先日4月16日におこなわれた「槐多朗読」の感想を参加者の方からいただいたので、いくつかを抜粋して紹介します。
みなさん、ありがとうございました。
次回「槐多朗読」は6月11日です。
■今回は前回とはまた違った角度で楽しませていただきました。雑踏の音は、朗読の声だけでなく時々鳴る水道管(?)とも地階の壁に映し出される足影とも調和し、心地よかったです。沈黙とは、いろいろな音の集合体なのではないか、と感じる一夜でした。
■大人になってから、しみじみと朗読を聴いたのは昨日が初めてのように思いますが、人の声とは、あんなに心地いいものなのですね。聴き入りました。心も身体も開かれていくような感じがしました。朗読って面白いですね。またお伺いさせて頂きます。
■夕べの朗読、すごく面白かったです。(中学の頃?の)日記はチャーミングな文章が笑えて好きなのですが、朗読が更に拍車をかけて、ガキの槐多が そこにいるようでした。水城さんの織り込んだ文章も、もともとそうだったようで不思議でした。
■槐多朗読を聞いて、初めて現代アートが楽しいと思いました。耳から入ってくる言語や音の刺激に反応して浮かんでくる、感覚をそのまま、好き・嫌い・良い・悪いetc...意味をつけずにただ味わって楽しむ。温泉に入っているような、瞑想しているような、なんとも言えないくつろぎ感と爽快感がありました。気がつくと表現する側と聞く側の境目が無くなっている。聞く側同士も。「会場が一体となって」を文字通り体験しました。もう知らなかった時には戻れないな、そんな思いがよぎります。野々宮さんと水城さんのパフォーマーとしての確かな経験と「表現」に対する豊かな感性が、聞き手の感性を開いた、そんな夜でした。槐多氏の文章は難解?と思いこんでいましたが、抵抗なく入ってきました。文学的にどうこう説明は全くできないのですが。とても楽しかったです。