2014年4月11日金曜日

韓氏意拳との出会い

韓氏意拳をはじめてもうすぐ一年がたとうとしている。
この中国武術に出会ったおかげで、ここ一年、さまざまな発見と進展があった。
武術ではあるが、その学びの影響は私の場合、武術のことのみならず驚くほど多岐にわたっている。

日常のなかで自分の身体の使い方や身体そのもののありようにより深く注目するようになった。
仕事である音楽演奏においても、これまでアレクサンダーテクニークに助けられることが多かったが、それがよく深く体認をともなうことで、演奏技術のみならず音楽にたいするアプローチそのものがまるで大きく変化したことを感じる。
これについてはあらためてくわしく書きたい。

現代朗読の演出においても大きな助けをもらっている。
韓氏意拳に出会う以前から、現代朗読においては身体性を重視し、とにかく身体の使い方に注目して朗読エチュードという形であれこれやってきていた。
それが韓氏意拳という非常にしっかりと体系化された方法に出会えたことで、さらに深い体認のエチュードが生まれ、いまでは朗読エチュードのなかでも重要な柱となっている。

そんなわけで、いろいろな人に韓氏意拳を体験してみることをすすめているわけだが、いまは内田秀樹準教練がわざわざ羽根木の家に来てくれて、毎月一回の体験講習会を開催している。
詳細はこちら

一番多い質問は、
「韓氏意拳ってどういう型なんですか」
というものだ。
たいていの人は拳法というと、型を学び、相手や道具を殴ったり蹴ったりするようなことを練習すると思っているし、実際に多くの拳法はそのように学ぶ。
しかし、韓氏意拳の練習体系は従来の拳法のものとはかなりちがっているといっていいだろう。
まず、なにかを殴ったり蹴ったり、という練習はない。
試合もない。
稽古のためのゆるやかな形というか動き方(あるいは動かない形)があるにはあるが、これはその形や動作を取ること自体が目的ではない。
自身の身体の声を聴くための手段としていくつかの形が用意されているのだ。
とはいえこれは武術なので、それらの形や動きが相手を倒すための「拳」の威力に最終的につながっていることはたしかだ。
最初に稽古をしたときはとても拳法の動きとは思えず、これがなぜ武術として有効な稽古なのかさっぱりわからなかったのが正直なところだ。
体験講習を初めて受講する人の多くがそのように感じるのではないだろうか。
私が韓氏意拳のことを知ったのは、ヴォイスパフォーマーの徳久ウイリアムくんからだった。
二年くらい前だったろうか、彼はしきりに韓氏意拳という武術の不思議さ面白さを力説していて、そのとき持ちあるいて読んでいた本を私に見せてくれたのだ。
それは尹雄大(ユンウンデ)さんが書いた『FLOW』という本だった。
パラパラとめくって、なにやら哲学書のようだなと思ったが、内容はまったく理解できなかった。
そういう不思議な考え方に裏付けられた拳法があるんだな、とぼんやり認識した程度だった。
その一方で、武術には昔から関心があって、そのころは合気道をやってみたいと思っていた。
実際、六回シリーズだったと思うが合気道の講習会があって、それにかよっていた。
その後、吉祥寺の多田道場に入門しようかどうしようか検討しているときだった。
多田道場の門下に内田樹氏がいて、彼の書いた本はたくさん読んでいた。
ツイッターもフォローしていた。
また、古武術研究家の甲野善則氏のこともフォローしていた。
いっしょにライブをしたりCDも出したことがあるカルメン・マキさんとの共著(精神科医の名越康文氏も加わっている)が、甲野先生にはある。
なので甲野先生のツイッターもフォローしていた。
すると一年くらい前、このふたりが共通に韓氏意拳のことについて興味深くつぶやいていて、急に私のなかで韓氏意拳という武術にたいする関心が高まったのだ。
さっそく『FLOW』や、韓氏意拳の日本の総帥である光岡英稔氏と甲野先生の対談本『武学探求』『武学探求 巻之二』などを取りよせて読んでみた。
そしていよいよ、中野の新井区民活動センターで開催している体験講習会に行ってみることにしたのだ。
(つづく(笑))