2014年6月11日水曜日

今週末はウェルバ・ムジカのコアメンバーライブ

ひさしぶりのライブな気がする。
といっても、先月も法然院でやってきたし、それほど間があいたというわけではないのだが、今年はこころもちライブスケジュールをペースダウンして、内容の密度をあげるほうに傾注しようと思っている。
とはいえ、以前のライブの密度が薄かったわけではない。
あんなに濃い密度のライブをあれほど頻繁にやってたら身体がもたんわ、ということと、お客さんもついてくるのが大変だわ、というようなことを思ったからだ。
ペースダウンして、しかしさらに密度をあげていくつもりで、今週末のウェルバ・ムジカ・ライブもかなり力をいれている。

今週末の土曜日、6月14日の午後7時半、場所は中野〈Sweet Rain〉で、今年2月に発足したコンテンポラリー表現ユニット〈ウェルバ・ムジカ〉のコアメンバーでライブをやる。
コアメンバーとは、朗読の野々宮卯妙とマルチリード奏者の森順治、そしてテキストとピアノの私の3人だ。
それに何人かの朗読者と音楽家が加わってウェルバ・ムジカの本体が作られるわけだが、今回は朗読の宮本菜穂子と山田みぞれに加わってもらうことになった。

今回のライブでは、私が書いたテキストのなかでも「女性視点」のものばかりを集めてみた。
少女、若い娘、職業女性、そして老女など、いわば「女シリーズ」とでもいうもので、私の作品には女性視点のものが多く、ご好評をいただいているものもある。
なぜなのかはわからないのが、私は本当は「女性脳」の持ち主である、といわれることもあるので、そのせいかもしれない(性同一性障害ではないよ)。

そして森順治という自由自在で強烈な個性の吹き手が、今回はどんな表情を見せてくれるのか、それも重要である。
なぜなら、今回は完全フリーな即興でありながら、そこにストーリー性をある程度持ちこむことを、森さんと私のふたりでやってみたいと思っているからだ。

しっとりした作品、暗い作品、コミカルな作品、そしてメッセージ性の強いもの、いろいろ取りそろえてみた。
これらを3人の女性朗読者がどのように表現し、またそれにどんな音がつくのか、どうぞ楽しみにして聴きにいらしてください。
お待ちしております。
詳細とご予約はこちらから。

2014年6月10日火曜日

新刊電子ブック『音読療法の基礎』

音読療法の教科書である『音読療法の基礎』(著・音読療法協会/監修・水城ゆう/出版・アイ文庫)がBCCKS( bccks.jp )でリリースされました。
ほかにもアマゾンKindleストア、楽天<kobo>イーブックストア、iBooks Store、紀伊國屋書店 Kinoppy、BookLive!、BOOK☆WALKER、eBookJapan、Sony Reader Store、KDDI ブックパスでも順次配本予定です。

すべて500円です(紙本は1,200円)。

新刊電子ブック『現代朗読考――コンテンポラリーアートとしての朗読』

現代朗読に関する考察をまとめた本『現代朗読考――コンテンポラリーアートとしての朗読』(著・水城ゆう/出版・アイ文庫)がBCCKS( bccks.jp )でリリースされました。
ほかにもアマゾンKindleストア、楽天<kobo>イーブックストア、iBooks Store、紀伊國屋書店 Kinoppy、BookLive!、BOOK☆WALKER、eBookJapan、Sony Reader Store、KDDI ブックパスでも順次配本予定です。

電子ブック(本体価格300円)とオンデマンドの紙本(本体価格900円)があります。
ご都合のよいほうをご利用ください。

新刊リリース特典として、紙本を購入いただいた方にもれなく電子ブックをプレゼントします。

2014年6月7日土曜日

ゼミ、オーディオブックリーダー、教科書『音読療法の基礎』

一昨日の木曜日は朝ゼミ、昼ゼミ、夜ゼミと、いわゆるげろきょデーであった。
朝ゼミにはひさしぶりに矢澤ちゃんがフル参加したり、テキスト表現ゼミのメンバーである奥田くんの作品をみんなで回し読みしたりして、にぎやか。
夜ゼミには体験参加の人や、オーディオブックリーダー養成講座の参加者も加わって、こちらもちょっとにぎやか。

その合間に長らく手をいれたり、休んだりして、懸案だった音読療法の教科書『音読療法の基礎』の造本作業がようやく終わり、もうすぐ出版できることとなった。
これは電子ブックと紙本の両方で出ることになる。
校正作業をいま手伝ってもらっている。

昨日はオーディオブックリーダー養成講座の最終収録実習。
参加者のじゅみさんが現代朗読協会の正会員(ゼミ生)になってくれた。
うれしい。
夜はそのまま、オーディオブック収録製作コースの8回めに出てくれた。

※現代朗読ゼミの体験参加を随時受け付けています。7月の参加可能な日時など詳細はこちら

福井県立病院・夏のピアノコンサートのお知らせ

ご好評をいただいている福井県立病院でのソロピアノ・ミニコンサートのお知らせです。
どなたもよくご存知の日本の夏の唱歌や童謡などの懐かしいメロディーを中心に、水城のオリジナル曲もまじえ、自由なアレンジでお送りする予定です。

どなたも自由にお聴きいただけます。

◎日時 2014年8月25日(月)13:30〜14:30
◎場所 福井県立病院受付ロビー(エントランスホール)
    福井市四ツ井2-8-1
◎料金 無料

福井は私のふるさとですが、活動拠点を東京に移して以来、福井で演奏する機会はあまりありません。
今回も貴重な機会を大切にしつつ、みなさんとのトークを交えた気軽で楽しいコンサートにしたいと思っています。

ちなみに水城ゆう最新CDはこちらから聴けます。
⇒ http://yuumizuki.bandcamp.com
ダウンロードしなくても全曲試聴できます。


また、カルメン・マキさんの最新3枚組CD「Good Times, Bad Times ~ History of Carmen Maki」に、私がテキストを提供し、マキさんの朗読と私のピアノで共演した「A Red Flower」が収録されています。
とても聴きごたえのあるアルバムです。
私が書いたレビューはこちら

マインドフルネスからフローへ

現代朗読では表現の場において「マインドフルネス」であることを重視している。
マインドフルネスとは「いまここ(プレゼンス)」の意識をもって自分の「いまこの瞬間」のありようや、自分の周辺のことに「気づき」つづけている状態のことだ。

朗読行為においてマインドフルネスでありつづけるのはとてもむずかしい。
なぜなら、朗読は「文字を読む」行為であり、それはマインドフルネスを邪魔する言語思考などの「思考」をともなった行為だからだ。
思考をともなった表現をおこないながらも、つねに「いまここ」の自分自身とまわりの変化に気づきつづけ、表現自体もたくらまず、固定化せず、変化しつづけることを心がける。
狭い平均台の上でバランスをとりながら、同時に自在におどっている、というような困難さがあるかもしれない。

また、朗読ではテキストを読みこみ、「ここはこう読もう」「この部分はこういうシーンだから明るく読もう」「ここで段落が変わるからトーンを変えよう」「出だしは滑舌よくしよう」「このセリフはおばあちゃんだからおばあちゃんっぽく読もう」などなど、無数の「たくらみ」に自分がとらえられていくことがある。
事前に決めたたくらみは、表現の「その瞬間」においてはすでに過去の自分自身の遺物であり、できれば手放し、いまこの瞬間のフレッシュな自分と出会いつづけながら読んでいきたい。
もしそれができたら、自分自身でも予測のつかない、まだ見ぬ自分に出会うことができるだろうし、表現は多彩でユニークなものになるだろう。

いまここの瞬間の自分自身は、まだ一度も出会ったことのない自分であり、なにを感じているのか、どうしたいのか、自分ですらわかっていない。
そのことに謙虚になり、自分自身の身体や存在に耳をすませ、慎重に、そしてときには大胆に未来へと踏みだしていく必要がある。
そのためにマインドフルネスの実践が必要なのだ。

マインドフルネスには密度があって、浅くてだれでもがはいっていけるレベルもあれば、深くて自分自身の生命活動そのものに触れるような感触の密度の濃いレベルもある。
深いレベルに進入すれば、自分自身の声ばかりでなく、まわりからもおどろくほどの情報量が流入してきて、いわゆる「フロー」の状態がおとずれる。
完全に自分自身のことや自分がおこなっていることに集中していながら、まわりのあらゆることにも気づきつづけている状態だ。
このとき、人は自分の能力を最高レベルまで発揮できる。
コンマ何秒の世界で競うアスリートたちがこの境地をめざすのは、そのためである。

フローにはいったとき、人は自分でも驚くようなことをやってのけることがある。
しかしそれは、自分の能力が飛躍したからではなく、もともと持っていた潜在的な能力がフロー状態によって発揮できるようになっただけのことだ。
もともと自分が持っているはずの能力、それを発揮できないまま時がすぎていくのは、私にはとてもくやしい気持ちがするが、みなさんはいかがだろうか。

現代朗読では朗読という表現行為をつうじて、マインドフルネスの実践からフローへの進入の道すじをトレーニングしている。
具体的なエチュードがいくつも用意されているが、それらはたぶん、みなさんが「朗読の練習」としてはまったく想像すらできないやりかたとなっている。
とにかく、一度体験してもらいたいものだ。

現代朗読の体験講座は、本日6月7日(土)午後2時から、世田谷・羽根木の家で開催されます。
ドタ参歓迎。
詳細と申し込みはこちら

2014年6月6日金曜日

私たちはプロの朗読家を育てている

現代朗読協会は朗読表現の研究の場であり、また公演やライブなど表現の場作りをおこなう集団だが、プロの朗読家を育成する学びと成長の機会を提供する場でもある。

ところで「プロ」とはなんだろう。
一般的には「それでおまんまを食っている人」みたいな感じで漠然と定義されているようだ。
「プロの絵描き」というと、絵を描いてそれを売ることだけで生計を立てている人、というふうに思われている。
しかし、「生計を立てる」という条件が「プロ」の条件なのだろうか、と私は疑念を差し挟みたい。

たとえば、詩人はどうだろうか。
超有名どころで詩を書くことだけで生計を立てているひと握りの人がいることはいるが、ほとんどの詩人はそれだけで生計を立ててはいない。
たいていの人は「詩人です。ふだんは小学校の教員をやっています」みたいないいかたをする。
生計を立てるための仕事としては小学校の先生をしているが、あくまで「詩人」というスタンスだ。

それが生活の中心になっていて、なにをするにせよそのことと関係なしにはできないことがあるとすれば、その人はそのプロであるといえる。
それで食える/食えない、収入が発生する/発生しないというようなみみっちいことはどうでもよろしい。
それが生きることの中心にあるかどうか、という話だ。

私はピアニストであり、そのプロフェッショナルだが、ピアノを弾くことによって収入はほとんど得られていない。
ほぼゼロといっていい。
しかし、病院でピアノを弾くとき、老人ホームでピアノを弾くとき、朗読者とライブハウスで共演するとき、私はプロフェッショナルのピアニストとして演奏する。
自分の演奏が自分にしかできないオリジナリティがあり、収入が発生するかしないかという次元ではなく、だれかに求められる仕事であるという矜持があるからだ。

それとおなじレベルで、現代朗読においても朗読者を大切に育てている。
自分の人生/生活の真ん中に朗読という表現行為を置いている人、そのことによって自分が成長し、社会に貢献することを生きがいにしている人。
そういうプロの朗読者をはぐくむ場として、現代朗読協会が存在できればうれしいと思う。

それらを体験できる朗読体験講座が明日6月7日(土)の午後、世田谷・羽根木の家で開催されます。
詳細と申し込みはこちら

2014年6月5日木曜日

朗読表現と体認

「朗読は身体表現である」とはずっといいつづけていることである。
私は朗読者ではなく、朗読を演出する側であるが、ピアノ弾きという音声(音楽)表現者でもある。
ピアノを弾くとき、指先だけで弾く人はいない。
すぐれた音楽表現者なら、ピアノに限らず、全身をともなった「運動」としての演奏があるだろう。
ところが、朗読の世界では「全身をともなった運動」としての朗読をおこなっている人にはなかなかお目にかかれない。

なにも身体を動かしながら読め、といっているわけではない。
そうではなく、音楽演奏もそうだが、朗読する場合も全身が「動いている」のだ。
椅子にすわってじっとしているように見えても、じつは全身が動いている。
動いてしまっている、といってもいいかもしれない。
そのことにたいして、あまりに無自覚な人が多い。

朗読するとき、自分の身体がどのように動き、反応し、変化しつづけているのか、それを精細に感受しながら読むのと、自己の身体性に無自覚のまま読むのとでは、表現のクオリティはまったく異なってくる。
説明するまでもない。

現代朗読では武術から借りてきた「体認」ということばを使っている。
呼吸し発声する朗読という行為に全身が参加し、刻一刻と変化している現象を緻密に感受しながら表現する。
これを体認朗読と呼んでいる。
体認朗読はまさに、自分自身の生命現象そのものに触れていく行為なのである。

体認の稽古をするようになって朗読が劇的に変化した者が何人もいる。
私自身、体認によって自分のピアノ演奏が劇的に変わったと感じている。
朗読がテキストのたんなる伝達行為ではなく、自分自身のいきいきと変化しつづける生命現象そのものの発露である表現にまで高まることを、私はのぞんでいる。
そしてそれは特別なことではなく、だれでもそこにいたり、楽しむことができることなのだ。

それらを体験できる朗読体験講座が今週末6月7日(土)の午後、世田谷・羽根木の家で開催されます。
詳細と申し込みはこちら。
⇒ http://www.roudoku.org/ws/trial1406

2014年6月4日水曜日

横浜・神奈川県民センターでの共感カフェ

昨夜は兼久須美子さんが主催してくれた、横浜・神奈川県民センターでの共感カフェに行ってきた。
初参加の方がふたりいて、共感的コミュニケーションの原理、考え方、プロセスについて解説しながら、実際のケースにそって進めていった。

もうすぐ定年を迎え、その後は積極的に市民活動に関わりたいと思っているが、市民活動では内紛や意見の違いによるトラブルがたえず、共感的コミュニケーションでそれらを解決できないかと思っていらしたおじさんがいた。
ニーズを共有することによるチーム・ビルディング、コミュニティ・ビルディングに興味を持っていただいた。

もうすぐ結婚する親戚の女性が、婚約者の家族と折り合いが悪くなり、そのことを心配している方の話を聞き、どのようにつながりを持ち、尊重しあいながら自分のニーズを伝えていくことができるか、というパロセスを、みんなで確認した。

「どうせ人を動かすことはできない」「自分を理解してもらうなんて不可能」「お願いを聞きいれられないのが怖くて人にはなにもいえないし、期待もしていない」という方がいて、しかし最後には共感的コミュニケーションを使って自分のニーズを伝え、その「お願い」が実行されるチャンスを高めていける可能性をいくらかでもわかってもらえたと思う。

とてもあたたかな雰囲気の会で、私は貢献することのニーズ、自分の能力を発揮することのニーズ、自分を表現し伝えることのニーズが満たされて、とても充実した気持ちで横浜をあとにした。
横浜のみなさん、ありがとう。
また会いましょう。

次回の横浜共感カフェは7月7日(月)夜の予定。
詳細と申し込みはこちら

最近の一週間日記

久米島の視察から東京にもどって、気がついたらもう1週間以上がたっている。
その間に、感触と記憶が熱いうちにと、電子ブック『球美《くみ》はじめ――久米島初訪問記』を書きあげた。
いろんな人に読んでもらえていて、とくに久米島関係の人とあらたなつながりが生まれたりして、うれしい。
これ一冊あると、さらにいろいろつながりを作れそうだ。
コミュニケーション・ツールとしての電子ブック、なんちゃって。
電子ブック『球美《くみ》はじめ――久米島初訪問記』はこちら

先週の火曜27日は、ヴォイスと韓氏意拳の合同ワークショップということで、ヴォイスパフォーマーの徳久ウイリアム氏と韓氏意拳の駒井雅和教練が羽根木の家にやってきて、開催。
私も参加させてもらったが、なかなか興味深いワークショップであった。
韓氏意拳はさまざまな表現に応用できるなという感を、さらに深めることができた。

木曜29日の午前中はママカフェこと「お母さんのための音読カフェ」。
昼は下北沢の〈かまいキッチン〉まで歩いてランチ。
夜は共感的コミュニケーションの勉強会。
金曜30日夜はオーディオブック収録製作コースの7回め。

土曜31日午前中は現代朗読基礎コースの7回め、午後は昼ゼミ。
夜は共感的コミュニケーションの勉強会だったが、横浜カフェの世話人の須美子さんひとりしか来なかったので、なんとなく飲み会に。
須美子さんも沖縄にしばらくいたことがあって、泡盛を飲みながら南の島談義をしたりして、楽しかったのだ。

日曜1日朝はトランジション世田谷・茶沢会のガーデン部で羽根木の家の畑仕事。
今回参加者が一番多く、にぎやかだったが、間引きもせず育ちすぎた葉物野菜や雑草取りに追われた。
私は遅すぎるタイミングではあるが、ようやくゴーヤの種をまくことができた。

そのあと10時からはきくあつが栃木から来て、彼女のファシリテートで「「からだ」から「声」へ。私に出会う表現ワークショップ」を開催。
参加者に思いきり身体を動かしてもらったり、意識したり、またひさしぶりに料理人マリコのオーガニックなお昼ご飯をみんなでいただきながら食べる瞑想をしたりと、盛りだくさんながらも楽しい内容であった。
この模様は野々宮が現代朗読協会の公式サイトにUPしてくれている。

昨日2日昼は、外苑前〈ラルテ〉に髪を切りに行く。
ざっくりと書いたが、なにかだいぶ抜かしているような気がする。
ゆっくり日記を書く時間も取れなかった日々、ちょっとペースダウンして、地に足をつけたい。

2014年5月29日木曜日

カルメン・マキ「Good Times, Bad Times 〜 History of Carmen Maki」

カルメン・マキさんの最新CD「Good Times, Bad Times 〜 History of Carmen Maki」が届いた。
3枚組で、タイトル通り、マキさんのこれまでの活動の集大成ともいっていい、本人セレクトのベスト盤といっていいだろう。
発売元のユニバーサルミュージックの公式サイトには、このように掲げられている。

デビュー45周年!
何にも縛られず、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドを自在に行き来した歴史の中から、自らがベストチューンを選曲。
自身の半生を振り返るセルフライナーノーツ、未公開写真を含めた究極のベスト!

Twitterでマキさん自身が、ライナーノーツの執筆に力を注いでいるようすをつぶやいておられたので、ライナーノーツを読みながら、全曲を聴いてみた。
いやいや、これは濃いです。
ご本人が「体力がないと聴けないかも」とおっしゃってたけれど、ごもっとも。
かといって、聴くのがつらいわけではない。
一曲一曲にカルメン・マキという表現者の存在感が乗っている濃さと、つぎはどんな曲? どういう選曲と配置をマキさんがしたの? という興味が合わさって、つぎへつぎへと聴いていってしまう。
この選曲と、曲の並べ方、そして写真とライナーノーツの要素が、完全にオリジナルの組CDとしてのコンテンツ性を作っている。
買った人のだれも損をしたとは思わないばかりか、得をしたと感じるだろうね。

3枚組の1枚めは「BLUE Disk」とタイトルされていて、デビュー作から最近のアコースティックな曲まで、マキさんの多彩でありながら一貫した音楽性をもっともよく感じられる選曲になっているように感じる。
2枚めは「RED Disk」とあって、ロックばかり集めてある。「RED」というより「ROCK」もしくは「HOT」と題してもいいような選曲だ。
3枚めは「PURPLE Disk」と題されていて、マキさんのライブに行った方ならよくご存知だろうが、「え、こんな感じのものもやるの?」といった、意外性があったり音楽的広がりをもったり、あるいは音楽というジャンルの枠を超えそうなものまで含まれた選曲となっている。
それぞれにマキさん自身のコメントがつけられていて、それもまた密度が高く、興味をそそられる。

「PURPLE Disk」に私がテキストを書き、豪徳寺のスタジオで即興ピアノとのほぼ一発録りをした「A Red Flower」という朗読が収録されている。
『白い月』というマキさんの朗読と私の即興演奏のみで構成されたアルバムからの選曲だが、選んでいただいてとても光栄であると同時に、マキさんの大胆さに驚いている。
聴いてみればわかるが、これをここに収録するには、かなり思いきった決断が必要であろうことは想像に難くない。
そんなことにもカルメン・マキという表現者の意外性と大胆さ、緻密さがあらわれているように感じる。

音楽活動45年という、この人を抜きにしては日本の音楽シーンは絶対に語れないという重要人物である。
にもかかわらず、現在のマキさんのライブに足を運ぶ人は、私が知るかぎりめちゃくちゃ多いというわけではない。
しかし、このCDを聴けば、かならず「いま」のカルメン・マキを目撃しに行きたくなるだろう。
とにかく一度、このCDを聴いてみてほしい。
絶対に損はないから。

新刊電子ブック『球美はじめ――久米島初訪問記』

私の電子ブックの新刊『球美はじめ――久米島初訪問記――』がBCCKSでリリースされました。
ほかにもアマゾンKindleストア、楽天<kobo>イーブックストア、iBooks Store、紀伊國屋書店 Kinoppy、BookLive!、BOOK☆WALKER、eBookJapan、Sony Reader Store、KDDI ブックパスで購入できます。
すべて300円です。

『球美(くみ)はじめ――久米島初訪問記』は私のブログ「水の反映」に短期集中連載した旅行メモ「久米島に行く」をもとに、大幅に加筆修正して電子ブックにまとめたものです。
スマートホンやコンピューターのアプリで読めるほか、BCCKSでは直接紙本も注文できます(割高になります)。

アマゾンKindleストアでの購入はこちら↓

2014年5月25日日曜日

5月14日(水)から17日(土)までの日記

久米島に行く前の記録。

5月14日、水曜日午後、北陸の実家から東京にもどる。
羽田空港の滑走路上でトラブルがあり、小松から飛ぶ便が滑走路に向かいながら、いったん駐機場にもどるという事態があった。
1時間遅れで羽田到着。

夕方5時から、ドイツのフライブルクとネットで結んで、オーディオブックリーダーの個人セッション。
オーディオブックはそもそも録音コンテンツなので、オンラインでも指導がやりやすい。
遠隔セッションができるので、こういうニーズがある人たちにもっと周知できてお役に立てるといいな、と思う。


夜は下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉での共感カフェ。
今回で2回め。
私も入れれば定員近い9名の参加。
初参加の方が多かったので、プロセスにそってじっくりと進めた。
次回の〈Stay Happy〉共感カフェは7月16日(水)夜開催することが決まった。
継続的にやれることがありがたい。

5月15日木曜日は、朝ゼミ、昼ゼミ、夜ゼミとげろきょデー。
午後に豊田市から語りのサヤ佳ちゃんが来て、明後日の高麗神社での語り公演の打ち合わせとリハーサルをした。
土曜日には私も演奏で参加予定。
演奏機材をどうするか、心配だったが、なんとかめどが立った。

5月16日金曜日は、夜にオーディオブック収録製作コースの6回め。
簡易的ではあるが、実際に収録してみて、参加者各人の声や発音の特徴をつぶさに検証してみる。

5月17日は早朝から埼玉の高麗神社に移動。
6時40分に家を出て、下北沢、新宿、池袋、川越、高麗川と移動。
高麗川駅にはサヤ佳ちゃんのお母さんが迎えに来てくれて、車で高麗神社へ。
宮司さんとその奥さんにご挨拶して、神社にもお参り。

事前に確認したところでは、電子ピアノがあるということだったので、それにmidiケーブルをつないでMacから音出し、ミニミキサーを持っていって電子ピアノとMacの音源をミックスしてPAに出せばいいと計画していた。
実際に行ってみると、電子ピアノにはmidi端子がなくUSB端子があるのみ。
Midiケーブルは持っていったが、USBケーブルは持っていかなかった。
なるほど、そういう事態は想定していなかった。
Macからの音出しはできなくなり、さらに電子ピアノにはダンパーペダルがなかった。
つまり、持っていったものは全部使えないということになり、おもちゃのような電子ピアノからすべて音出し、という事態になった。
ま、そういうこともあるでしょ、と受け入れて、午前11時からサヤ佳ちゃんの語りスタート。

私はメインの「高句麗ものがたり」と、「三年峠」という朝鮮の民話に即興で音をつけた。
チープな演奏環境にも関わらず、なんとか無事に終えられて、ホッと一息。

そのあと、お弁当をいただいてから、サヤ佳ちゃんとお母さんに飯能駅まで送ってもらって、えっちらおっちらと帰宅。

近くの世田谷代田の〈空間工場〉でマルシェをやっているというので、のぞいてみた。
手作りのアクセサリーやらお菓子やら、あれやこれやが出展されていて、こじんまりとではあるけれど楽しいマルシェになっていた。
こちらでは近く、共感カフェをやれるといいな、という話になっている。
そのあと、ひさしぶりに真ん前の〈Ki〉に寄って、コーヒー。

午後6時から、オンラインでのテキスト表現ゼミ。
奥田くんがとても完成度の高い作品を提出していた。
いくらかアドバイスをしたけれど、これはげろきょのだれかに朗読してもらいたい作品だと思った。
成長著しい人をサポートできるのは、いまの私にとってもっともうれしいことのひとつだ。

韓氏意拳導師講習会に行ってきた

光岡英稔導師の講習会が東京であるというので、参加してきた。
導師講習会は毎月のように開催されているが、金曜夜や土曜日がほとんどなので、朗読の講座やゼミを持っている私はなかなかタイミングが合わずこれまで参加できなかったのだ。
一度だけ英語で受ける武学研究会というものに参加したことがあるが、あれは韓氏意拳とは違った内容だった。

午前9時半、会場の文京区のスポーツセンターに行く。
最寄り駅は茗荷谷。
行ってみると、参加者は十数名で、見知った顔もちらほら。
内田先生もいらした。

講習は形体訓練ではなく站椿からはじまり、ホワイトボードを使った詳細な内容の講義が同時に進められる。
とくにこの前のゴールデンウィークに韓競辰老師の来日講習があったばかりなので、そのときの内容を踏まえ、それを光岡先生なりにさらに踏みこんだ内容を解説してくれる。

韓氏意拳では「状態」に注目することが重要とされるのだが、では「なんの」状態なのか、あるいは「どういった」状態なのか。
その「状態」のなかには抽象的な概念と具体的なものが相互に補完しあっていて、それらを稽古で理解を深めていくことが重要である。
また「感覚」が「ない」ところに状態があり、体層を深く見ていけばその発生過程があり、それに注目できる。
「体認」については、それが自分の内面に起きていることかどうか、それが自分にとって好ましいことかそうでないのか、精査する必要もある。
主体と客体、主観と客観の話も、難解だが非常に興味深かった。

そんな講義と同時に、站椿や試力を手把手で直接指導してもらった。
韓氏意拳の指導者はそれぞれがことなった雰囲気と言語・行為を持っていて、それがまたおもしろいのだが、光岡先生の手把手も独特の質感があって驚いた。
強い質感のせいで、抱式ひとつ指導してもらっただけでへたへたとへたりこんでしまいそうなほど深い集中があって、自分でもおどろいた。

韓氏意拳は理解し実行するのがむずかしい拳法だが、武術であると同時に自分の身体を精密に見ていく方法でもあるので、表現に関わる身としては大変興味深く学びの多いものだと感じている。

2014年5月17日土曜日

水曜日から今日(土曜日)までの日記

一昨々日の水曜14日午後に、北陸の実家から東京にもどった。
羽田空港の滑走路上でトラブルがあり、小松から飛ぶ便が滑走路に向かいながら、いったん駐機場にもどるという事態があった。
1時間遅れ。

夕方5時から、ドイツのフライブルクとネットで結んで、オーディオブックリーダーの個人セッション。
オーディオブックはそもそも録音コンテンツなので、オンラインでも指導がやりやすい。
遠隔セッションができるので、こういうニーズがある人たちにもっと周知できてお役に立てるといいな、と思う。

夜は下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉での共感カフェ。
今回で2回め。
私も入れれば定員近い9名の参加。
初参加の方が多かったので、プロセスにそってじっくりと進めた。
次回の〈Stay Happy〉共感カフェは7月16日(水)夜開催することが決まった。
継続的にやれることがありがたい。

一昨日の木曜15日は、朝ゼミ、昼ゼミ、夜ゼミとげろきょデー。
午後に豊田市から語りのサヤ佳ちゃんが来て、明後日の高麗神社での語り公演の打ち合わせとリハーサルをした。
明後日は私も演奏で参加予定。
演奏機材をどうするか、心配だったが、なんとかめどが立った。

昨日金曜16日は、夜にオーディオブック収録製作コースの6回め。
簡易的ではあるが、実際に収録してみて、参加者各人の声や発音の特徴をつぶさに検証してみる。

今日は早朝から埼玉の高麗神社に移動。
6時40分に家を出て、下北沢、新宿、池袋、川越、高麗川と移動。
高麗川駅にはサヤ佳ちゃんのお母さんが迎えに来てくれて、車で高麗神社へ。
宮司さんとその奥さんにご挨拶して、神社にもお参り。

事前に確認したところでは、電子ピアノがあるということだったので、それにmidiケーブルをつないでMacから音出し、ミニミキサーを持っていって電子ピアノとMacの音源をミックスしてPAに出せばいいと計画していた。
実際に行ってみると、電子ピアノにはmidi端子がなくUSB端子があるのみ。
Midiケーブルは持っていったが、USBケーブルは持っていかなかった。
なるほど、そういう事態は想定していなかった。
Macからの音出しはできなくなり、さらに電子ピアノにはダンパーペダルがなかった。
つまり、持っていったものは全部使えないということになり、おもちゃのような電子ピアノからすべて音出し、という事態になった。
ま、そういうこともあるでしょ、と受け入れて、午前11時からサヤ佳ちゃんの語りスタート。

私はメインの「高句麗ものがたり」と、「三年峠」という朝鮮の民話に即興で音をつけた。
チープな演奏環境にも関わらず、なんとか無事に終えられて、ホッと一息。

そのあと、お弁当をいただいてから、サヤ佳ちゃんとお母さんに飯能駅まで送ってもらって、えっちらおっちらと帰宅。

近くの世田谷代田の〈空間工場〉でマルシェをやっているというので、のぞいてみた。
手作りのアクセサリーやらお菓子やら、あれやこれやが出展されていて、こじんまりとではあるけれど楽しいマルシェになっていた。
こちらでは近く、共感カフェをやれるといいな、という話になっている。
そのあと、ひさしぶりに真ん前の〈Ki〉に寄って、コーヒー。

午後6時から、オンラインでのテキスト表現ゼミ。
奥田くんがとても完成度の高い作品を提出していた。
いくらかアドバイスをしたけれど、これはげろきょのだれかに朗読してもらいたい作品だと思った。
成長著しい人をサポートできるのは、いまの私にとってもっともうれしいことのひとつだ。

2014年5月13日火曜日

テレビニュースに出て身内からクレームをつけられる

昨日の病院でのピアノコンサートが新聞記事に取りあげられて、それを地元の知人が送ってくれた。
ありがたや。
昨日の夕方には地元のテレビ局のニュースにもちょっと出たらしい。
それを母も見ていた。

喜んでいるのかと思ったら、
「顔がシミだらけで汚く映ってた。もうすこし身ぎれいにしたらどうなの?」
とご不満である。
なんのニーズが損なわれたのだろう(笑)。
いや、笑いごとではなく、共感的コミュニケーションを学んでいる人、ちょっといっしょにかんがえてみよう!
そして、身内にそのようなことをいわれたとき、どのようにして共感的なつながりを持つことができるのか、練習してみよう。

今日は畑に行って、イチゴの畝に動物よけの網をかけ、茄子とスイカと瓜の苗を植えてきた。
明日は東京戻り。
真夏日になるとの予報。

ノーキョー、農業補助金、里山の夜明け

11日の日曜日から北陸の実家に帰省中。
羽田から小松への飛行機は高齢者の団体で満席だった。
どういう団体だったのだろう、謎だ。
そういえば、昔はノーキョーさんという団体客がわんさか海外旅行に出かけていたな。
いまはノーキョーさんはどうしているんだろう。
いないか、そんなのは、もう。

帰省中に聞いた話。
うちの田んぼを作ってくれている農業法人(3人くらいでやっている)が、米の代わりに蕎麦や麦を植えることでもらっている補助金が1,000万円くらいあるのだが、それが来年から半分に減額され、さらにそのあとゼロになるのだそうだ。
政府の農業政策は日本の農業を大規模型に集約しようとしており、それはTPP対策としての国際競争力をつけるという名目なのだろうが、端的にいって農地という風土を含む国土破壊にほかならないと思う。
ヨーロッパでは国土保全のために農業に莫大な補助金をつぎこんでいるが、それは国を守るための必要経費として国民の了解しているのだ。

早起きをして、夜明け前の里山とそこから見える山嶺の風景を撮っている。
昨日は朝焼けが美しかった。
朝焼けの日は天気がくずれるというが、そのとおりになった。
昨夜から雨が降りだし、今日の未明まで降っていた。
が、夜明け前には雨はあがった。
田植えを待つばかりの、水がひかれた水田が美しい。

明日の午後、東京にもどる。
夜は下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉で共感カフェを開催する。
明日はマインドフルネスとプチ瞑想で自分自身の状態とニーズにつながる方法にトライしてもらったあと、共感的コミュニケーションの練習をしてみようと思う。

だれでも参加できるので、気軽においでください。
参加費は1,000円です。
詳細と申し込みはこちら

2014年5月12日月曜日

福井県立病院での「初夏のピアノコンサート」(6回め)が終わった

2014512日、月曜日、午後1時半から、福井県立病院のエントランスホールで「初夏のピアノコンサート」をおこなった。
私は数えていなかったのだが、教えてもらったところによると、ここでのピアノ演奏はこれで6回めになるのだそうだ。

病院の事務の方が地元のマスコミにプレスリリースをおこなってくれたみたいで、朝からNHKテレビの地方版で告知されたりして、問い合わせがあったそうだ。
開始30分前くらいに会場に行くと、福井テレビの記者の方につかまって、取材される。
そのあと、カメラも回っていたようだ。
福井新聞の社会部の記者からも取材を受ける。
明日の新聞に載るのかな。
前回は県民福井という新聞に大きく掲載されてびっくりしたけれど。

それはともかく、古い友人の佳子さんがわざわざ聴きに来てくれた。
彼女とはもう20年来の付き合いで、ネットがまだパソコン通信といっていたそのごく初期のころ、私が福井放送のBBS「TAMPOPO」でシスオペをやっていたとき以来だ。
共通の知人の話や近況をゆっくり聞けてよかった。

今日は初夏の日本の曲を中心に演奏した。
病院での演奏はリハーサルができないので、いきなりピアノにすわって演奏をはじめなければならない。
正直にいうと、最初の数曲はピアノと自分をなじませることが必要で、思ったように演奏ができない。
しかし、すこしたつと「いまここ」に集中できるようになってきて、聴衆の方の反応や病院内のざわめき、自分の演奏した音の響きといったものがすっと流れこんでくるような感覚があって、自由になる。

ある程度曲目は用意してあるが、それをどう弾くかは弾きはじめる瞬間までまったくわからない。
曲のメロディを弾いたあとは即興演奏になるが、それも曲のコード進行にのっとった即興になるのか、あるいはまったく自由な即興になるのかは、やってみるまでわからない。
曲と自分と聴いてくれているみなさん、そしてそれを取り巻く環境とのコミュニケーションのなかで決まっていくことかもしれない。

演奏が終わってから、何人もの人からご挨拶をいただいてうれしかった。
妹の同級生という方ふたりがわざわざ挨拶に来てくれた。
病院の担当の方々にも喜んでいただけたようでよかった。
私も楽しませてもらいました。

次回は3か月後の8月25日、月曜日ということになった。

またみなさんにお会いできるのが楽しみだ。

2014年5月11日日曜日

変わるのを怖れる人々

photo credit: mjp* via photopin cc

人には平和で安定した日々が継続することを望むこころと、みずから成長し変化することを望むこころが同時にある。
前者は大人になればなるほど強くなり、子どもは後者のニーズが強い(ように見える)。

大人になると、現状が変化することをおそれ、安定・継続を望むようになり、結果的に人間的成長はとまる。
つまり、安定を望みすぎる人は成長もしない。
成長しない人は魅力的だろうか。
あるいは、自分自身が成長を望まなくなったとき、それは楽しいだろうか。

もうひとつの問題がある。
安定した現状が継続することを望み、現状維持につとめるとき、それはじつは現状維持ではなくゆるやかな劣化であり後退になっているという事実がある。
なにごとかがその状態を永遠に持続するということはありえないことで、メンテナンスしたり向上につとめないかぎりかならず劣化する。
ゆるやかな劣化はほとんど目に見えず、しかしそれはある日突然、大きな破綻となって現実化する。

安定というのは幻想の一種で、人が生きて時間軸を移動している存在である以上、かならず変化する。
変化する以上、積極的に成長という変化を選びとるか、ただ流されていくほうを選ぶかは、個々人の自由だ。

共感的コミュニケーションでは、自分自身と人にたいする「ふるまい」を変えることを学び、身につける。
すると、自分がいままでとは違う別の人になってしまうような怖れを抱く人がいる。
それは違う。
「ふるまい」が変わるのであって、自分がだれか別の人になってしまうわけではない。
変化した自分になるだけだ。
変化することを怖れず、たえず、死ぬまで成長しつづけたい。
そのことを伝えつづけたい。

※5月14日(水)夜、下北沢の旅カフェ〈ステイ・ハッピー〉で共感的コミュニケーションの勉強会「共感カフェ」を開催します。詳細と申し込みはこちら

2014年5月10日土曜日

朗読のコースふたつ、音楽製作、サイト移管作業

昨日はオーディオブック収録製作コースの5回め。
そして今日は現代朗読基礎コースの5回め。
いずれも大変おもしろかった。

オーディオブックコースでは、朗読するとき、自分が「自分以外の何者か」に、あるいは「社会的に規定されたある役割」になってしまう問題について、つぶさに検証してみた。
たとえば、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」というテキストを、芥川龍之介らしく、蜘蛛の糸らしく、作品のイメージをなぞって「それらしく」読むときと、そんなことは全部手放してただ自分の「いまここ」の感じに接続してただ読むときとでは、どのような変化があるのか、ということをみんなでトライしてみた。
思いがけない結果が生まれて、大変おもしろかったのだ。

私たち人間は社会的動物なので、たえず自分自身の外側にまとった社会性を演じている。
そのことが自分自身を表現することの純粋さを著しく損なうことがある。
といったことを検証できて、おもしろかった。

今日の基礎コースは、参加者それぞれの個人的な音域、呼吸の特徴などについて、客観的な観察と把握をまずおこなった。
それからリズム読みの練習。
いかに我々が「意味」に引きずられて、朗読という音声表現にそれを持ちこんでいるか、意味から自由になって「音/リズム」について豊かな感受性を持てるか、ということについて、楽しく学べたと思う。

基礎コース後、ゼミ生の平田くんがひさしぶりに顔を出してくれた。
彼のスキルをあてにしていたサイトの移管作業を、ここぞと完了させる。
その作業のかたわら、私は語り部・小林さやかちゃんの「高句麗ものがたり」のための音楽製作、最終ラウンドを進める。
完全完成までにはまだすこし残っているが、とりあえず練習で使えるレベルまで完成したので、ひと安心。
2曲作るのに、すきま時間を使いながらではあるけれど、たっぷり2週間かかってしまった。

明日は朝から北陸の実家に移動。