昨日の朝は農家でもある大家さんの指導のもと、ママカフェの準備に来ていたボイスセラピストのみんなに手伝ってもらって、羽根木の家の庭の草取り。
私はやらなかったけど。
なんでも草取りにはコツがあるそうで、そのやりかたをみんなで教わった。
ママカフェのあとは、下北沢にあたらしくオープンした〈湘南倶楽部〉というレストランまで歩いて、みんなでランチ。
気持ちのいい店で、しかもランチが安い。
私は煮込みハンバーグを食べたのだが、なかなかおいしかった。
その後、みんなは4月19日・20日の公演「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」のチラシ置きに行ってくれた。
私は寺山修司展を観に、世田谷文学館へ。
寺山修司の作品は何本かオーディオブック化している。
その際、カルメン・マキさんにも手伝ってもらった。
マキさんは劇団「天井桟敷」の初期のころ、まだ高校生で入団し、間もなく寺山が作詞した「時には母のない子のように」が大ヒットし、スターとなった。
会場にはそのレコードジャケットも展示されていた。
今回の展示の目玉は、膨大な量の手書きの手紙類。
いずれもお世話になった中学の先生や、高校時代の同人に出したもの。
もちろんほんの一部が展示されているだけだが、驚くほどの筆まめだった。
長く病気で入院生活をしていたというのもあるかもしれない。
大人になってからはそれに原稿書きが加わる。
寺山のなかからは無限の言葉とイメージがわいて出て、詩、シナリオ、ラジオ台本、小説、評論、エッセイと、次々と書きつづけていった。
ジャンルもさまざまで、寺山修司という人はナニ屋なのだという特定ができない。
まさに「寺山修司という職業」を生きた人だった。
そしてもうひとつの目玉は劇団「天井桟敷」のことだろう。
短編のドキュメンタリー番組を会場で流していて、それを観たのだが、おもしろかった。
私自身は天井桟敷を現代朗読についつい重ねて観てしまった。
気づくことも多かった。
もうひとつの大きなトピックとしては、カルメン・マキさんがわざわざ来て合流してくれたことだった。
寺山修司展でマキさんと会って直接お話をうかがうなんていう贅沢がほかにあるだろうか。
文学館内にある喫茶室〈どんぐり〉でゆっくりお話をうかがえた。
そういえば、小室等さんもご夫婦で来館されていたな。
夜は下北沢タウンホールに行き、ミーティングスペースのある〈ラプラス〉で新田さんらとミーティング。
「下北沢+被災地 命つなごうプロジェクト」という人たちのミーティングで、4月14日(日)に下北沢の真竜寺で映画の上映会を含むイベントをおこなうことになっている。
そこに音読療法協会としても参加して、ミニワークショップをやることになったのだ。
映画は「原発の町を追われて〜避難民・双葉町の記録〜」というもので、この連続上映会&交流会にはトランジション世田谷も協力している。
どんなニーズがあるのかを聞かせてもらい、なにができるのかをいっしょにかんがえた。
あいにく私はちょうどその日、東京を留守にしていて行けないのだが、音読療法士が行くことになっている。
午後1時から音読ケアのワーク、午後2時ごろから映画の上映、上映後は監督の堀切さとみさんとの交流会。