扇田拓也主宰の劇団・ヒンドゥー五千回の公演を観に行ってきた。
いやー、おもしろかった。
それにしても、変な名前の劇団だ。名前の由来は説明してもらって知っているのだが、面倒なので書かない。
扇田くんは先日、坂口安吾の『堕落論』をオーディオブック収録してもらった。すばらしい朗読だった。はやくマスタリングを終えたい。
扇田くんは石村みかさんの旦那さんであり、石村みかさんは来月9月19日に私の「特殊相対性の女」に出演してくれる女優さんだ。
今日行ったら、客席整理の手伝いをしていて、ひとりでがんばっていた。膝の悪い私のために特設席を作ってくれたりして、とてもありがたかった。
てな前置きはこのくらいにして、肝心の公演の内容。
そもそもふざけたタイトルだが、内容も実にふざけたシュールなもの。舞台は砂を敷いて破れた天井を作っただけ、という装置。始まるとそこに扇田くんが仰向けに寝ている。どうやら深い眠りについているらしい。
扇田くんは最後までひとこともセリフがなく、ほんとに最後のほうでみじかいセリフがあるのみ。観客は、結局そのセリフを成立させるためにこの芝居があったのだ、ということに気づくのだが、それは最後のほうまで来るまでわからない。
男ばかり何人かの役者が、どこともわからない場所で、なにとも知れない仕事のために共同生活をしているらしい。が、彼らの行動には脈絡がなく、実に不可解である。かといって、それが最後に明らかになるということでもない。
彼らの行動は、私たち自身に投げかけられていて、私たちの人生の不条理、滑稽、怒り、悲しみ、暴力、共感、笑い、好奇心など、すべてをあらわしている。
「意味をかんがえるんじゃない。意味なんかないんだから」というセリフが、だれかの行動に向けて何度も発せられるのだが、それは結局、人生そのものに向けられていることに気づかされる。
しかし、最後の最後で扇田くんのセリフが突如として立ちあらわれ、私たちの胸をえぐる。
「考えろ。考えぬけ。意味がわからなくても考えろ」
それが人間であり、私たちはそれしか生きる方法がないのだと突きつけられたような気がする。
テーマは重いが、それをじつに非現実的ともいえる軽さをもって作り、演出したのは、まさに扇田拓也という劇作家の風味なのだろう。とても魅力的だ。
これを「演劇」というメディアで表現する必然性があったのかどうかは別として、この1時間40分を出演者たちとともに大いに楽しませて(生きさせて)もらったことは確かなことである。