マインドフルネスとは「いまここ(プレゼンス)」の意識をもって自分の「いまこの瞬間」のありようや、自分の周辺のことに「気づき」つづけている状態のことだ。
朗読行為においてマインドフルネスでありつづけるのはとてもむずかしい。
なぜなら、朗読は「文字を読む」行為であり、それはマインドフルネスを邪魔する言語思考などの「思考」をともなった行為だからだ。
思考をともなった表現をおこないながらも、つねに「いまここ」の自分自身とまわりの変化に気づきつづけ、表現自体もたくらまず、固定化せず、変化しつづけることを心がける。
狭い平均台の上でバランスをとりながら、同時に自在におどっている、というような困難さがあるかもしれない。
また、朗読ではテキストを読みこみ、「ここはこう読もう」「この部分はこういうシーンだから明るく読もう」「ここで段落が変わるからトーンを変えよう」「出だしは滑舌よくしよう」「このセリフはおばあちゃんだからおばあちゃんっぽく読もう」などなど、無数の「たくらみ」に自分がとらえられていくことがある。
事前に決めたたくらみは、表現の「その瞬間」においてはすでに過去の自分自身の遺物であり、できれば手放し、いまこの瞬間のフレッシュな自分と出会いつづけながら読んでいきたい。
もしそれができたら、自分自身でも予測のつかない、まだ見ぬ自分に出会うことができるだろうし、表現は多彩でユニークなものになるだろう。
いまここの瞬間の自分自身は、まだ一度も出会ったことのない自分であり、なにを感じているのか、どうしたいのか、自分ですらわかっていない。
そのことに謙虚になり、自分自身の身体や存在に耳をすませ、慎重に、そしてときには大胆に未来へと踏みだしていく必要がある。
そのためにマインドフルネスの実践が必要なのだ。
マインドフルネスには密度があって、浅くてだれでもがはいっていけるレベルもあれば、深くて自分自身の生命活動そのものに触れるような感触の密度の濃いレベルもある。
深いレベルに進入すれば、自分自身の声ばかりでなく、まわりからもおどろくほどの情報量が流入してきて、いわゆる「フロー」の状態がおとずれる。
完全に自分自身のことや自分がおこなっていることに集中していながら、まわりのあらゆることにも気づきつづけている状態だ。
このとき、人は自分の能力を最高レベルまで発揮できる。
コンマ何秒の世界で競うアスリートたちがこの境地をめざすのは、そのためである。
フローにはいったとき、人は自分でも驚くようなことをやってのけることがある。
しかしそれは、自分の能力が飛躍したからではなく、もともと持っていた潜在的な能力がフロー状態によって発揮できるようになっただけのことだ。
もともと自分が持っているはずの能力、それを発揮できないまま時がすぎていくのは、私にはとてもくやしい気持ちがするが、みなさんはいかがだろうか。
現代朗読では朗読という表現行為をつうじて、マインドフルネスの実践からフローへの進入の道すじをトレーニングしている。
具体的なエチュードがいくつも用意されているが、それらはたぶん、みなさんが「朗読の練習」としてはまったく想像すらできないやりかたとなっている。
とにかく、一度体験してもらいたいものだ。
現代朗読の体験講座は、本日6月7日(土)午後2時から、世田谷・羽根木の家で開催されます。
ドタ参歓迎。
詳細と申し込みはこちら。