2015年1月19日月曜日

老眼鏡を使わないと近眼が進む?

最近気がついたことだが、これは私ひとりの個人的な現象なのかもしれないし、医師や専門家に確認したわけではないので、話半分に読んでほしい。

うっかり老眼鏡を忘れて外出して、なにか文字を読む必要があったとき、なんとか目をこらして読もうとする。
私は老眼がすすむのが早くて、41歳のときに初めて自前の老眼鏡を購入してかけはじめたので、かれこれもう15年以上は世話になっている。
いまは度が「2.0」で、ここしばらくは安定している。
しかし、老眼鏡がないとこまかい文字を読むのがつらい。
とくに暗い場所ではまったく読めなくなったりする。

こまかい文字を無理に読もうとすると、自分の眼球が筋肉を懸命に絞って焦点を合わせようとしているのがわかる。
そういう無理をしたあとに、ふと遠くを見たら、焦点がぼやけて遠くのものが見えにくくなっていることに気づく。

老眼は早かったが、近視はなく、たぶんいまでも遠くのものを見るときには視力は2.0あると思う。
もちろん運転免許の更新のときにも引っかかったことはない。
だから、老眼がなくて近くの文字を無理に読もうとしたあと、遠方のものがぼやけて見えたときはちょっとショックだった。
つまり、近視ではないのに近視が進んでしまったように感じたのだ。

実際、老眼が進んでいるのに老眼鏡を使わずに近くのこまかい文字を無理に読もうとすると、焦点を絞る筋肉を酷使してしまう、今度は逆に遠方のものに焦点を合わせにくくなるのではないか。
これは近視がすすむ理屈と合致している。

老眼がすすんだことを恥ずかしがる人がいるが、無理せず度のあった老眼鏡を使ったほうが、視力はたもたれるような気がする。
すくなくとも私はそのようにしようと思う。