2011年9月28日水曜日

現代朗読協会・東北被災地ツアー報告(6)

慰問ボランティアについて、受け入れ側の対応が大変だろうと思われることについては、私たちについても同じことのようでした。
 松嶋さんが役場で待ち合わせしているはずの担当者になかなか連絡がつかず、結局別の人に会場の鍵を借りて行くことになったようです。
 会場は志津川小学校の体育館。
 行ってみると、しーんと静まり返っていて、人っこひとりいません。
 小学校は高台にあって無事だったんですが、そこへ通じる道の途中までは、津波の被害がくっきりと残っていました。「ここまでは被害にあった」というラインをはっきりと引くことができるのです。隣り合った家なのに、坂の下のほうにある家は被害にあっていて、上のほうの家はまったくの無傷、という状態を見ることができました。
 小学校の屋外プールと広々としたグラウンドがあり、その敷地の外側に仮設住宅がならんでいます。が、そこにもほとんど人の気配がありません。皆さん、復興祭のほうに行ってしまっているんでしょうか。
校門の前に野生の栗の木があって、イガがいくつも落ちています。いくつか実も拾いましたが、ほとんどはだれかが取ってしまったか、鳥や獣に食べられてしまったんでしょう。というほどに、小学校は山に近接していて、裏山はけっこう深い山です。狸や狐が住んでいそうです。
 校舎の外に立派なへちまが何株も植わっていて、青々とした巨大へちまがたわわに実っています。

役場の人が体育館の鍵を持ってきてくれたので、ともかく機材を搬入して、準備をすることになりました。
 体育館は小学校にしてはびっくりするほど大きくて立派で、真新しい感じです。あまりに広いので、ステージの前のほうに椅子を集めてならべ、そちらでこじんまりとやることにしました。
 ステージの上には、これも立派なグランドピアノがあるので、それを使うことにしました。

 私たちが準備をするあいだ、三谷産業の都平さんが人集めに行ってくれました。仮設住宅にビラを持っていって、声をかけてくれたのです。
 翌日もそうでしたが、都平さんも松嶋さんも本当に労力を惜しまずによく動く人で、私たちも助かりましたが、見習いたいものだと思ったものです。
 しかし、なかなか人が集まらず、時間になっても数人しか来ないので、急遽、客席をステージの上にあげてしまうことにしました。ピアノのまわりに集まってもらって、そこでさらにこじんまりとやろうということになりました。
 準備してきたプログラムも捨てて、コミュニケーションを取りながら臨機応変にやることにしました。
(つづく)