2013年3月1日金曜日

「好きなことで食べていく」という矛盾

photo credit: José Ramón de Lothlórien via photopincc

私のもとへは、日々、多くのナレーター志望、声優志望、アナウンサー志望などの「声の仕事」につきたいと望んでいる人たちがやってくる。
私はできるかぎりゆっくりと話を聞き、彼女たちのニーズがなんであるのかをいっしょにかんがえる時間を作っている。

その過程でわかったのは、彼女たちのほとんどが、
「自分の好きなことを仕事にしたい、それで食べていきたい」
と漠然と思った結果、声の仕事につきたいと志望するようになった、ということだ。
私にも覚えのあることなのでとても共感できるが、しかし同意はできない。
なぜなら、この思考経路は矛盾に満ちているからだ。

好きなことをやりたい、ということと、それで生活のための収入を得る、ということはとても矛盾している。
なぜなら、好きなことをお金に換算しようとした瞬間に、それは好きなこと・やりたいこと(=ニーズ)ではなく生活の手段になってしまうからだ。


私は小説を読んだり書いたりすることが好きで、それで生活できたらどんなにいいだろうかと思って、20代のころに書いたSF小説で商業作家になった。
最初に書いた小説はそれこそ好きで書いたもので、だれの意見も取りいれなかったし、売れるか売れないかすらかんがえなかった。
ただ夢中で好きなことに向かいあった結果、一本の小説が完成したというわけだ。
それが結果的に出版社に売れ、職業作家になった。

2作め以降は「それで生活をする」ために書くことになる。
当時はまったく気づいていなかったが(おろかであった)、作家になったからといって好きなことばかり書いていられるわけではない。
書いたものは商品であり、それは売れなければならない。
自分もそれが売れることによって生活するわけだから、売れる小説を書かねばならない。
どんな小説が売れるのかは、編集者から指示される。
好き勝手に書けるものではない。
書く作品がすべてある程度売れることが保証されるような人気作家ならともかく(そんな作家はひと握りしかいない)、ほとんどの職業作家は編集者や出版社の意向で書かされている。
好きなことを仕事にしたつもりが、いつの間にか仕事が生活の手段になり、苦痛に満ちたものになっている。


自分の好きなことがあれば、それは大切にして、生活の手段にしないほうがいい。
結果的にそれで収入が発生して「結果的に」生活できれば幸せだが、それで生活することを「目的」にしないほうがいい。
好きなことがずっとできるようにするために、どのような生活をするか、そのようにかんがえたほうがいい。
声の表現が好きならば、声の表現をずっとつづけていくために、そんな自分をささえ持続させるために、どのような生活や仕事が自分には必要なのか、とかんがえたほうがいい。