中学にはいる前に、私は両親にピアノレッスンをやめさせてくれるように頼みこんだ。
あまりにしつこく頼んだものだから、たぶんなにかと引き換えにやめさせてもらえることになった。
なにと引き換えだったんだろう。
私の両親のことだから、勉強がらみのことだっただろうと思うのだが、思いだせない。
ピアノのレッスンに通わなくてよくなったのはうれしかったが、もっとうれしかったのは、旺文社から出ている文庫版の文学選集を買ってもらえたことだった。
立派な箱にはいっていて、それを片っぱしから読むのが楽しみだった。
漱石や芥川などの日本の代表的作家の作品も、スタンダールの『赤と黒』もドストエフスキーの『罪と罰』もルナールの『にんじん』も『シートン動物記』も、みんなそれで読んだ。
一方、父の音楽好きは、FM放送がはじまったり、ステレオセットが安価で買えたり、LPレコードがたくさん出るようになったことでさらに進展して、私もそのおこぼれにあずかった。
とくにマニアックなコレクションでもなく、いってみれば大衆的なレコードばかりだったが、ベートーベンやチャイコフスキーの交響曲やピアノ協奏曲、バレエ音楽、いろいろな作曲家のピアノ曲集など、クラシックを中心にそこそこ買い集めていた。
私はそれを聴くだけではあきたらず、縮刷版の指揮者用スコア(総譜)を買ってきて、各パートを追いながら繰り返し聴くのが楽しみだった。
聴くだけでなく、我流で編曲してピアノで弾いてみたりもした。
音楽の秘密を解きあかしたようなつもりになって、ひそかに満足していた。
かといって、音楽の道に進もうという気はまったく起こらなかった。
音楽も好きだったが、SF小説や、動物など科学読みものに夢中だったからだ。
『ソロモンの指環』のコンラート・ローレンツの影響で、自分でも小鳥をたくさん飼ったりもした。
家で音楽を楽しむだけでなく、中学ではブラスバンドに入部した。
ピアノ以外の楽器をやってみたかったからだ。
花形のトランペットをやらせてもらうことになった。
が、それは、私の現在にいたる致命的な性格の欠陥によって、1年もたたずにあえなく挫折することになる。
◆ピアノ七十二候
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