2014年6月6日金曜日

私たちはプロの朗読家を育てている

現代朗読協会は朗読表現の研究の場であり、また公演やライブなど表現の場作りをおこなう集団だが、プロの朗読家を育成する学びと成長の機会を提供する場でもある。

ところで「プロ」とはなんだろう。
一般的には「それでおまんまを食っている人」みたいな感じで漠然と定義されているようだ。
「プロの絵描き」というと、絵を描いてそれを売ることだけで生計を立てている人、というふうに思われている。
しかし、「生計を立てる」という条件が「プロ」の条件なのだろうか、と私は疑念を差し挟みたい。

たとえば、詩人はどうだろうか。
超有名どころで詩を書くことだけで生計を立てているひと握りの人がいることはいるが、ほとんどの詩人はそれだけで生計を立ててはいない。
たいていの人は「詩人です。ふだんは小学校の教員をやっています」みたいないいかたをする。
生計を立てるための仕事としては小学校の先生をしているが、あくまで「詩人」というスタンスだ。

それが生活の中心になっていて、なにをするにせよそのことと関係なしにはできないことがあるとすれば、その人はそのプロであるといえる。
それで食える/食えない、収入が発生する/発生しないというようなみみっちいことはどうでもよろしい。
それが生きることの中心にあるかどうか、という話だ。

私はピアニストであり、そのプロフェッショナルだが、ピアノを弾くことによって収入はほとんど得られていない。
ほぼゼロといっていい。
しかし、病院でピアノを弾くとき、老人ホームでピアノを弾くとき、朗読者とライブハウスで共演するとき、私はプロフェッショナルのピアニストとして演奏する。
自分の演奏が自分にしかできないオリジナリティがあり、収入が発生するかしないかという次元ではなく、だれかに求められる仕事であるという矜持があるからだ。

それとおなじレベルで、現代朗読においても朗読者を大切に育てている。
自分の人生/生活の真ん中に朗読という表現行為を置いている人、そのことによって自分が成長し、社会に貢献することを生きがいにしている人。
そういうプロの朗読者をはぐくむ場として、現代朗読協会が存在できればうれしいと思う。

それらを体験できる朗読体験講座が明日6月7日(土)の午後、世田谷・羽根木の家で開催されます。
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