水城さんはなにが本業なんですか?」
こう訊くたいていの人は、人の「本業」はひとつしかないと思っている。
会社員とか医者とかお百姓とか豆腐屋とか小説家とかピアニストとかこけし職人とか服飾デザイナーとか。
これまで何度も訊かれて、そのつどかんがえてきたけれど、自分がやっていることをある職域をしめすひとつの言葉であらわすのは、無理。
ひとことであらわすのは無理だけど、「ここ見て」といえばわかってもらえるウェブサイトのようなものを整備しておこうと思いたって、現在作業中。
で、書きだしてみた自分自身のキーワード。
文章(テキスト)
長編小説
短編、詩、シナリオ、朗読用フリーテキスト
テキスト表現ゼミ
音楽
CD
映像
作曲
ミュージック・メディテーション
即興演奏法
音楽塾
現代朗読
協会のゼミやワークショップ・講座など
演出&出演
音読療法
共感的コミュニケーション
ほかにスケッチとか料理とか、これは趣味の領域か。
これら、自分のなかでは全部ひとつにつながっている。
表現の統一理論というものも最近完成しつつある。
すべての人が表現者として生きればいいと思っている。
ひとりひとりがオリジナルでユニークな、唯一無二の貴重な存在として、お互いに表現しあい、尊重しあえる世界になればいい。
音読日めくり1月20日:河上肇『枕上浮雲』
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、河上肇『枕上浮雲』です。
今日のフォトは病院の放射線管理区域の標識です。
レントゲン撮影室のある一角がそのように指定されています。
MRIもありましたが、これは放射線とは関係ないはず。
今日のフォトは病院の放射線管理区域の標識です。
レントゲン撮影室のある一角がそのように指定されています。
MRIもありましたが、これは放射線とは関係ないはず。
2013年1月19日土曜日
基礎講座、昼ゼミ、テキスト表現ゼミ、今日もおもしろい
午前10時から現代朗読基礎講座の今期2回め。風邪による欠席1名、連絡なしの欠席1名。
こんにちにおける朗読技術と称しておこなわれている放送技術の成立経緯と、その具体的内容についての解説と実践。
この技術を朗読「表現」としてどのように扱うかについての解説も。
最後に全員、ひとりずつ読みを聞かせてもらう。
共感的なリスニング・エチュードを使って。
午後3時から昼ゼミ。
各自のニーズにしたがって進行。
まずは31日の夜におこなうてんトコロ&山田みぞれのネットライブの稽古。
ふたりともいろいろ工夫してきて、かなりおもしろくなってきた。
私は音楽演奏で参加するつもりだが、ふたりのおもしろさを壊さないように、できればより引き立たせるようにしたいものだ。
佐藤くんが漱石の『それから』を読んだ。
ちょっと思いついて「気にかかり朗読」という演出をつけてみたら、これがめっぽうおもしろく、また佐藤くんもそれにうまく対応してくれたので、これはいつかどこかでやってみたい。
植森さんが賢治の「虔十公園林」を読んだ。
独特の雰囲気のある読みで、いいんだな、これが。
植森さん主催の音読と朗読のワークショップを、ホットケーキで話題の梅丘〈リトルツリー〉で次の火曜日に開催する。
詳しくはこちら。
休憩時間に植森さんが〈リトルツリー〉で行なうための音読ワークの呼吸法などを、みぞれちゃんや古川さんや奥田くん相手に稽古していた。
午後6時からテキスト表現ゼミ。
今回のテーマは「初恋」。
昼ゼミから引きつづき、植森さんとみぞれちゃんが参加してくれた。
作品を読んだあと、作品のプロット作りについての解説と練習をやってみる。
みんなであれこれ、プロットの作り方を実践してから、できた設定をそのまま次回の作品テーマとする。
小説というのは、プロットが命なのではない、そんなものは表現の素材にすぎなくて、そこからいかに身体性をテキストのなかに立ちあげていくのかが大切なのだ、という話をする。
こんにちにおける朗読技術と称しておこなわれている放送技術の成立経緯と、その具体的内容についての解説と実践。
この技術を朗読「表現」としてどのように扱うかについての解説も。
最後に全員、ひとりずつ読みを聞かせてもらう。
共感的なリスニング・エチュードを使って。
午後3時から昼ゼミ。
各自のニーズにしたがって進行。
まずは31日の夜におこなうてんトコロ&山田みぞれのネットライブの稽古。
ふたりともいろいろ工夫してきて、かなりおもしろくなってきた。
私は音楽演奏で参加するつもりだが、ふたりのおもしろさを壊さないように、できればより引き立たせるようにしたいものだ。
佐藤くんが漱石の『それから』を読んだ。
ちょっと思いついて「気にかかり朗読」という演出をつけてみたら、これがめっぽうおもしろく、また佐藤くんもそれにうまく対応してくれたので、これはいつかどこかでやってみたい。
植森さんが賢治の「虔十公園林」を読んだ。
独特の雰囲気のある読みで、いいんだな、これが。
植森さん主催の音読と朗読のワークショップを、ホットケーキで話題の梅丘〈リトルツリー〉で次の火曜日に開催する。
詳しくはこちら。
休憩時間に植森さんが〈リトルツリー〉で行なうための音読ワークの呼吸法などを、みぞれちゃんや古川さんや奥田くん相手に稽古していた。
午後6時からテキスト表現ゼミ。
今回のテーマは「初恋」。
昼ゼミから引きつづき、植森さんとみぞれちゃんが参加してくれた。
作品を読んだあと、作品のプロット作りについての解説と練習をやってみる。
みんなであれこれ、プロットの作り方を実践してから、できた設定をそのまま次回の作品テーマとする。
小説というのは、プロットが命なのではない、そんなものは表現の素材にすぎなくて、そこからいかに身体性をテキストのなかに立ちあげていくのかが大切なのだ、という話をする。
2013年1月18日金曜日
映画「父をめぐる旅」
東京都写真美術館まで映画「父をめぐる旅」を観に行ってきた。異才といわれた日本画家、中村正義の生涯を、実の娘の倫子が追うというドキュメンタリー映画だ。
キャッチ・コピーに「父・正義、あまりに過激。」とあったので、さぞや型破りで破天荒な人物像を想像していたのだが、実際には違った。
中村正義は異才というより、正統な日本画の緻密な才能を持った画家で、日本画という手法をもちいてどんなことでもできる天才といっていい。
ピカソのような抽象的な色面で構成したものも描くし、伝統的な花鳥風月的な日本画も描く。
浮世絵的なデザイン画のようなものも描くし、暗黒の内面をえぐりだすような人物画も描く。
52歳という若さで亡くなったが、長生きしていればどんな作品を残しただろうかという興味がわく。
日展という権威に戦いをいどみつづけ、そのために本来の画業がおろそかになるほど反権力にエネルギーを使った。
ある意味、現代の社会システムに反抗しつづけた人ともいえ、その点で強い共感をおぼえる。
晩年に近く、日展の本拠地である銀座三越で個展をひらいたとき、意表をつく美しい、静謐な風景画のみを出品した彼の心境は、どのようなものだったのだろうか。
スクリーンを通して見る風景画だったが、涙が出るほど胸を打たれるものだった。
制作クレジットに私の知り合いの名前をいくつか見つけることができた。
日本映画学校(いまは大学)関係のスタッフが中心に作られた、プロフェッショナルな匂いがただよう、非常にかっちりした作りの映画である。
ナレーションを担当しているのは岩崎聡子。
キャッチ・コピーに「父・正義、あまりに過激。」とあったので、さぞや型破りで破天荒な人物像を想像していたのだが、実際には違った。
中村正義は異才というより、正統な日本画の緻密な才能を持った画家で、日本画という手法をもちいてどんなことでもできる天才といっていい。
ピカソのような抽象的な色面で構成したものも描くし、伝統的な花鳥風月的な日本画も描く。
浮世絵的なデザイン画のようなものも描くし、暗黒の内面をえぐりだすような人物画も描く。
52歳という若さで亡くなったが、長生きしていればどんな作品を残しただろうかという興味がわく。
日展という権威に戦いをいどみつづけ、そのために本来の画業がおろそかになるほど反権力にエネルギーを使った。
ある意味、現代の社会システムに反抗しつづけた人ともいえ、その点で強い共感をおぼえる。
晩年に近く、日展の本拠地である銀座三越で個展をひらいたとき、意表をつく美しい、静謐な風景画のみを出品した彼の心境は、どのようなものだったのだろうか。
スクリーンを通して見る風景画だったが、涙が出るほど胸を打たれるものだった。
制作クレジットに私の知り合いの名前をいくつか見つけることができた。
日本映画学校(いまは大学)関係のスタッフが中心に作られた、プロフェッショナルな匂いがただよう、非常にかっちりした作りの映画である。
ナレーションを担当しているのは岩崎聡子。
映像コンテンツ:水城ゆう音楽塾 第1回 配信スタートしました
水城ゆう音楽塾 第1回「音楽とはなにか、そのざっくりした歴史とともにかんがえる」を映像コンテンツとして配信スタートしました。
■本編はこちら。
■こちらから試聴できます。
2012年末からはじまって現在も大好評開催中の「水城ゆう音楽塾」。
学校では教わらなかった、そして音楽評論家や演奏者のだれもが教えてくれない音楽の本質に大胆に迫ります。
また、それを知り、水城式即興演奏法のエチュードを学ぶことで、まったく演奏経験のない人も即興演奏を楽しんだり、オリジナル曲を作れるようになる音楽塾。
これが映像コンテンツとして広くご利用いただけるようになりました。
第一回めの内容
好評を博した単行本『だれも教えてくれなかったジャズの聴き方』(ブックマン社)の著者であり、即興ピアニストでもある水城ゆうが、音楽全般についての歴史、聴き方、演奏法についておこなった「だれも教えてくれなかった」講義シリーズの第一弾。
そもそも音楽とはなにか、私たちはなぜ音楽を楽しむのか、私たちがいま聴いている音楽はどこからどのようにしてやってきたのか、といったことを大づかみに解説している。
なぜ人は音楽を聴くのか
音楽を聴くと心や身体が高揚するのはなぜか
音楽のざっくりした歴史
人の声帯の特殊な構造
歌とリズムから音楽が始まる
文明の発祥と音楽の発展
宗教と国家に支配された中世の音楽
ルネサンスからバロックへ音楽の爆発
対位法の行きづまりと和声の発見
メロディと和声が現代の大衆音楽
音楽で高揚する和音のしくみ
■音楽塾第1回の紹介とダウンロードはこちら。
■本編はこちら。
■こちらから試聴できます。
2012年末からはじまって現在も大好評開催中の「水城ゆう音楽塾」。
学校では教わらなかった、そして音楽評論家や演奏者のだれもが教えてくれない音楽の本質に大胆に迫ります。
また、それを知り、水城式即興演奏法のエチュードを学ぶことで、まったく演奏経験のない人も即興演奏を楽しんだり、オリジナル曲を作れるようになる音楽塾。
これが映像コンテンツとして広くご利用いただけるようになりました。
第一回めの内容
好評を博した単行本『だれも教えてくれなかったジャズの聴き方』(ブックマン社)の著者であり、即興ピアニストでもある水城ゆうが、音楽全般についての歴史、聴き方、演奏法についておこなった「だれも教えてくれなかった」講義シリーズの第一弾。
そもそも音楽とはなにか、私たちはなぜ音楽を楽しむのか、私たちがいま聴いている音楽はどこからどのようにしてやってきたのか、といったことを大づかみに解説している。
なぜ人は音楽を聴くのか
音楽を聴くと心や身体が高揚するのはなぜか
音楽のざっくりした歴史
人の声帯の特殊な構造
歌とリズムから音楽が始まる
文明の発祥と音楽の発展
宗教と国家に支配された中世の音楽
ルネサンスからバロックへ音楽の爆発
対位法の行きづまりと和声の発見
メロディと和声が現代の大衆音楽
音楽で高揚する和音のしくみ
■音楽塾第1回の紹介とダウンロードはこちら。
音読日めくり1月18日:梶井基次郎「蒼穹」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、梶井基次郎「蒼穹」です。
今日のフォトは金のなる木の鉢です。
ある家の外にきれいにならんでいました。
それにしても「金のなる木」なんてひどい名前をつけられてかわいそうな植物、と思うのは私だけでしょうか。
今日のフォトは金のなる木の鉢です。
ある家の外にきれいにならんでいました。
それにしても「金のなる木」なんてひどい名前をつけられてかわいそうな植物、と思うのは私だけでしょうか。
2013年1月17日木曜日
ゼミ三昧、朗読三昧のげろきょデー、Ustream中継の準備
今日は朝から朝ゼミ、昼ゼミ、夜ゼミと、ゼミ三昧、朗読三昧のげろきょデー。朝ゼミでは日榮さんのリクエストで、「雪やこんこ」という歌を使ったエチュードの練習とか、唐ちゃんの昔話など。
昼食にぞろぞろと下北沢まで歩いて行く。
目当ての〈千草食堂〉がなんと木曜定休ということで、近くの担々麺屋〈天手鞠〉にはいる。
昼ゼミはてんトコロと山田みぞれのふたりで、月末31日にやるネットライブの稽古。
Ustream中継で使う機材の点検をかねて、実際にすこし中継してみる。
しばらく使っていなかったのでセッティングに時間がかかったが、なんとかうまくいった。
見たとおり、これだけのビデオカメラと中継用機材でUstreamが流せてしまう。
今年はこれを活用しよう。
月末のてん&みぞれネットライブの詳細はこちら。
夜ゼミはオーディオブックリーダー養成講座受講中の宮崎さんと身体性を意識した朗読についてやってみたり、佐藤くんが『それから』を読んだり、その流れでみぞれちゃんが「揺れ朗読」を試してみたり、さやかちゃんがグリム童話を読んだり、顎のゆがみを意識して読むことで表現の変化を確認したり、たるとさんが宮沢賢治のコラージュ作品を読んだり、卯妙さんが『阿部一族』をひさしぶりに読んだりと、バラエティに富んだ内容になった。
昼食にぞろぞろと下北沢まで歩いて行く。
目当ての〈千草食堂〉がなんと木曜定休ということで、近くの担々麺屋〈天手鞠〉にはいる。
昼ゼミはてんトコロと山田みぞれのふたりで、月末31日にやるネットライブの稽古。
Ustream中継で使う機材の点検をかねて、実際にすこし中継してみる。
しばらく使っていなかったのでセッティングに時間がかかったが、なんとかうまくいった。
見たとおり、これだけのビデオカメラと中継用機材でUstreamが流せてしまう。
今年はこれを活用しよう。
月末のてん&みぞれネットライブの詳細はこちら。
夜ゼミはオーディオブックリーダー養成講座受講中の宮崎さんと身体性を意識した朗読についてやってみたり、佐藤くんが『それから』を読んだり、その流れでみぞれちゃんが「揺れ朗読」を試してみたり、さやかちゃんがグリム童話を読んだり、顎のゆがみを意識して読むことで表現の変化を確認したり、たるとさんが宮沢賢治のコラージュ作品を読んだり、卯妙さんが『阿部一族』をひさしぶりに読んだりと、バラエティに富んだ内容になった。
音読日めくり1月17日:葛西善蔵「椎の若葉」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、葛西善蔵「椎の若葉」です。
今日のフォトはJRと井の頭線の接続通路から見た渋谷のスクランブル交差点です。
マークシティの下のところ、岡本太郎の「明日の神話」がかかっている通路から撮影しました。
今日のフォトはJRと井の頭線の接続通路から見た渋谷のスクランブル交差点です。
マークシティの下のところ、岡本太郎の「明日の神話」がかかっている通路から撮影しました。
2013年1月16日水曜日
共感的コミュニケーション勉強会(講師・水城ゆう)のお知らせ
リリースされたばかりの『共感的コミュニケーション〔入門編〕』(電子ブック&オンデマンド紙本)の著者である水城ゆうが、わかりやすく共感的コミュニケーションについて解説するとともに、実践的なワークを通してスキルを身につけていただくための勉強会を開催します。
◎日時 2013年1月16日(水)14:00〜16:00(昼の部)
同日19:00-21:00(夜の部)
◎場所 現代朗読協会・羽根木の家(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
◎参加費 2,000円
※どなたも参加できます。
※主催・音読療法協会/協力・現代朗読協会
※ボイスセラピスト資格取得者は参加費500円。更新ポイント1点加算。
※お申し込みはこちら
共感的コミュニケーションはアメリカの心理学者、マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を、いくらか噛みくだき、とくに言葉使いなどを日本人にも使いやすくすることを目的に、水城ゆうが整理したものです。
職場、学校、家族、パートナーなど、あらゆる場面での人間関係の向上に役に立ちます。
また組織運営や紛争解決にも大きな力を発揮するでしょう。
共感的コミュニケーションのスキルを身につけることで、人間関係のストレスを取りのぞき、生きいきと人生の荒波を楽しめるようになります。
◎こんな人におすすめです
人間関係がうまくいかずに気分が落ちこむことがある
職場や家庭の人間関係でいらいらしたり悩むことがある
パートナーとより深いつながりを持ちたい
落ちこんでいる友だちの気持ちを楽にしてあげたい
ささいなことが気になって眠れない
あがり性を克服したい
ひと前に出るとうまく話せない
ひと前で話すことが多い職業についている
落ちついた話し方や態度を身につけたい
人の気持ちがわからないと感じることがある
◎日時 2013年1月16日(水)14:00〜16:00(昼の部)
同日19:00-21:00(夜の部)
◎場所 現代朗読協会・羽根木の家(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
◎参加費 2,000円
※どなたも参加できます。
※主催・音読療法協会/協力・現代朗読協会
※ボイスセラピスト資格取得者は参加費500円。更新ポイント1点加算。
※お申し込みはこちら
共感的コミュニケーションはアメリカの心理学者、マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を、いくらか噛みくだき、とくに言葉使いなどを日本人にも使いやすくすることを目的に、水城ゆうが整理したものです。
職場、学校、家族、パートナーなど、あらゆる場面での人間関係の向上に役に立ちます。
また組織運営や紛争解決にも大きな力を発揮するでしょう。
共感的コミュニケーションのスキルを身につけることで、人間関係のストレスを取りのぞき、生きいきと人生の荒波を楽しめるようになります。
◎こんな人におすすめです
人間関係がうまくいかずに気分が落ちこむことがある
職場や家庭の人間関係でいらいらしたり悩むことがある
パートナーとより深いつながりを持ちたい
落ちこんでいる友だちの気持ちを楽にしてあげたい
ささいなことが気になって眠れない
あがり性を克服したい
ひと前に出るとうまく話せない
ひと前で話すことが多い職業についている
落ちついた話し方や態度を身につけたい
人の気持ちがわからないと感じることがある
2013年1月15日火曜日
雪で転倒首都圏480人怪我の日、整形外科に行く
寒中にもかかわらず、けなげに完全に開花したカトレアがきれいでかわいい。日に何度もじっくりながめては、うれしくなっている。
去年はこの花が咲いている状態のものを購入したのだが、その後花が終わったときにたぶん切り落としてしまったのだった。
今年はドライにしたいのだが、どうすればいいだろうか。
まったくわからない。
15年くらい前に手術した右膝の調子がいまいちよろしくないので、整形外科に行くことにした。
冬になると、長いあいだ座っていたあとに疼痛が起こったり、歩きはじめたときに差しこむような痛みが出たりするので、ひどくならないうちにその原因を知っておきたかった。
下北沢病院の整形外科外来に行く。
昨日の雪がしっかり残っていて、凍結した路面はかなり危険。
転倒のけが人が続出とのニュース。
私は雪国生まれなので、雪道で転倒することなどありえないが、凍結路面はそれなりに緊張する。
平たい場所はツルーっとスケートみたいにひとりで遊びながら、下北沢まで歩く。
下北沢病院はこざっぱりした病院で、受付のお姉さんも感じがよろしい。
が、整形外科の診療は予約の人が優先とのことで、小一時間待たされた。
レントゲンを撮り、医師と話をする。
膝蓋骨の変形がひどく、膝蓋靭帯も骨化している、幸い大腿骨と脛骨の接合点は傷もなく体重を支えることには支障はない。
とにかく、大腿部の筋力をつけ、膝関節の柔軟性を保つ努力をつづけるしかない、とのこと。
風呂にはいってあたためてあと、ストレッチをするといいといわれたが、うちには風呂はないのよね。
プールにもっと行けるといいんだけど、なかなかその時間が取れない。
でも、年を取って歩けなくなってしまうのはいやだなあ。
『浸透記憶』のePub版電子書籍がアマゾンのKindleストアで販売公開された。
このストアでサウンド付き電子書籍を販売できないかと思って、ePubファイルにサウンドファイルを埋めこむテキストをいろいろやってみたが、思うような結果が得られない。
なにより、iPhoneやiPadでサウンドが再生できない。
この手のコンテンツはやはりアプリにするほうがいいのか?
デジタルコンテンツの試行錯誤はまだまだつづきそう。
いずれにしても、山のようにあるオリジナルコンテンツを、片っ端からネットコンテンツ化していって、有効に活用したい。
埋もれさせてしまうのはあまりに残念。
いまは「音楽塾」のビデオコンテンツを編集中。
これもどうやってネット公開するか。
映像コンテンツも山のようにあるし、あらたに作りたいコンテンツ企画もある。
去年はこの花が咲いている状態のものを購入したのだが、その後花が終わったときにたぶん切り落としてしまったのだった。
今年はドライにしたいのだが、どうすればいいだろうか。
まったくわからない。
15年くらい前に手術した右膝の調子がいまいちよろしくないので、整形外科に行くことにした。
冬になると、長いあいだ座っていたあとに疼痛が起こったり、歩きはじめたときに差しこむような痛みが出たりするので、ひどくならないうちにその原因を知っておきたかった。
下北沢病院の整形外科外来に行く。
昨日の雪がしっかり残っていて、凍結した路面はかなり危険。
転倒のけが人が続出とのニュース。
私は雪国生まれなので、雪道で転倒することなどありえないが、凍結路面はそれなりに緊張する。
平たい場所はツルーっとスケートみたいにひとりで遊びながら、下北沢まで歩く。
下北沢病院はこざっぱりした病院で、受付のお姉さんも感じがよろしい。
が、整形外科の診療は予約の人が優先とのことで、小一時間待たされた。
レントゲンを撮り、医師と話をする。
膝蓋骨の変形がひどく、膝蓋靭帯も骨化している、幸い大腿骨と脛骨の接合点は傷もなく体重を支えることには支障はない。
とにかく、大腿部の筋力をつけ、膝関節の柔軟性を保つ努力をつづけるしかない、とのこと。
風呂にはいってあたためてあと、ストレッチをするといいといわれたが、うちには風呂はないのよね。
プールにもっと行けるといいんだけど、なかなかその時間が取れない。
でも、年を取って歩けなくなってしまうのはいやだなあ。
『浸透記憶』のePub版電子書籍がアマゾンのKindleストアで販売公開された。
このストアでサウンド付き電子書籍を販売できないかと思って、ePubファイルにサウンドファイルを埋めこむテキストをいろいろやってみたが、思うような結果が得られない。
なにより、iPhoneやiPadでサウンドが再生できない。
この手のコンテンツはやはりアプリにするほうがいいのか?
デジタルコンテンツの試行錯誤はまだまだつづきそう。
いずれにしても、山のようにあるオリジナルコンテンツを、片っ端からネットコンテンツ化していって、有効に活用したい。
埋もれさせてしまうのはあまりに残念。
いまは「音楽塾」のビデオコンテンツを編集中。
これもどうやってネット公開するか。
映像コンテンツも山のようにあるし、あらたに作りたいコンテンツ企画もある。
Kindleストアで『浸透記憶』1〜5が発売になった
移植医療を扱ったSFサスペンスであり、警察小説でもあり、推理・アクションでもあり、愛の物語でもある『浸透記憶』が、ePub3形式の電子書籍になりました。
iPhoneなどのスマートフォン、iPadなどのタブレットでは、ePub3を読めるアプリで読めます。
アマゾンのKindleストアからダウンロードできます。
各100円。
iPhoneなどのスマートフォン、iPadなどのタブレットでは、ePub3を読めるアプリで読めます。
アマゾンのKindleストアからダウンロードできます。
各100円。
音読日めくり1月15日:織田作之助「馬地獄」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、織田作之助「馬地獄」です。
今日のフォトは昨日の積雪の東京世田谷の風景です。
昼前からどんどん降りはじめて、とても東京とは思えない風景になりました。
今日のフォトは昨日の積雪の東京世田谷の風景です。
昼前からどんどん降りはじめて、とても東京とは思えない風景になりました。
2013年1月14日月曜日
「恥ずかしい」という感情
photo credit: Έλενα Λαγαρία via photopincc
なにか自分がやらかして「恥ずかしい」と消え入りたくなってしまったことはだれもが経験のあることだろう。あるいは、なにかやろうとしても「恥ずかしい」という感情が起こったせいで二の足を踏んでしまったこともあると思う。
いったいこの「恥ずかしい」という感情は、人の大切にしていることのなにを指し示しているのだろうか。
ひと前でなにかスピーチをしなければならない場面がやってきたとする。
会社での朝礼でのひとことスピーチでもいいし、友人の結婚式でのスピーチでもいい。
あるいは宴会での乾杯の音頭でもいい。
好きな人に告白する場面でもいい。
そのとき「恥ずかしい」という感情がにわかにわきおこり、顔が真っ赤になり、しどろもどろになってしまっていおうと思っていたことがうまくいえなくなってしまう。
「恥ずかしい」という感情は「自分自身の存在や行為を評価する基準が自分の外側に設定されているとき」に起こる。
日本は「恥の文化」だとよくいわれるが、これも「ひとさまに顔向けができないようなことはするな」と子どものときから教育されることでわかるように、評価の基準が自分ではなく他人、あるいは社会の規範にある。
電車に乗って騒いでいる子どもをしかるとき、「恥ずかしいことはやめなさい」「まわりの人に迷惑がかかるからやめなさい」と親はいう。
たしかに自分の子どもが公共の場で騒ぐと周囲に迷惑がかかる。
だから子どもに「迷惑がかかるから」という理由で騒ぐのをやめるように命じる。
それをもって「自分のしつけが悪かった」と責める気持ちまで起こってくる。
あるいは「しつけができない親だと思われたらどうしよう」とおろおろしてしまう。
これらはすべて外部の基準による判断であり行動だ。
共感的コミュニケーションでは次のようにかんがえる。
自分の子どもが騒いで周囲に迷惑をおよぼすことによって「自分の必要性」のなにがそこなわれるのだろうか。
自分は公共の場における秩序を大切にしているのだろうか。
子どもがちゃんと社会とルールのなかで共存していけることを望んでいるのだろうか。
自分がなにを必要としているのか、なにに価値をおいているのかがはっきりとわかれば、子どもに伝えることばも変わってくる。
「お母さんはあなたに、電車のなかでは静かにしていられて、まわりの人に迷惑をかけない人になってもらいたいのよ(子どもが社会のなかで多くの人と共存していけるように育ってほしいから)」
それを聞いた子どもはどのように反応するだろうか。
「恥ずかしい」という感情は、人の公共性に深く関係している。
社会的強調、調和、秩序、平和、公平さ、そういったことに結びついていて、それらがそこなわれたとき現れる感情だが、しばしばそれは自分の価値観というより、社会的規範として刷りこまれた形で現れてくる(教育によって)。
しかし、価値判断の基準を他人軸である社会的規範ではなく自分自身の価値基準においたとき、恥ずかしいという感情は別のものに変化する。
「まわりにどう思われるだろう」から「自分はどうしたい?」に変わったとき、恥ずかしいという感情が消え、確信を持った行動に移れる。
好きな人に告白するとき、その結果断られたり相手にばかにされたらどうしよう、恥ずかしい、という感情がいったん起こったとしても、自分が相手に気持ちを正直に伝え表現することが大切だと思えたとき、恥ずかしさの感情を乗りこえ、自分を大切にするために相手に告白するのだ、と具体的な行動に移ることができる。
その結果が残念なことになったとしても、それは自分の責任ではなく、恥ずべきことがらでもない。
たまたま自分が受け入れられる条件が相手の側にそろっていなかったからだ、と思えばいい。
なにかやらかしてしまって「恥ずかしい」と思ってしまったとしても、自分の行動の結果は自分のせいではなく、相手側の条件にゆだねられているから自分では責任を取る必要はないし、取ることもできないのだ、ということをしっかり理解しておきたい。
・1月16日(水)に開催する共感的コミュニケーション勉強会の詳細はこちら。
・水城ゆう著『共感的コミュニケーション〔入門編〕』発売中。
なにか自分がやらかして「恥ずかしい」と消え入りたくなってしまったことはだれもが経験のあることだろう。あるいは、なにかやろうとしても「恥ずかしい」という感情が起こったせいで二の足を踏んでしまったこともあると思う。
いったいこの「恥ずかしい」という感情は、人の大切にしていることのなにを指し示しているのだろうか。
ひと前でなにかスピーチをしなければならない場面がやってきたとする。
会社での朝礼でのひとことスピーチでもいいし、友人の結婚式でのスピーチでもいい。
あるいは宴会での乾杯の音頭でもいい。
好きな人に告白する場面でもいい。
そのとき「恥ずかしい」という感情がにわかにわきおこり、顔が真っ赤になり、しどろもどろになってしまっていおうと思っていたことがうまくいえなくなってしまう。
「恥ずかしい」という感情は「自分自身の存在や行為を評価する基準が自分の外側に設定されているとき」に起こる。
日本は「恥の文化」だとよくいわれるが、これも「ひとさまに顔向けができないようなことはするな」と子どものときから教育されることでわかるように、評価の基準が自分ではなく他人、あるいは社会の規範にある。
電車に乗って騒いでいる子どもをしかるとき、「恥ずかしいことはやめなさい」「まわりの人に迷惑がかかるからやめなさい」と親はいう。
たしかに自分の子どもが公共の場で騒ぐと周囲に迷惑がかかる。
だから子どもに「迷惑がかかるから」という理由で騒ぐのをやめるように命じる。
それをもって「自分のしつけが悪かった」と責める気持ちまで起こってくる。
あるいは「しつけができない親だと思われたらどうしよう」とおろおろしてしまう。
これらはすべて外部の基準による判断であり行動だ。
共感的コミュニケーションでは次のようにかんがえる。
自分の子どもが騒いで周囲に迷惑をおよぼすことによって「自分の必要性」のなにがそこなわれるのだろうか。
自分は公共の場における秩序を大切にしているのだろうか。
子どもがちゃんと社会とルールのなかで共存していけることを望んでいるのだろうか。
自分がなにを必要としているのか、なにに価値をおいているのかがはっきりとわかれば、子どもに伝えることばも変わってくる。
「お母さんはあなたに、電車のなかでは静かにしていられて、まわりの人に迷惑をかけない人になってもらいたいのよ(子どもが社会のなかで多くの人と共存していけるように育ってほしいから)」
それを聞いた子どもはどのように反応するだろうか。
「恥ずかしい」という感情は、人の公共性に深く関係している。
社会的強調、調和、秩序、平和、公平さ、そういったことに結びついていて、それらがそこなわれたとき現れる感情だが、しばしばそれは自分の価値観というより、社会的規範として刷りこまれた形で現れてくる(教育によって)。
しかし、価値判断の基準を他人軸である社会的規範ではなく自分自身の価値基準においたとき、恥ずかしいという感情は別のものに変化する。
「まわりにどう思われるだろう」から「自分はどうしたい?」に変わったとき、恥ずかしいという感情が消え、確信を持った行動に移れる。
好きな人に告白するとき、その結果断られたり相手にばかにされたらどうしよう、恥ずかしい、という感情がいったん起こったとしても、自分が相手に気持ちを正直に伝え表現することが大切だと思えたとき、恥ずかしさの感情を乗りこえ、自分を大切にするために相手に告白するのだ、と具体的な行動に移ることができる。
その結果が残念なことになったとしても、それは自分の責任ではなく、恥ずべきことがらでもない。
たまたま自分が受け入れられる条件が相手の側にそろっていなかったからだ、と思えばいい。
なにかやらかしてしまって「恥ずかしい」と思ってしまったとしても、自分の行動の結果は自分のせいではなく、相手側の条件にゆだねられているから自分では責任を取る必要はないし、取ることもできないのだ、ということをしっかり理解しておきたい。
・1月16日(水)に開催する共感的コミュニケーション勉強会の詳細はこちら。
・水城ゆう著『共感的コミュニケーション〔入門編〕』発売中。
カトレア、大雪、1級ボイスセラピスト講座、ピピカレー
数日前に蕾がほころびはじめたカトレアが、今朝はほぼ完全に開花した。かわいい。
うれしいなあ。
去年は花が終わったらそのまま切って捨ててしまったのだが、今年はPlacerのやりかたにならって保存してみようと思う。
未明から降っていた雨が雪に変わりはじめた。
羽根木の家に行くころにはうっすらと積もりはじめた。
丸さんが来て、マキさんのPCを見てくれた。
どうやら液晶のバックライト切れらしく、本体は正常に動いているようだ。
お持ち帰りとなった。
1級ボイスセラピスト講座。
つくばと辻堂という遠方からそれぞれ来た人、世田谷区内から来た人。
いずれにしても、庭にどんどん積もっていく雪を見て、だんだん不安になってくる。
そんななか、講座。
共感的コミュニケーションを使ったグループワークのファシリテーション法や、音読エチュードのいくつかのパターン、呼吸法、発声法の復習など。
近所のパン屋が休みだったので、ピピカレーまで昼食に出かける。
吹雪といっていいほどの雪で、環七もかなり積もって車はのろのろ運転。
それでも走っていることは走っている。
電車も遅延しながらも動いているようだ。
ピピカレーからもどって、遠方の人が帰りが心配なので、早めに講座を切り上げることにした。
そしてたったいま、無事帰宅、というメールがとどいて、ちょっとほっとした。
明日はゴミ収集車が動くだろうか。
今日は郵便や宅配便の一部、ピザの宅配などは動かなかったようだ。
うれしいなあ。
去年は花が終わったらそのまま切って捨ててしまったのだが、今年はPlacerのやりかたにならって保存してみようと思う。
未明から降っていた雨が雪に変わりはじめた。
羽根木の家に行くころにはうっすらと積もりはじめた。
丸さんが来て、マキさんのPCを見てくれた。
どうやら液晶のバックライト切れらしく、本体は正常に動いているようだ。
お持ち帰りとなった。
1級ボイスセラピスト講座。
つくばと辻堂という遠方からそれぞれ来た人、世田谷区内から来た人。
いずれにしても、庭にどんどん積もっていく雪を見て、だんだん不安になってくる。
そんななか、講座。
共感的コミュニケーションを使ったグループワークのファシリテーション法や、音読エチュードのいくつかのパターン、呼吸法、発声法の復習など。
近所のパン屋が休みだったので、ピピカレーまで昼食に出かける。
吹雪といっていいほどの雪で、環七もかなり積もって車はのろのろ運転。
それでも走っていることは走っている。
電車も遅延しながらも動いているようだ。
ピピカレーからもどって、遠方の人が帰りが心配なので、早めに講座を切り上げることにした。
そしてたったいま、無事帰宅、というメールがとどいて、ちょっとほっとした。
明日はゴミ収集車が動くだろうか。
今日は郵便や宅配便の一部、ピザの宅配などは動かなかったようだ。
2013年1月13日日曜日
「照れる」とは
photo credit: memsahib 313 via photopincc
人からほめられたりしたとき、つい「照れる」という態度を取ってしまうことがある。
これはいったいどういう心理なのだろうか。
なにか自分が能力を発揮したときに、人からほめられる。
私自身の体験をもとに具体例をあげてみる。
私はピアノを弾くので、その体験をふりかえってみよう。
人から「なにか弾いて」といわれて、「なにがいい?」と訊き、リクエストをされる。
たとえば「春の小川」を弾いてといわれて、それを弾く。
ただ弾くのはつまらないので、自分なりに工夫しアレンジを加えた「春の小川」を弾く。
すると「すごーい。そんなふうにピアノが弾けるのはうらやましい」といわれたとする。
私はとたん「照れ」て、「いやいや、そんなにたいしたことないよ」と逃げる。
そのときの私のニーズはなんだろうか、ということだ。
自分はそんなにたいしたことをやってないのに、それほどほめられるのは気恥ずかしい、ということだろうか。
過大評価されたことについての謙虚さからくる照れだろうか。
ということは、過大評価ではなく、正当に評価されたいという気持ちがあるということだろうか。
だとしたら、ピアノを弾いたときに、どのようにいわれれば照れずにすんだのだろうか。
ピアノを弾いたあとになにもいわれなかったらどうだろう。
あるいは「ふーん」程度の反応だったら?
それはそれできっとさびしい気持になるに違いない。
では、なぜ評価されたことにたいして照れるという反応で返してしまうのか。
「自分はあなたの評価がほしくて演奏したわけではないんですよ」ということを表明しているのだろうか。
評価がほしくて演奏したのでなければ、なぜ演奏したのだろう。
そこに答えがある。
私はおそらく、評価してもらいたいのではなく、ただ私の演奏を受け入れてもらいたくて、いっしょに楽しみたくて弾いたのだ。
「すごい」だの「うまい」だの「うらやましい」だの、そんな言葉を聞きたかったわけではない。
ただ「弾いてくれてありがとう。楽しいね」ということをいってもらいたかったのだ。
私が「春の小川」を弾き、それを受け入れてもらい、そしてお互いのつながりを音楽によって深めることができた、そういった関係性を望んでいたのだ。
「照れる」という態度は、そのような関係性が微妙にずれてしまったことにたいするとまどいの意思表示かもしれない。
「なんとなくずれてるよ」という。
なにかで照れている態度の人がいたとき、その人が本当に求めているのはどういう完成性なんだろう、ということをあらためて見つめなおしてあげるといいかもしれない。
人からほめられたりしたとき、つい「照れる」という態度を取ってしまうことがある。
これはいったいどういう心理なのだろうか。
なにか自分が能力を発揮したときに、人からほめられる。
私自身の体験をもとに具体例をあげてみる。
私はピアノを弾くので、その体験をふりかえってみよう。
人から「なにか弾いて」といわれて、「なにがいい?」と訊き、リクエストをされる。
たとえば「春の小川」を弾いてといわれて、それを弾く。
ただ弾くのはつまらないので、自分なりに工夫しアレンジを加えた「春の小川」を弾く。
すると「すごーい。そんなふうにピアノが弾けるのはうらやましい」といわれたとする。
私はとたん「照れ」て、「いやいや、そんなにたいしたことないよ」と逃げる。
そのときの私のニーズはなんだろうか、ということだ。
自分はそんなにたいしたことをやってないのに、それほどほめられるのは気恥ずかしい、ということだろうか。
過大評価されたことについての謙虚さからくる照れだろうか。
ということは、過大評価ではなく、正当に評価されたいという気持ちがあるということだろうか。
だとしたら、ピアノを弾いたときに、どのようにいわれれば照れずにすんだのだろうか。
ピアノを弾いたあとになにもいわれなかったらどうだろう。
あるいは「ふーん」程度の反応だったら?
それはそれできっとさびしい気持になるに違いない。
では、なぜ評価されたことにたいして照れるという反応で返してしまうのか。
「自分はあなたの評価がほしくて演奏したわけではないんですよ」ということを表明しているのだろうか。
評価がほしくて演奏したのでなければ、なぜ演奏したのだろう。
そこに答えがある。
私はおそらく、評価してもらいたいのではなく、ただ私の演奏を受け入れてもらいたくて、いっしょに楽しみたくて弾いたのだ。
「すごい」だの「うまい」だの「うらやましい」だの、そんな言葉を聞きたかったわけではない。
ただ「弾いてくれてありがとう。楽しいね」ということをいってもらいたかったのだ。
私が「春の小川」を弾き、それを受け入れてもらい、そしてお互いのつながりを音楽によって深めることができた、そういった関係性を望んでいたのだ。
「照れる」という態度は、そのような関係性が微妙にずれてしまったことにたいするとまどいの意思表示かもしれない。
「なんとなくずれてるよ」という。
なにかで照れている態度の人がいたとき、その人が本当に求めているのはどういう完成性なんだろう、ということをあらためて見つめなおしてあげるといいかもしれない。
水城ゆう音楽塾、1月の開催日時のお知らせ
好評をいただいている音楽塾、2013年1月の開催日です。
どなたも気楽にご参加ください。
音楽塾では学校で習う音楽でもなく、音大で習う音楽でもなく、ジャズスクールで習う即興でもなく、私なりにこれまでの音楽研究と活動を通じて独自に獲得してきた知見をもとに、音楽の本質そのものにズバリと切りこんでいきます。
同時に、特別な訓練を受けていない人も音楽を楽しんだり、オリジナルな即興演奏をできるようにする道筋を示します。
◎日時 1月13日、20日、27日
いずれも日曜日、午後5時から6時まで
◎場所 羽根木の家
世田谷区羽根木1-20-17
◎方式 グループレッスン
◎参加費 月額5,000円(ゼミ生無料)
◎お申し込みはこちら、または水城に直接どうぞ
お子さん連れの参加も歓迎。親子でひとり分のカウントです。
即興演奏法の個人レッスンも受け付けています。
こんな方におすすめです。
・耳覚えのある好きな曲をすぐに弾けるようになりたい。
・歌の伴奏をその場でつけられるようになりたい。
・朗読と即興セッションをやりたい。
・アンサンブルを楽しみたい。
・知っている曲を自分なりにアレンジしてみたい。
・オリジナル曲を作ってみたい。
・音楽について理解を深めたい。
どなたも気楽にご参加ください。
音楽塾では学校で習う音楽でもなく、音大で習う音楽でもなく、ジャズスクールで習う即興でもなく、私なりにこれまでの音楽研究と活動を通じて独自に獲得してきた知見をもとに、音楽の本質そのものにズバリと切りこんでいきます。
同時に、特別な訓練を受けていない人も音楽を楽しんだり、オリジナルな即興演奏をできるようにする道筋を示します。
◎日時 1月13日、20日、27日
いずれも日曜日、午後5時から6時まで
◎場所 羽根木の家
世田谷区羽根木1-20-17
◎方式 グループレッスン
◎参加費 月額5,000円(ゼミ生無料)
◎お申し込みはこちら、または水城に直接どうぞ
お子さん連れの参加も歓迎。親子でひとり分のカウントです。
即興演奏法の個人レッスンも受け付けています。
こんな方におすすめです。
・耳覚えのある好きな曲をすぐに弾けるようになりたい。
・歌の伴奏をその場でつけられるようになりたい。
・朗読と即興セッションをやりたい。
・アンサンブルを楽しみたい。
・知っている曲を自分なりにアレンジしてみたい。
・オリジナル曲を作ってみたい。
・音楽について理解を深めたい。
【RadioU】2013年新春インタビュー新ゼミ生・瀬戸まゆ子
2013年の初ラジオは、昨年末にあたらしく現代朗読協会のゼミ生に参加した瀬戸まゆ子にインタビューをしました。
瀬戸さんは朗読その他表現の経験はまったくなかった人ですが、ある朝めざめたら急に「朗読」という言葉が頭に浮かんできて、それでネット検索をし、そのまま現代朗読協会にやってきたそうです。
いきおいよくそのままゼミ生になって、いまにいたります。
そのあたりの話を聞いてみました。
ケロログ「RadioU」で配信中。
瀬戸さんは朗読その他表現の経験はまったくなかった人ですが、ある朝めざめたら急に「朗読」という言葉が頭に浮かんできて、それでネット検索をし、そのまま現代朗読協会にやってきたそうです。
いきおいよくそのままゼミ生になって、いまにいたります。
そのあたりの話を聞いてみました。
ケロログ「RadioU」で配信中。
即興演奏のエチュード「どちらの音が高いか」
photo credit: photophilde via photopincc
即興演奏のエチュード No.2「どちらの音が高いか」
ピアノを弾く人をひとり決めます。
残りの人は音を聴きます。
ピアノに向かった人は、任意の鍵盤をひとつえらび、音を鳴らします。
残りの人はその音を身体にしみこませるようにじっくりと聴きます。
音が完全に消え、なおもしばらく時間をおいてから、ピアノの人はもうひとつの任意の鍵盤(前の鍵盤よりすこし離れた場所)をえらび、音を鳴らします。
前の音より高い音、低い音、どちらでもかまいません。
聴いた人はその音が前の音より高いか低いかを判断します。
そして高いならどのくらい高いのか、低いならどのくらい低いのか、しっかりとイメージしてとらえます。
このエチュードは即興演奏にとって重要だ。
自分が鳴らした任意の音が、つぎにどこに行きたがっているのかを自分のなかでイメージするところから即興演奏は始まる。
高いところへ行きたがっているのか、低いところへ行きたがっているのか。
高いとしたらどのくらいの高さなのか、低いとしたらどのくらいの低さなのか。
それがイメージできるようになれば、もう即興演奏ができるようになるといって過言ではない。
即興演奏のエチュード No.2「どちらの音が高いか」
ピアノを弾く人をひとり決めます。
残りの人は音を聴きます。
ピアノに向かった人は、任意の鍵盤をひとつえらび、音を鳴らします。
残りの人はその音を身体にしみこませるようにじっくりと聴きます。
音が完全に消え、なおもしばらく時間をおいてから、ピアノの人はもうひとつの任意の鍵盤(前の鍵盤よりすこし離れた場所)をえらび、音を鳴らします。
前の音より高い音、低い音、どちらでもかまいません。
聴いた人はその音が前の音より高いか低いかを判断します。
そして高いならどのくらい高いのか、低いならどのくらい低いのか、しっかりとイメージしてとらえます。
このエチュードは即興演奏にとって重要だ。
自分が鳴らした任意の音が、つぎにどこに行きたがっているのかを自分のなかでイメージするところから即興演奏は始まる。
高いところへ行きたがっているのか、低いところへ行きたがっているのか。
高いとしたらどのくらいの高さなのか、低いとしたらどのくらいの低さなのか。
それがイメージできるようになれば、もう即興演奏ができるようになるといって過言ではない。
音読日めくり1月13日:小川未明「銀河の下の町」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、小川未明「銀河の下の町」です。
今日のフォトは冬の薔薇です。
薔薇の花の咲く時期っていつでしたっけ。けっこう冬でもけなげに咲いているのを見かけます。
今日のフォトは冬の薔薇です。
薔薇の花の咲く時期っていつでしたっけ。けっこう冬でもけなげに咲いているのを見かけます。
2013年1月12日土曜日
基礎講座、体験講座、テキストゼミ、カトレアが咲きはじめた
午前中、6回シリーズの現代朗読基礎講座の初回。参加者の半分がゼミ生だったせいか、リラックスして楽しくやれた。
現代朗読というものがいよいよしっかりと独自の立ち位置を確保しつつ、表現の世界で根を張っていっているなあという私のニーズを満たす喜びを感じながら。
午後は体験講座。
いつもそうだが、初めてげろきょにやってきた人は最初はとても緊張していたり、あやぶんでいたりするのだが、徐々にリラックスして表現が伸びやかになり、本来その人が持っている柔らかさが少しずつ垣間見えるようになっていく。
その過程が体験講座の醍醐味だといえる。
それにしても、いろいろ大変な思いをしながら生きている人が多い。
みんなげろきょに来れば楽になるのに、と思う。
夜は今年初のテキスト表現ゼミ。
あい子さんが大きいお腹を抱えてひさしぶりに来てくれた。
つわりがひどいと聞いていたが、いまはもう6か月でとても元気そうで安心した。
彼女が赤ちゃんを連れてゼミに来てくれる日がくるのが、本当に待ち遠しい。
幸せな気分で自分の家にもどったら、去年の暮れから花芽が伸びてつぼみがふくらみつつあったカトレアが、いきなりつぼみが割れて開花しはじめていた。
びっくり。
白い花だ。
去年の春、花をつけているものをネット通販で購入したものだが、その後も大事に育てていたので、また花が咲くのを見るのは本当にうれしい。
今年はいろいろなことが花開くといいなあ。
・水城ゆうの最新ライブ・公演・ワークショップなどのスケジュールはこちら。
・水城ゆうの本・最新刊はこちら。
現代朗読というものがいよいよしっかりと独自の立ち位置を確保しつつ、表現の世界で根を張っていっているなあという私のニーズを満たす喜びを感じながら。
午後は体験講座。
いつもそうだが、初めてげろきょにやってきた人は最初はとても緊張していたり、あやぶんでいたりするのだが、徐々にリラックスして表現が伸びやかになり、本来その人が持っている柔らかさが少しずつ垣間見えるようになっていく。
その過程が体験講座の醍醐味だといえる。
それにしても、いろいろ大変な思いをしながら生きている人が多い。
みんなげろきょに来れば楽になるのに、と思う。
夜は今年初のテキスト表現ゼミ。
あい子さんが大きいお腹を抱えてひさしぶりに来てくれた。
つわりがひどいと聞いていたが、いまはもう6か月でとても元気そうで安心した。
彼女が赤ちゃんを連れてゼミに来てくれる日がくるのが、本当に待ち遠しい。
幸せな気分で自分の家にもどったら、去年の暮れから花芽が伸びてつぼみがふくらみつつあったカトレアが、いきなりつぼみが割れて開花しはじめていた。
びっくり。
白い花だ。
去年の春、花をつけているものをネット通販で購入したものだが、その後も大事に育てていたので、また花が咲くのを見るのは本当にうれしい。
今年はいろいろなことが花開くといいなあ。
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2013年1月11日金曜日
ときどきやってくる「水色文庫」使用許諾連絡
朗読者にとってはだれもがおぼえのあることだろうが、朗読のためのテキスト作品を選定するのはけっこう苦労するものだ。
たとえば朗読ライブのための作品を選ぶとき、その長さやわかりやすさ、雰囲気、テーマの適不適など、ちょうどいい作品をさがすのに苦労する。
そういう人のために、私は自分が書いた音声化を前提としたテキスト作品のすべてを「水色文庫」というブログで公開し、著作使用権を開放している。
私は小説家になる前からラジオ制作に関わっていて、小説家になってからも、そして現在にいたるまでも、ラジオという媒体は好きで関わりつづけている。
最近はラジオ番組の仕事はなくなってしまったが、自分で勝手にネットラジオを作ったりしている。
小説家になってから、ストーリーと音楽で構成するラジオ番組のためのテキストをたくさん書いて、それが楽しかった。
以来、活字以外に、音声化を目的としたテキストをたくさん書いてきた。
それがいまの現代朗読協会の主宰という立場に私をみちびいたのかもしれない。
朗読のためのテキストをさがしている人たちにいくらかでも提供できればいいと思って「水色文庫」を公開し、また新作もすこしずつ追加している。
ここに公開している作品は、とくに私にことわることなく勝手に使ってもらってもいい。
実際に多くの人が使ってくれていて、ネットで公開されているものもあれば、私には知るよしもない朗読ライブで読まれているようなパターンもあると聞く。
たまにメールなどで連絡をくれて、私に使用許諾を申しでてくる人がいる。
そんなことをする必要はないのだが、作者としては自分の作品がいつ、どこで、だれによって読まれるのかを知ることができるのは、もちろんうれしいのだ。
山梨放送というラジオ局があって、そこの「ラジオ図書室」という番組で私の作品を読みたいと、アナウンサーの海野紀恵《うんのきえ》さんから昨年連絡があったときもうれしかった。その番組はアーカイブされていて、ネットで聴くことができる。
「 サンタの調律師 」朗読:海野紀恵アナウンサー
もうひとつ、明日の山梨放送のラジオ図書室では、私の『 祈る人 』『 捨てる 』『 Night Passage 』が櫻井和明アナウンサーによって読まれるそうです。
予告はこちら。
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たとえば朗読ライブのための作品を選ぶとき、その長さやわかりやすさ、雰囲気、テーマの適不適など、ちょうどいい作品をさがすのに苦労する。
そういう人のために、私は自分が書いた音声化を前提としたテキスト作品のすべてを「水色文庫」というブログで公開し、著作使用権を開放している。
私は小説家になる前からラジオ制作に関わっていて、小説家になってからも、そして現在にいたるまでも、ラジオという媒体は好きで関わりつづけている。
最近はラジオ番組の仕事はなくなってしまったが、自分で勝手にネットラジオを作ったりしている。
小説家になってから、ストーリーと音楽で構成するラジオ番組のためのテキストをたくさん書いて、それが楽しかった。
以来、活字以外に、音声化を目的としたテキストをたくさん書いてきた。
それがいまの現代朗読協会の主宰という立場に私をみちびいたのかもしれない。
朗読のためのテキストをさがしている人たちにいくらかでも提供できればいいと思って「水色文庫」を公開し、また新作もすこしずつ追加している。
ここに公開している作品は、とくに私にことわることなく勝手に使ってもらってもいい。
実際に多くの人が使ってくれていて、ネットで公開されているものもあれば、私には知るよしもない朗読ライブで読まれているようなパターンもあると聞く。
たまにメールなどで連絡をくれて、私に使用許諾を申しでてくる人がいる。
そんなことをする必要はないのだが、作者としては自分の作品がいつ、どこで、だれによって読まれるのかを知ることができるのは、もちろんうれしいのだ。
山梨放送というラジオ局があって、そこの「ラジオ図書室」という番組で私の作品を読みたいと、アナウンサーの海野紀恵《うんのきえ》さんから昨年連絡があったときもうれしかった。その番組はアーカイブされていて、ネットで聴くことができる。
「 サンタの調律師 」朗読:海野紀恵アナウンサー
もうひとつ、明日の山梨放送のラジオ図書室では、私の『 祈る人 』『 捨てる 』『 Night Passage 』が櫻井和明アナウンサーによって読まれるそうです。
予告はこちら。
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絶対音感について(即興演奏法の余話として)
photo credit: Hans_van_Rijnberk via photopincc
音楽演奏において重要なのは「絶対音感」ではなく「相対音感」である。
世間では「絶対音感」という言葉がひとり歩きし、音楽的才能を構成する重要な能力のひとつのように思いこまれているが、実際にはそうではない。
絶対音感についてここでくわしく述べるのはひかえるが、ようするにある音高にたいしてそれが絶対的にどういう音高なのかわかる能力のことだ。
ピアノの音でもベルの音でもなんでもいいが、「チーン」と鳴ったとき、それが「ミ」の音であるとか、「ソのシャープ」の音であるとか、なにかほかの音と比較することなくいいあてることができる。
その能力はどうやって作られるか。
ある一定の年齢以下で音楽的環境をあたえられ、そのなかで音楽的トレーニングを受けることでほとんどの人は絶対音感を獲得できる。
逆にいえば、そのような環境を幼少時に持たなかったものは、絶対音感を獲得しにくいということにもなる。
現代の音楽演奏家たちの多くは非常に幼少のときから音楽演奏のトレーニングを受けているので、ほとんどが絶対音感をインプリントされている。
そのことをとらえて、逆に絶対音感を持っていないと音楽演奏家になれないように思いこんでいる人がいるが、それは違う。
即興演奏をふくむ自由な音楽演奏において、むしろ絶対音感は不利に働く、というのが私の経験的持論である。
ちなみに私ごとだが、私がピアノを習ったのは小学三年から六年までの四年足らずの期間であり、もちろん絶対音感は持っていない。
だから演奏に支障があるかというと、まったくそんなことはない。
では絶対音感保持者においてはどのような音感を絶対的にうえつけられているのだろうか。
ほとんどの絶対音感保持者は、現代のピアノの音律である「平均率」という音律にもとづいた音階にそった音感を持ち、その絶対的基準はそれぞれの幼少時の音楽環境によって少しずつずれがある。
たとえば、家のピアノが「A=440Hz」という音程を基準に調律されていた場合、その基準での絶対音感をインプリントされるし、「A=443Hz」で調律されていた家ではそれが絶対音感として刷りこまれる。
楽器がピアノではなく、バイオリンなどの弦楽器ではある場合は、音律が平均率ではないだろうし、基準音も変わってくるだろう。
このように、絶対音感という特殊能力は音楽演奏の場面ではあまり意味のないものなのだ。
実際の音楽演奏の場面では、すでに述べたように、「相対音感」が重要だ。
したがって、即興演奏法では相対音感のエチュードをいくつかおこなう。
ひとつの音がべつの音に対して高いのか、低いのか、高いとしたらどのくらい高いのか、その音の感覚はどのくらいなのか。
これを聴きわける、あるいは演奏できる能力が重要になってくる。
そしてそれはだれでもたやすく訓練で獲得することができる。
幼少時からの訓練は必要ない。
年をとってからでも身につけることはむずかしくない。
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・水城ゆうの本・最新刊はこちら。
音楽演奏において重要なのは「絶対音感」ではなく「相対音感」である。
世間では「絶対音感」という言葉がひとり歩きし、音楽的才能を構成する重要な能力のひとつのように思いこまれているが、実際にはそうではない。
絶対音感についてここでくわしく述べるのはひかえるが、ようするにある音高にたいしてそれが絶対的にどういう音高なのかわかる能力のことだ。
ピアノの音でもベルの音でもなんでもいいが、「チーン」と鳴ったとき、それが「ミ」の音であるとか、「ソのシャープ」の音であるとか、なにかほかの音と比較することなくいいあてることができる。
その能力はどうやって作られるか。
ある一定の年齢以下で音楽的環境をあたえられ、そのなかで音楽的トレーニングを受けることでほとんどの人は絶対音感を獲得できる。
逆にいえば、そのような環境を幼少時に持たなかったものは、絶対音感を獲得しにくいということにもなる。
現代の音楽演奏家たちの多くは非常に幼少のときから音楽演奏のトレーニングを受けているので、ほとんどが絶対音感をインプリントされている。
そのことをとらえて、逆に絶対音感を持っていないと音楽演奏家になれないように思いこんでいる人がいるが、それは違う。
即興演奏をふくむ自由な音楽演奏において、むしろ絶対音感は不利に働く、というのが私の経験的持論である。
ちなみに私ごとだが、私がピアノを習ったのは小学三年から六年までの四年足らずの期間であり、もちろん絶対音感は持っていない。
だから演奏に支障があるかというと、まったくそんなことはない。
では絶対音感保持者においてはどのような音感を絶対的にうえつけられているのだろうか。
ほとんどの絶対音感保持者は、現代のピアノの音律である「平均率」という音律にもとづいた音階にそった音感を持ち、その絶対的基準はそれぞれの幼少時の音楽環境によって少しずつずれがある。
たとえば、家のピアノが「A=440Hz」という音程を基準に調律されていた場合、その基準での絶対音感をインプリントされるし、「A=443Hz」で調律されていた家ではそれが絶対音感として刷りこまれる。
楽器がピアノではなく、バイオリンなどの弦楽器ではある場合は、音律が平均率ではないだろうし、基準音も変わってくるだろう。
このように、絶対音感という特殊能力は音楽演奏の場面ではあまり意味のないものなのだ。
実際の音楽演奏の場面では、すでに述べたように、「相対音感」が重要だ。
したがって、即興演奏法では相対音感のエチュードをいくつかおこなう。
ひとつの音がべつの音に対して高いのか、低いのか、高いとしたらどのくらい高いのか、その音の感覚はどのくらいなのか。
これを聴きわける、あるいは演奏できる能力が重要になってくる。
そしてそれはだれでもたやすく訓練で獲得することができる。
幼少時からの訓練は必要ない。
年をとってからでも身につけることはむずかしくない。
・水城ゆうの最新ライブ・公演・ワークショップなどのスケジュールはこちら。
・水城ゆうの本・最新刊はこちら。
自己共感ということ
photo credit: helgabj via photopincc
共感的コミュニケーションのスキルのなかでも重要なもののひとつに「自己共感」がある。
共感的コミュニケーションは他人に対して共感的であることでつながりの質を確保するスキルだが、そのスタート点としてまずは自分自身に共感することがある。
しかし、これがなかなかやっかいなのだ。
自分自身に共感的であるという態度は、しばしば「わがまま」であることと混同されることがある。
自分のことを大切にするというと「自己中心的」であるとまわりから断罪されることもある。
自分のことを二の次にして、だれかのために、あるいは社会のために役に立つ人間になる、という通奏低音のようなものが、日本社会にたしかにある。
が、これは近代においていささかまちがって解釈され、教育によって押しつけられてきた感がある。
その極端な例が「自己犠牲」を賞賛する風潮だ。
自分を犠牲にして愛する人のために命を投げだす、社会のために、国のために身を捧げる。
極端に走った結果、大東亜戦争末期のような悲劇が起こった。
犠牲になった多くの人々の命のことを思うとまことに痛ましいかぎりだ。
これは極端な話だとしても、私たちは「自分を犠牲にすること」「自分の必要性を棚にあげること」「自分のためより人のために働くことがよいこと、高尚なこと」といったかんがえが通奏低音のように行動や思考のパターンしてしみついてしまっている。
人のために働くにせよ、愛する人を守るためにせよ、まずは自分自身の面倒をしっかりとみて常に最高のパフォーマンスを発揮できるようにメンテナンスしておくことが重要であることは、ちょっとかんがえてみれば子どもでもわかる。
F1チームが走行マシンを最高の状態に維持することに心をくだくように、私たちもまた自分自身の心身のメンテナンスにいつも留意していたい。
なかでもメンタルな問題は自己共感の技術が多少必要になる。
つまり、練習が必要だ。
自己共感の技術は、他人に共感するときとまったくおなじ方法だ。
すなわち、なにか起こったり、感じたり、かんがえたりしたときに現れてくる「感情」を正直に、丁寧に注意深くあつかい、その感情がどこからやってきたものなのか、自分がなにを必要としているからそういう感情が現れたのか、自分がなにを大切にしているのか、ということにきちんとつながっていく方法だ。
最初は小学生が絵日記をつけるように、いちいち書きだしてみればいい。
(1) こうこうこういうことが起きた。
(2) 自分はこんな気持ちになった。
(3) 自分はこれを大切にしていて、それが損なわれたから(あるいは満たされたから)そういう感情が出てきた。
これらをときには絵付きで書きだしてみる。
感情をうまく言葉にできないときは、色とか形で表現してもいい。
ようは自分の内側を丁寧に観察し、あつかうことだ。
(1)から(3)のプロセスが終わったら、それを受けて、ではなにができるか、なにをしたくなったか、ということをかんがえてみる。
とはいえ、無理になにかをやらなければならないということではない。
このプロセスを経るだけで相当落ちつくことができるだろう。
冷静になり、自分自身を客観的に認知できれば、あとは自然に行動にうつれるだろう。
慣れればいちいち書きださなくてもできるようになる。
熟練すれば一瞬にしてプロセスを完了できるようになる。
自己共感にも練習が必要なのだ。
問題は、最初にも書いたように、私たちの思考のなかには「自己共感」にたいする無意識の抵抗があり、気恥ずかしさがある、ということだ。
そこを乗り越え、自分自身をきちんとメンテナンスできるようになれば、結果的に人の役に立ちたいと思ったときにきちんと力を発揮できるだろう。
・水城ゆうの最新ライブ・公演・ワークショップなどのスケジュールはこちら。
・水城ゆうの本・最新刊はこちら。
共感的コミュニケーションのスキルのなかでも重要なもののひとつに「自己共感」がある。
共感的コミュニケーションは他人に対して共感的であることでつながりの質を確保するスキルだが、そのスタート点としてまずは自分自身に共感することがある。
しかし、これがなかなかやっかいなのだ。
自分自身に共感的であるという態度は、しばしば「わがまま」であることと混同されることがある。
自分のことを大切にするというと「自己中心的」であるとまわりから断罪されることもある。
自分のことを二の次にして、だれかのために、あるいは社会のために役に立つ人間になる、という通奏低音のようなものが、日本社会にたしかにある。
が、これは近代においていささかまちがって解釈され、教育によって押しつけられてきた感がある。
その極端な例が「自己犠牲」を賞賛する風潮だ。
自分を犠牲にして愛する人のために命を投げだす、社会のために、国のために身を捧げる。
極端に走った結果、大東亜戦争末期のような悲劇が起こった。
犠牲になった多くの人々の命のことを思うとまことに痛ましいかぎりだ。
これは極端な話だとしても、私たちは「自分を犠牲にすること」「自分の必要性を棚にあげること」「自分のためより人のために働くことがよいこと、高尚なこと」といったかんがえが通奏低音のように行動や思考のパターンしてしみついてしまっている。
人のために働くにせよ、愛する人を守るためにせよ、まずは自分自身の面倒をしっかりとみて常に最高のパフォーマンスを発揮できるようにメンテナンスしておくことが重要であることは、ちょっとかんがえてみれば子どもでもわかる。
F1チームが走行マシンを最高の状態に維持することに心をくだくように、私たちもまた自分自身の心身のメンテナンスにいつも留意していたい。
なかでもメンタルな問題は自己共感の技術が多少必要になる。
つまり、練習が必要だ。
自己共感の技術は、他人に共感するときとまったくおなじ方法だ。
すなわち、なにか起こったり、感じたり、かんがえたりしたときに現れてくる「感情」を正直に、丁寧に注意深くあつかい、その感情がどこからやってきたものなのか、自分がなにを必要としているからそういう感情が現れたのか、自分がなにを大切にしているのか、ということにきちんとつながっていく方法だ。
最初は小学生が絵日記をつけるように、いちいち書きだしてみればいい。
(1) こうこうこういうことが起きた。
(2) 自分はこんな気持ちになった。
(3) 自分はこれを大切にしていて、それが損なわれたから(あるいは満たされたから)そういう感情が出てきた。
これらをときには絵付きで書きだしてみる。
感情をうまく言葉にできないときは、色とか形で表現してもいい。
ようは自分の内側を丁寧に観察し、あつかうことだ。
(1)から(3)のプロセスが終わったら、それを受けて、ではなにができるか、なにをしたくなったか、ということをかんがえてみる。
とはいえ、無理になにかをやらなければならないということではない。
このプロセスを経るだけで相当落ちつくことができるだろう。
冷静になり、自分自身を客観的に認知できれば、あとは自然に行動にうつれるだろう。
慣れればいちいち書きださなくてもできるようになる。
熟練すれば一瞬にしてプロセスを完了できるようになる。
自己共感にも練習が必要なのだ。
問題は、最初にも書いたように、私たちの思考のなかには「自己共感」にたいする無意識の抵抗があり、気恥ずかしさがある、ということだ。
そこを乗り越え、自分自身をきちんとメンテナンスできるようになれば、結果的に人の役に立ちたいと思ったときにきちんと力を発揮できるだろう。
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音読日めくり1月11日:岡本かの子「家霊」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、岡本かの子「家霊」です。
今日のフォトは冬枯れのオカメザサです。
生け垣というか、崖上の家の崖の肌あたりに植えられている背の低い笹です。
毎日、なにげなくその前を歩いていますが、よく見るとこの寒いなか、懸命に生きています。
今日のフォトは冬枯れのオカメザサです。
生け垣というか、崖上の家の崖の肌あたりに植えられている背の低い笹です。
毎日、なにげなくその前を歩いていますが、よく見るとこの寒いなか、懸命に生きています。
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