2012年4月16日、明大前ブックカフェ〈槐多〉にて「槐多朗読」。午後8時開演。
昨日は3回めの「槐多朗読」だった。
野々宮に読んでもらう原稿の準備がいつもぎりぎりになってしまうのだが、今回もそうなってしまった。
NVCの勉強仲間のせいじさんがくれた『村山槐多全集』を読んで、原稿をピックアップ。今回は前半に「廃邑の少女」という小説を、後半は私のオリジナルテキストと槐多の日記を織り交ぜて沈黙へと向かうことにした。オリジナルテキストが完成したのが前々日。そして前日に読み本構成をして、一度だけ読み合わせ。
初回も前回もなかなかお客さんが集まらないあせりから、いろいろと声をかけすぎて、ぎりぎりになっての駆け込み予約やら、当日ふらっとやってきた人がけっこうな数になり、定員オーバーでかなり窮屈な状況となってしまった。演奏する私すらほとんど身動き取れないつらい状況だった。
その反省をふまえて、今回は定員を厳しく15人に制限し、予約以外の方はお断りするという方針で、〈槐多〉の早川さんとも合意した。おかげで、またもや全然お客が集まらずにちょっとあせったのだが、まあいいや少なくてもと開きなおっていたら、やっぱりぎりぎりになって駆け込み予約があって、結局ちょうど15人くらいになった。店の席が18席あるので、ちょっと余裕があるくらい。ちょうどいい感じだった。
〈槐多〉にはピアノがないので、いつもシンセと音源用MacBookAirとミキサーと、BOSEの充電式アンプスピーカーを持っていく。今回もその一式をかついでいった。
セッティングにある程度時間がかかるのと、開演直前までばたばたするのはいやなので、かなり早めに羽根木を出た。午後6時すぎに機材一式をひとりでかついで、歩いて出る。が、このところ膝の調子が悪いのと、機材の重さにたえかねて、東松原駅まで来たところでギブアップ。そのまま電車に乗ってひと駅、明大前まで移動。おかげで楽だった。
〈槐多〉にはいって機材のセッティング。初回はカウンターの一番手前、入口はいってすぐのところにキーボードを置いた。前回はテーブル席の一番奥に置いた。どちらも大変だったのだが、どちらがより大変かといえば、テーブル席のほうが大変だった。なので、今回は最初とおなじカウンターのはじっこ。それ以外の選択肢はいまのところ見いだせていない。
カウンターのはじっこになると、私は立ったまま演奏することになる。シンセとMacBookAirをミキサーにつなぎ、ふたつの音を合成する。MacBookAirにはMainStageという演奏用音源ソフトとLOGICのふたつを立ちあげて、さらに音を合成するので、音源としては3種類ということになる。また最近のシンセはループや複数音源を同時に鳴らせるので、ひとりで演奏してもかなりいろいろな音が入り交じった複雑な音を作れる。生ピアノがない場合は、こんなふうにあれこれと反則技でカバーして、朗読と対峙することになる。
7時半くらいになっても全然お客さんが来ないのでちょっと心配していたら、8時前になってばたばたと皆さんがやってきた。平日の夜なのでしかたがないだろう。おかげで飲み物がサーブし終わるまでしばらく時間がかかって、開演は10分押しとなった。
前半は20分強くらい。「廃邑の少女」を野々宮卯妙が読む。ときに歩きまわったり椅子にすわったりしながら。お客さんが集中して聞いてくれているのがわかる。〈槐多〉は地下だが、天井のほうに道路に面した明かり取りの窓があいていて、そこを通る人の陰や話し声が聞こえる。それがまたいい効果を生んでいる。
間に10分くらいのインターバルをはさんで、後半スタート。こちらは40分くらいかかっただろうか。最後は完全な沈黙になって終わるのだが、皆さん最後まで集中してつきあってくれてありがたかった。なかには動きのある、音楽と即興的にからむ、ときにはお客さんをいじったりもするコミュニケーションを意識した現代朗読が苦手だという人もいるだろうと思う。そして完全な沈黙。最後までしっかりとつきあってくれた皆さんに、いつも感謝の気持ちが起こる。ありがとう。
終わってから、緊張の糸が徐々にほぐれた皆さんと歓談。この時間がまた楽しい。閉店の10時までいて、解散となった。
これを書いているいま、来てくれたひとりからメールで「すごくおもしろかった」という言葉をいただいた。うれしい。
次回の「槐多朗読」は6月11日(月)の夜の開催が決まっている。次回はどんなことをやろうか、いまから楽しみだ。