まだ7月以降ということだけで、日にちは未定だが、楽しみだ。
夏ごろになるなら、夏の歌曲をオリジナルアレンジと即興演奏でやることになるだろう。
昨日は現代朗読の朝ゼミと昼ゼミを開催。
朝ゼミでは最初に、私が最近はじめたかぎ針編みの師匠であるKATが参加したので、それにつられてみんなで手芸部活動が始まってしまった。
まあそれはそこそこにして、やはりしっかり基礎訓練。
5月4日に京都・法然院で現代朗読公演をやることになっていて、そこで群読パフォーマンスをおこなう予定がある。
何人か出演してもらうのだが、それにもう数名メンバーを加えて、4月22日に酒井俊さんとやる渋谷の〈サラヴァ東京〉でのライブにオープニングアクトとしておなじ群読パフォーマンスをやってもらおうと思いたった。
そこで、ゼミでも群読のための体認のエチュードに力をいれている。
現代朗読では「なにをどう読むか」ということより、「自分がどう読めるのか、どう読みたいのか」という表現のど真ん中の部分にアクセスしていく感受性と身体性を養うために、体認のエチュードという稽古を重要視している。
朗読は伝達の側面と表現の側面がある。
現代朗読は表現としての朗読を追求している。
自分が生きて、ここにこうしてある、そのありようを表現する、それが朗読にかぎらず、すべての表現行為だ。
音楽も美術も文学もダンスも、すべて自分の存在・命を表現することが目的だ。
朗読において自分自身の存在や生命、活力、ユニークさ、「いまここ」のありようを表現するためには、どうしても朗読者がその部分(生命存在の核の部分)にアクセスし触れていく必要がある。
体認のエチュードはそのためにある。
最初は自分の身体のことがよくわからない、身体の声なんか聞こえない、という人がほとんどだ。
そこからスタートして、すこしずつ自分の身体性の感受ができるようになり、身体の深い部分からの欲求やわずかな「きざし」に耳を傾け、自由で多彩な表現をおこなう手がかりにつながっていけるようになる。
最終的には「フロー」といわれる状態に進入し、自分の存在そのものをに素手で触れていくようななかで表現をおこなう、という目標がある。
そして体認の稽古は、結果的に表現のクオリティを劇的に変化させるという経験と結果がある。
「へた」「しろうとくさい」などといわれていた朗読者が1年もたてば、ステージの上で堂々たる表現者としてふるまっているのを見るのは、主宰の私としても誇らしくうれしいものだ。
※4月5日(土)18:00-20:00に現代朗読体験講座を開催します。築79年の古民家〈羽根木の家〉にて。これから朗読をやってみようという方はもちろん、ベテランの方にもおすすめ。
ご案内と参加申し込みはこちら。
※現代朗読基礎コース全10回が4月5日からスタートします。これを受けてオーディオブック収録製作コースやライブコースにも進むことができます。
ご案内と参加申し込みはこちら。