2010年8月2日月曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.29

それがわかったとき、現代朗読の方法論がピタッと定義され、定着した。朗読は文章を人に伝えるためだけに行なうのではない。また、自分自身の優位をリスナーに誇示するために行なうのでもない。文章を読み上げるという行為を通して、自分自身を伝えるために行なうのだ。

その方法論を検証するために、現代朗読ゼミではさまざまなエチュードが試されたし、いまも試されている。人が書いた文章をだれかが読みあげるとき、どんなことが起こっているのか。なにが伝わっているのか。どう伝わっているのか。それを聴いている人はどうなるのか。

朗読表現に関するこのようなつぶさな検証が、現代朗読協会以外でなされているという話は、あまり聞かない。海外生活が長かった複数の人から、欧米ではコンテンポラリーな表現の朗読会がかなり頻繁に開かれているのに、日本ではそういうものはまったく見かけないといわれた。

いくつかのライブやスタジオでのパフォーマンス映像をYouTubeで公開しているが、その映像を見て興味を持ったという人は多い。いままででもっとも反響が大きかったのは、野々宮卯妙による「メニュー朗読」だ。これを見てやってきたという人が何人もいる。

これは国立の〈クレイジージャム〉というライブハウスでやったパフォーマンスの記録映像だ。クレイジージャムでは毎月、オープンマイクという方式の飛び入り演奏日を設定していて、これに「朗読でもいいか?」といって申しこんでみたのだ。他流試合的な気持ちもあった。

このときの模様は全演目がYouTubeで公開されている。窪田涼子、野々宮卯妙らが出演者だ。それぞれの演目がおもしろくやれたのだが、いつもは音楽演奏ばかりのところに現代朗読が殴りこんだのが目新しかったのだろう。観客は少なかったがとても反応はよかった。

マイクを占有できる予定の30分を終わったら、思いがけず「アンコール」が来たのだ。うれしかったが、音楽演奏ならともかく、朗読でアンコールなんて聞いたことはない。当然私たちもアンコール演目など準備していなかった。そこで私たちは苦肉の策に出た。

それが「メニュー朗読」だった。クレイジージャムの店のメニューを、最初から全部読んでしまおう、というものだ。野々宮卯妙が読み、私がそれに即興的に音楽をつけた。わざと古臭い「朗読」っぽく、感情たっぷりにやるように、大げさなベタベタの音楽をつけた。

野々宮も私の意図を即座に理解し、ベタベタの朗読を披露した。めちゃくちゃに受けた。その模様をそのままYouTubeに公開してある。それを見て、「朗読ってこんなんでもいいんだ」とか、「こんなに楽しいんだ」と感じて協会にやってくる人がけっこういたのだ。

もちろんそれを見て顔をしかめる人は多いだろう。実際、現代朗読に拒絶反応を示す人は多い。とくに伝統的な(といってもだいたいは放送技術にのっとった、という程度なのだが)朗読をまじめにコツコツとやってきたような人からは、嫌悪感を示されることが多い。

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