人見さんの呼びかけで集まったのは、マジシャン、歌手、タップダンサー、クラウン、司会者、バルーンアーティスト、書道家など、さまざまな人たちだった。雑多ではあるが、なかなか豪華なイベントである。それが今年になってからスタートし、毎月のように続いている。
私たち現代朗読協会は、小学校版「Kenji」を上演した。これはこれで喜んでもらえたのだが、終わってから私はこの子どもたちへのオリジナルな演目を用意したくなった。そこで、野々宮卯妙が有名な詩を集めてきて、構成したものに、私が演出と音楽をつけることにした。
タイトルは「いちめんの菜の花に私はなりたい」。山村暮鳥、野口雨情、中原中也、竹久夢二、萩原朔太郎、尾崎放哉、八木重吉、宮澤賢治らの詩をコラージュした作品である。それぞれすべてに動きをつけ、読み方を変え、次々と詩が現われては消えていく、というイメージだ。
出演者は5名。私も入れれば6名。羽根木の家に集まって、何度も稽古した。私たちの稽古は、なにか決めごとを作って、その段取りを確認する、というようなことはあまりやらない。もちろんそういう部分もあるが、基本的に自由で即興的な動きや読みを重視する。
しかし、自由に動いたり即興的に読みを変化させたりするためには、言葉が完全に身体のなかにはいっていなければならない。それは「暗記する」ということではない。芝居のようにセリフとして覚えることでもない。そもそも朗読は、テキストを手に持っておこなう行為だ。
暗記ではなく、テキストを身体になじませ、実体あるもののように手のなかで自在に扱えるようにしておくこと。このことが自由な読みにどうしても必要になる。それを理解してもらうことが一番やっかいで、しかしそれが現代朗読の神髄ともいえる。そのために繰り返し稽古する。
「いちめんの菜の花に私はなりたい」は6月に初演し、その後も7月に2回上演した。次は9月にやる予定だが、養護施設の子どもたちへのボランティア朗読だけでなく、自分たちの大事なオリジナル作品としていずれ独立した形での公演も考えているところだ。
東京での活動のみならず、名古屋でのワークショップも去年からつづいている。去年、名古屋で「ウェルバ・アクトゥス」と題した朗読、音楽、演劇、美術など、さまざまなジャンルの表現を融合させた舞台を上演した。その前段階として一般から参加者をつのった。
名古屋やその周辺に住んでいる方々がおもな参加者だったが、朗読や演劇の経験者もいれば、まったくの舞台未経験者もいた。そういった人が15名ほど集まり、去年は5月から毎月1回のペースで、最終舞台に向けてワークショップが開催された。現代朗読の方法が使われた。
いろいろな思い込みを捨てていくこと、つい癖でやってしまっていることを再認識し、身体の動きや言葉の使い方の自分らしさを取りもどすこと、自分の外にも人がいて世界があることを知り、感覚を開くことで世界とつながること。つながりを持った身体で表現しあうこと。
※iBunko Twitter