導師講習会は毎月のように開催されているが、金曜夜や土曜日がほとんどなので、朗読の講座やゼミを持っている私はなかなかタイミングが合わずこれまで参加できなかったのだ。
一度だけ英語で受ける武学研究会というものに参加したことがあるが、あれは韓氏意拳とは違った内容だった。
午前9時半、会場の文京区のスポーツセンターに行く。
最寄り駅は茗荷谷。
行ってみると、参加者は十数名で、見知った顔もちらほら。
内田先生もいらした。
講習は形体訓練ではなく站椿からはじまり、ホワイトボードを使った詳細な内容の講義が同時に進められる。
とくにこの前のゴールデンウィークに韓競辰老師の来日講習があったばかりなので、そのときの内容を踏まえ、それを光岡先生なりにさらに踏みこんだ内容を解説してくれる。
韓氏意拳では「状態」に注目することが重要とされるのだが、では「なんの」状態なのか、あるいは「どういった」状態なのか。
その「状態」のなかには抽象的な概念と具体的なものが相互に補完しあっていて、それらを稽古で理解を深めていくことが重要である。
また「感覚」が「ない」ところに状態があり、体層を深く見ていけばその発生過程があり、それに注目できる。
「体認」については、それが自分の内面に起きていることかどうか、それが自分にとって好ましいことかそうでないのか、精査する必要もある。
主体と客体、主観と客観の話も、難解だが非常に興味深かった。
そんな講義と同時に、站椿や試力を手把手で直接指導してもらった。
韓氏意拳の指導者はそれぞれがことなった雰囲気と言語・行為を持っていて、それがまたおもしろいのだが、光岡先生の手把手も独特の質感があって驚いた。
強い質感のせいで、抱式ひとつ指導してもらっただけでへたへたとへたりこんでしまいそうなほど深い集中があって、自分でもおどろいた。
韓氏意拳は理解し実行するのがむずかしい拳法だが、武術であると同時に自分の身体を精密に見ていく方法でもあるので、表現に関わる身としては大変興味深く学びの多いものだと感じている。