2020年7月20日月曜日

1号サイズの絵

拙い手慰みですが、応援してくださる方に差し上げています。
アクリルを使ったスケッチです。スケッチといっても、抽象画で、何かを書いたわけではありません。






From editor


退院翌日から、Amazonから届く荷物が増えた。
絵の具、筆、簡易なパレット、紙、……。
水城が自分で注文したというので、おどろいた。

昔はハガキ大(1号)のワトソン紙に、レンブラントの固形絵の具やステッドラーの水彩色鉛筆を使って、よく絵を描いていた。
ただ描きたいように、上手下手も気にせず描くので、感心していた。世田谷時代には下北沢で個展もやった。個展期間中には朗読ライブも開催して、たくさんの方に来ていただいた。福井のほうではギャラリーで販売もしていたようだ。
Apple pencilが登場してからは、写真をiPadのアプリでトレースして描くようになった。それらはハガキに印刷してイベントで配ったり販売したりもした。

そしていま、また紙に絵の具で描くようになったのには理由があった。
モニターをみるのがつらいのだそうだ。スマホもタブレットも同様だ。「動く」画面がしんどいのだそうだ。
紙は動かないので見ることができる。

もうひとつ。
麻薬を減らせたとはいえ、痛みがなくなったわけではない。
基本的にぼーっとしたりうとうとしたりが常で、たまに譫妄がおこったりもする。
そんな状態で意識を保つのに、手を動かして絵を描くことが彼にはあうのだと言う。

弾きたいもの、書きたいものがあるから、それができる状態をなるべく長くつくるためのトレーニングが必要らしい。
もはや時間が限られているのに、やりたいことのための準備に時間をついやす……
そんなふうに考えるともどかしくもあるが、そしてさらにもどかしいことにその準備は絵を描くことだけではないのだが、水城にとって必要な時間なのだと信じる。

やりたいことをやりたいのだと、もうがむしゃらにやるのだと切望する人を見て、こちらはつい何かしてやりたくなってしまう。それは何のためにもならなかった。むしろ害悪ですらあった。
ただ泣きながら、でもそれを見せないで(だって相手とのつながりの役には立たないから。でも自分は表現したいから自分にだけ見せてやるということだ)、手を出さずに見守る。それが最善だとわかっているのだけど、とどまれない自分がいる。
(と書いていて、あっ、「巨人の星」の明子姉ちゃんがやってたことじゃん!と思い当たってしまった。すごいわーあの若さで……)

  * * *

面会者といるときはたいていクリアなときで、以前と変わらない表情も見られるので、つい過去とおなじ扱いをしたくなるのはわかるが、回復したり元気になったというわけではない。あいかわらず病巣はあり、転移も増えているのだ。
それを知ってもなお、他人は、目の前の人に過去を重ねるのだ、ということを痛感している。
そして、目の前のありのままを見ていても、体内の状態はわからず、その人が本当にどんな状態なのかは、他人には……そして本人にもわからないのだ。
わからないのならわからないままで、本当に気持ちのままに生きられるのならいいのに。