FM世田谷でいっしょに番組をやっていたフリーアナウンサーの高橋敬子さん(現在は工学院大学孔子学院院長)が、当時、声優の養成学校で教えていたので、声優の卵や、専門学校を卒業した駆け出しの声優やナレーターを何人か紹介してもらった。
高額のギャラを支払えないので、そういう人たちに頼んだのだが、若い人ばかりで、現場は非常に楽しかった。
2001年当時、私は豪徳寺のワンルームマンションに住んでいた。
そこに収録機材を持ちこみ、文字通り手作りでコンテンツを作った。
最初に収録したのは夏目漱石の作品で、相原麻里衣に「変な音」「文鳥」「坊っちゃん」などを読んでもらった。
田中尋三に『吾輩は猫である』も読んでもらった。
たくさんの若手声優やナレーターが出入りしたが、問題がひとつあった。
それは、みなさん、正しく美しく日本語を読むのは上手なのだが、朗読として個性的で魅力ある表現ができない、ということだった。
朗読コンテンツというと、私のなかでは新潮社の文芸朗読のカセットシリーズ(いまはCD)のイメージがあった。
これは役者やベテランのアナウンサーが実に個性豊かに文学作品を朗読しているシリーズで、何度聴いても魅力的で、まるで音楽を楽しむように聴けるのだ。
アイ文庫では最初から、作品の「内容」を伝えるのではなく、読み手の「表現作品」としての朗読コンテンツを作ることをめざした。
若手朗読者を育てるために、朗読研究会のようなものが自然発生的に誕生した。
それは朗読講座のような形に発展し、やがて広く一般にも募集するようになった。
もっとも、やってくるのはほとんどが、プロの声優やナレーター、役者、あるいはそれを目指している人たちだった。
そのなかからすぐれた朗読作品がいくつか生まれていった。
音楽もオリジナルにこだわった。
テーマ曲やジングルなど独自に製作し、アイ文庫ならではの音声コンテンツがつぎつぎと生まれていった。