2015年7月30日木曜日

書き下ろし長編小説『親密な関係』の連続配信スタートします

書き下ろし長編小説の連続配信を、明後日・8月1日からはじめます。
1000字程度の分量を毎日1回、専用メールマガジン(メーリングリスト)でみなさんのメールボックスにお届けします。
小説のタイトルは『親密な関係』。

私が司会進行をつとめている共感的コミュニケーションの勉強会のひとつに「親密な関係における共感的コミュニケーション」がありますが、その内容とリンクしています。
親密な関係、つまり性的な関係をともなうとても親しい間柄のふたりに起こるできごとを扱います。

官能的な描写もあらわれると思いますが、私はこの小説についてとても強く「美」のニーズを持っています。
できるかぎり美しく、繊細に描くことを自分に課そうとしています。
親密な関係にいたる過程、あるいは親密な関係にいたったふたりが、どのようにおたがいを尊重しあい、大切にしあいながら、ふたりの時間をすごしていけるのか。
みなさんも経験しているように、そこにはさまざまな困難がともないます。
その困難を私といっしょに乗りこえていきましょう。
どうぞ最後までお付き合いいただけますよう。

※メールマガジンの登録はこちらから(無料)。

中野で韓氏意拳イエイ!

来月8月はあまり講習に参加できないので、7月はできるだけ参加した。
8日中野、12日羽根木で2コマ、15日中野、19日横浜で駒井先生の養生功、そして昨日は中野。
自主稽古もまじめにやったなあ。

昨日の中野は自分のなかでもなんとなく、いつもとはかなり違った感じがあった。
「型を借りる」「型の要求に従ってみる」ということをいわれ、はじめはよくわからなかったのだが、内田先生から手把手の指導を受けるうちに、型の要求というものが相当厳しいものであることが実感でき、またそこにはいっていく感じもつかめたような気がした。

もっとも基本的な型は「立つ」こと。
しかし、この「立つ」ことがなかなかむずかしい。
私たちが普段立っていると思っているのは、「立つ」というより「地面に寄りかかっている」といったほうが近いかもしれない。
「型の要求」に耳をかたむけ、そちらにはいっていくと、自分の身体がまさに強勢な感じで沸き立ち、かるく浮き上がるような感じがしたのはおもしろかった。
2年以上やっているが、初めての感じだった。

これほどまでに自分の身体に深くつながり、注意深くその声を聞き、またマインドフルに集注することは、これまでになかったことだ。
音楽を演奏したり文章を書いたりする生活のなかで、韓氏意拳をやっていることがこれほどまでに影響をもたらしてくれるとは、はじめたときには想像もできなかったことだ。

自分の身体のありように興味がある人、マインドフルネスに関心がある人、表現をやっている人などに、ぜひ一度受けてみられることをおすすめする。
羽根木の家でも毎月やっていて、古民家でのオープンな雰囲気の講習会なので、気楽に体験参加してほしい。

8月の体験参加ができる韓氏意拳講習会は、つぎの日曜日の8月2日午前10時から。
詳細と申し込みはこちらから。

2015年7月29日水曜日

【YouTube】唐ひづる朗読「今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ」@サラヴァ東京

2015年7月28日。
渋谷〈サラヴァ東京〉のオープンマイクイベントに、唐ひづると水城ゆうがふたりで参加しました。

 朗読 唐ひづる
 ピアノ演奏 水城ゆう

朗読テキストは水城がこのセッションのために書きおろした短編「今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ」です。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。

絶不調にもかかわらず「沈黙瞑想」公演は充実豊満に

2015年7月27日、夜。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉の3階ギャラリースペースにて、通算5回めとなる「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演をおこなった。

今年になって何度かかかっているウイルス性胃炎(お腹をこわしたのでも神経性でもない特有の痛み)に、数日前からかかっていて、そこへ連日の猛暑が加わってかるい熱中症におちいってしまった。
ウイルス性胃炎は完治したと思っていても、思いだしたようにぶりかえす。
ウイルスが退治しきれていないのか、あるいはかかりやすくなっているのか。
体力が低下しているところへ、エアコンのない羽根木の家で連日35度超えのなかをすごしていたので、年齢のこともかんがえると熱中症にかかるのは無理もない。

頭痛と腹痛、かるいめまいとで、ふらふらしながら明大前まで、終演後の懇談会のための飲物とつまみをいれたカートを引きずって行く。
キッドのギャラリーは冷房がきいていて、快適。
ふらふらしたいた感じもすぐになくなってきた。

今回はたまたま展示企画がなく、壁面にはなにもかかっていなくて、ちょっとさびしい。
毎回、暗転したとき、暗闇のなかからうっすらと窓のように作品が浮かびあがってきたのがおもしろかったのだが、今回はそれはなし。

ホールの早川くんの奥さんで、画家でダンサーでもあるkanaさんが、床をふきそうじしてくれた。
それを見て、お客さんに寝っ転がって聴いてもらうことになった。
かねてからそのように聴いてもらいたいと思っていたのだが、寒かったり、そのことを忘れていたりで、実現していなかったのだ。

工藤くんがホールから座布団を運んできてくれた。
床に敷き、3階でも4階でも寝転んで聴けるようにした。

午後8時、開演。
今回、野々宮卯妙に朗読してもらうテキストは私の短編「今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ」。
これは実は翌7月28日の〈サラヴァ東京〉のオープンマイクイベントで唐ひづるに読んでもらうために書きおろしたものだが、すでに書きあがっていたので沈黙の朗読で先にやることにした。

今回私は、ピアノ演奏において、なるべく「調性」を守った即興演奏のしようと心がけてみた。
フリー・インプロビゼーションでは、調性のあるものより調性を無視したもののほうがやりやすい。
調性をたもったフリー・インプロのほうが難しいのだ(すくなくとも私には)。

前半の沈黙の朗読、後半の音楽瞑想、通して調性をたもつことを意識し、しかし自分の身体とマインドフルネスに注意をむけながら、演奏をつづけることができた。
体調不良にもかかわらず。
演奏している最中はまったく体調のことは気にならなかった。

終わってからいつものように、かるくワインとつまみを提供して、みなさんと懇談会。
この時間がまた楽しい。
初参加の方が数名いらして、内ひとりからは「まだこのライブを知らない人にも聴いてもらいたい」ということばをもらった。
別のひとりからも「ファンになりました、また来ます」といってもらえた。
何度もリピートしていただいている方々には、ほんとうにありがたく思っている。

次回8月の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演は、21日(金)夜、おなじキッド・ギャラリーでの開催。
詳細と参加申し込みはこちらから。

水色文庫新作「今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ」

水色文庫の新作「今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ」を登録しました。

このテキストは2015年7月28日に渋谷の〈サラヴァ東京〉でおこなわれたオープンマイクで、唐ひづるが読むことに先立ち書かれた委嘱作品です。

この時代に希望ある大切な活動「みつばち部」と「井戸部」

羽根木の家の日本蜜蜂たちは、すくすくと順調に育っている。
いまの時期、蜜源がガクンと減り、場合によっては給餌(砂糖水などを人工的に与える)することもあるようだが、羽根木Beesの巣箱には蜜がたっぷりたまっていて、給餌の必要はなさそうだ。
ビーちゃんたちがどこから蜜と花粉を運んできているのか、インストラクターの後藤さんと一度周辺調査をしましょうということになっている。

昨日・7月28日の午前中におこなった内検の模様を、抜粋映像にしてみた。
この時期、貯蜜の様子をさらに注意して見ていきたい。
映像はこちら

そして昨日の午後はトランジション世田谷 茶沢会の「井戸部」のメンバーで、羽根木の家の前庭にある井戸の修復作業をおこなった。
手漕ぎポンプの部品の損傷でしばらく井戸水をあげられていなかったのだが、昨年から和食ちゃんが今期よく部品を調べたり、茶沢通りの金物屋のおやじさんと相談したりしてくれていて、先日ついに必要な部品を買いそろえて昨日の修理となったわけだ。

〈カフェ・オハナ〉の藤田さんが中心になって井戸の修理作業開始。
はじめてみると、あれよあれよという間に修理がおわり、みごとに井戸水復活。
枯れてなかった!
水が下からあがってくる時間や力具合の感触から、この井戸水はかなり浅くて優秀。
たぶん3、4メートルくらいしか深くない。
うちの実家の井戸など、20メートル以上掘ってあるから、それに比べてどれだけ豊かな水脈がこのあたりの地下にあるかわかるというものだ。

その記録映像の抜粋はこちら

井戸が出るというのは大変な安心感がある。
電気代も水道代もかからない、無料の水。
かんがえてみれば、子どものころはみんなそうだった。
お風呂もたきぎ、洗濯機も冷蔵庫もエアコンもテレビも電話もなかった。
それで(不便ももちろんあったけれど)楽しく生活してたのだ。

井戸の水は冬暖かく、夏冷たいので(いつも18度から20度くらい)、生活用水として貴重。
とくに夏は冷たくて気持ちがよく、すいかとかトマトとか冷やしてました。

水質検査をしてもらう必要があるが、もし飲めるということになったらすごい。
さらに、たとえば太陽光パネルとバッテリーに接続したモーターで常時井戸水を汲み上げられるように改修できれば、羽根木の家がこのあたりの「泉(みつばち在住)」になる。
みつばちにも役に立つビオトープ環境を作れるかもしれない。
いろいろと希望がある話だと思いませんか?

ところで、来週火曜日・8月4日の午前に、羽根木の家のひと部屋を、みつばちインストラクターの後藤さんお手製のビーワックス(蜜蝋、エゴマ油入り)で、床や家具などのコーティングワークショップを開催することになった。
ついでに藤原養蜂場のアイスクリームも送ってもらって、みんなで涼みながらいただこうという予定。
参加費はたぶん1,000円ぐらい。
スタートは朝9時を予定してます。
興味のある方は、私に直接ご連絡ください。

2015年7月24日金曜日

「どこまで行かれますか?」

10年以上前のことだが、右の膝蓋をこなごなに割ってしまう事故を起こして、その後のリハビリに失敗、いまだに右膝に故障を抱えている(主語がないけど、私・水城ね)。
日常生活にはほとんど支障はないのだが、正座ができなかったり、飛んだり走ったりができなかったり、長く歩いたり立ちっぱなしだとつらかったりする。
なので、電車で長距離の移動をするときは、杖を持っていく。

杖を持っていると、たまに席をゆずってもらうことがある。
うれしいのだが、どこか居心地の悪い気持ちになることもある。
とくに相手がなんとなくもそもそと立ちあがって、
「よかったらどうぞ」
ボソボソとつぶやくようにいわれたりすると、
「は、はあ、どうも」
ケツがむずがゆくなる。

だまって立ちあがって去っていかれるのも、気持ちがさっぱりしない。
逆に、
「代わりましょう。ここどうぞ!」
さわやかに立ちあがってくれると、こちらもすなおにお礼をいうことができる。

まあしかし、たいていの場合はみなさんスマホの画面に夢中で、杖に気づかないか、気づかないふりをしているのだが。

先日、たしかそれは、品川から羽田に向かう京急線でのことだった。
電車はややすいていて、品川で私は運よく座ることができた。
実家に帰省するときのことで、杖は持っていなかった(飛行機に乗るとき面倒だし)。
たしか青物横丁だったと思うが、意外にたくさんの乗客が乗りこんできて、そのうちのひとりで杖をついた私と同年輩の男性が私の斜め前に立った。
彼はもともと足に故障があるのか、怪我をしているのか、とにかく杖にたよって歩いている感じだった。
彼のまん前は若い男性で、スマホに顔をうずめている。

私はどうしようか、しばらく迷ったが、なんとなくこんな言葉が口をついて出た。
「どこまで行かれますか?」
すると男性はすぐに、
「あ、蒲田までです。大丈夫ですよ、ありがとう」
と答えた。

いってから気がついたのだが、私は「席を代わりましょうか」といったわけではない。
しかし、「遠方まで乗るなら代わりましょうか」という意味を含んでいる。
また、こういう場合、私が立って席をゆずったりしたら、横にいるスマホの若者はちょっと居心地の悪い気分になるかもしれない。
もし男性が「羽田まで」と答えたとしたら、「よかったら代わりましょうか」という話になったと思う。
そこにはコミュニケーションが生まれている。
そのタイミングでスマホの若者が気づけば、「自分が代わりましょう」と立つこともできる。
われながらうまい言葉かもしれないなと、あとで思った。
私が杖を持っているときも、そのように聞かれたらきっと答えやすい。

これはちょっとした共感的コミュニケーションになっていて、「まず相手のことを聞く」ということからコミュニケーションがスタートする原理だ。
「代わりましょう」はこちらの一方的言質である。
このものいいには「動き」はない。
「動き」が生まれることばをいつも唇に持っていたいな、と思う。


カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション(8.3)
8月3日(月)夜7時半から、恒例の三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーション・ワークショップを開催。朗読と音楽のミニライブ付き。参加費1,000円+ワンオーダー。

横浜共感カフェ(8.4)
8月4日(火)夜、横浜の神奈川県民センターにて、共感的コミュニケーションをまなんでいる仲間が主催する共感カフェを開催します。どなたも参加できます。

草加〈Jugem〉共感カフェ(8.5)
8月5日(水)の夜、草加の天然石ブレスレット専門店〈Jugem〉にて共感的コミュニケーションのスキルを身につけるための勉強会を開催します。リピーターはオンライン参加も可。

【YouTube】6月の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」抜粋映像

2015年6月26日。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉の3階ギャラリースペースにておこなわれたライブイベント「沈黙[朗読X音楽]瞑想」のもようから、ごくかいつまんで抜粋映像にしました。

朗読は野々宮卯妙、ピアノ演奏は水城ゆう。
テキストは水城ゆう作「ストリーム」から抜粋・構成したものです。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。
次回の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」は7月27日(月)夜に、おなじ場所で開催します。
詳細と申し込みはこちら

2015年7月22日水曜日

音楽瞑想200回

7月20日の配信をもって、音楽瞑想(Music Meditation)は200回となった。
今年の元旦からスタートして、1日も欠かさず、毎日配信してきた。
文章なら毎日書くことは、それほど大変ではない(長さにもよるけれど)。
10代のころから、たぶん、ただの1日も文章を書かなかった日はないだろう(病気や怪我で伏せっていた日をのぞいて)。

それが絵や音楽となると、ちょっと大変になる。
道具と、ある程度まとまった時間が必要になるからだ。

音楽瞑想の場合、ピアノ向かって演奏するという時間を取ることが必要になる。
できればひとりでピアノに向かって集中したい。
最近は人がいても自分のことに集中できるようになったので、ざわざわしたなかでも音楽瞑想の演奏ができるが、できればひとりのほうがいい。
同時に映像もとるので、ひとりだからといってパンツ一丁というわけにはいかない。
映像の背景や画角もすこしは考慮する。

録音・録画が終わったら、それに別の映像を重ねて編集する。
それにも時間がかかる。
クレジットもいれる。
YouTubeにアップロードする時間もかかる。
ブログにも情報を掲載する。
その情報をフェイスブックやツイッターにも流す。

というように、なかなか手間のかかることをやっているのだ。
それを200日間、毎日欠かさずつづけてきたのは、ひとりお祝いしていいことだろう。

私はどうも、他人から見ると、移り気で飽きっぽい性格と思われているようだ。
器用貧乏で、なんでも小器用にこなすかわりに、ひとつのことに深まりがないように思われているらしい。
つまり、浅く広い人間だととらえられているフシがある。
それはそれでいいと思うが、実際にはかなりちがった側面もあるということをいくらかでもわかってもらえるとうれしいかも。
いや、べつにわかってもらえなくてもいいんだけど。
私の書くもの、演奏するものを聴いてもらえれば、それがどのくらいの質をもっているのか、人によってはくっきりと理解してもらえるだろう。
それでいい。

音楽瞑想、あと165回をまっとうすることが、当面の目標。
いまのところ、音楽的アイディアが尽きる気配は、幸いなことに、ない。

※「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前キッドギャラリーは7月27日(月)20時から。詳細と参加申し込みはこちらから。

うまくいったときもうまくいかなかったときも変わりなくある生命の闊達さにつながる

なにごとかをおこなって、うまくいかなかったときには落ちこみ、うまくいったときは喜ぶ、というのはだれにでもあるごくあたりまえのことだ。
しかしそれは、自分のごく表面的な反応にすぎないことを知っていると、より質の高い人生を送ることができる。

共感的コミュニケーションでは、落ちこんだり喜んだり、といった感情のあらわれを「ニーズに触れたことの結果」ととらえる。
ひと前で仕事のプレゼンテーションをする、入念に準備し練習したにもかかわらず、うまくいかず、全然伝わらなくて落ちこんだ。
悲しくて、残念で、つらい。
それは、自分の能力を十全に発揮したいというニーズ、自分を理解してもらいたいというニーズ、自分を表現し伝えることのニーズ、ひとの役に立ちたいというニーズ、そんなニーズがあったのに満たされなかったからだ。

逆にプレゼンテーションがうまくいった、こちらの意図がよく伝わって、理解し、受け入れてもらえてうれしくなった。
それは、自分の能力を十全に発揮したいニーズや、こちらの意図を理解してもらいたいニーズ、自分を表現し伝えることのニーズ、ひとの役に立ちたいというニーズが満たされたからだ。

こうやって前後をくらべてみると、あらわれている感情と結果はまったくちがうが、おおもとのニーズはおなじものであることがわかる。
つまり、失敗しても成功しても、そこには変わりなく息づいているニーズがあるということだ。

失敗したら悲しくつらくなるし、成功すればうれしくなる、それは当面、自分の身に起こったこととして味わう。
たっぷり悼んだりお祝いしたら、自分のなかでくっきりと息づいているニーズに目を向けよう。
そこにはまぎれもなく、あなたの生命活動そのものであり、あなたが大切にしているものであり、必要なことであり、あなたに活力をあたえるものがある。

失敗しても成功しても、いつも自分自身の活力・生命活動の証であるニーズそのものに目を向け、つながり、そこをギュッとつかんで離さない。
それが私たちの人生をよりいきいきとした、質の高いものへとみちびいてくれるはずだ。

※明日・7月23日(木)19〜21時は共感・声カフェ@羽根木の家を開催します。詳細と参加申し込みはこちらから。

2015年7月21日火曜日

沈黙という時間が必要

先月の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演の当日パンフレットに書いた文言です。
今月の公演は7月27日(月)、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースにて、午後8時開演です。
詳細と参加申し込みはこちらから。
http://www.roudoku.org/play/1507_silentmm

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 最近はとんとごぶさただけれど、子どものころから釣りに行くのが好きで、もちろん魚が釣れるとうれしいけれど、釣れても釣れなくてもとにかく水面に波紋を広げる浮きをながめながら何時間もすごす、その時間の質そのものが大事だったように思う。
 そのことは、つい先日リリースしたばかりの長編小説『ストリーム』のなかにも書いた。
 私が好きだったのフナ釣りだった。というより、子どもの私にアプローチできる釣りはフナ釣りが唯一といってよかった。渓流釣りや鮎釣りは子どもにはハードルが高かったし、海釣りは家が山間部だったので気軽におもむけるわけではなかった。大人のあいだでは鯉釣りが話題になっていたが、餌も仕掛けも竿も、扱いが子どもにはむずかしかった。もちろんあこがれではあった。
 しかし、魚はどうでもよかったのだ。
 フナだって、釣って持って帰っても食べるわけでもなく、いっときは池に泳がせておくが、やがて錦鯉に虫がつくとかいって父に捨てられるのがオチだった。
 あたりが来るか来ないかわからない浮きを見つめて、ただ沈黙のうちに時をすごす。それが思春期にさしかかろうとしていた子どもの私にとって必要な時間だったのかもしれない。
 あれから50年。いま、初老にさしかかっている私にとっても、沈黙の時間が必要だと感じている。私のように沈黙を必要としている人はどのくらいいるのだろうか。
 みなさんはいかがですか?

2015年7月20日月曜日

7月の四茶げろきょオープンマイク、終わりました

2015年7月19日。
毎月、月末の日曜日に開催する現代朗読協会主催のオープンマイクだが、6月と7月だけお店のつごうで変則的な開催。
そのせいではないだろうが、今回はぎりぎりまで参加者があまり集まらず、ちょっとやきもきしていた。
が、前日・当日になって参加者が急に増え、あけてみたら定員ちょうどの10組の参加者と何人かのお客さんが来てくれて、ありがたや。
そして今回も非常に多彩な参加者が。

げろきょのメンバーは、スタッフ兼任の野々宮卯妙と、晩衛(バンガード)、松原あけみの3人(進行アシスタントの森沢幸も入れれば4人)。
それ以外にピアノ演奏が、お店の出町くんを入れて2人。
ほかにも音楽では、カリンバ演奏、ラテンヴォーカル。
詩の朗読と紙芝居、即興詩、そして朗読と、多彩で多様なメンバーがそろって楽しかった。
紙芝居の人は愛知県からの参加で、たまたま今回は紙芝居の川崎母娘と私による〈ペムペル・カスタネット〉の出演がなかったのが残念。会わせたかったな。

司会進行は私と、アシスタントに森沢幸。
森沢幸も読むことのプロなのだが、司会も即興的に軽妙で、そろそろ固定ファンが出てきても不思議ではない。

今回の模様は抜粋映像を近く、YouTubeにUPする予定。
次回もどんな方々が参加してくれるのか、どんな共感の場が生まれるのか、楽しみにしている。
次回・8月30日(日)の四茶げろきょオープンマイクの詳細と参加申し込みはこちらから。

2015年7月18日土曜日

【YouTube】水城ゆうがお題をいただいて即興演奏しました

2015年6月10日に三軒茶屋のライブカフェバー〈四軒茶屋〉でおこなった現代朗読協会主催のオープンマイクイベントから、司会進行役でピアニストの水城ゆうが、参加者からお題をいただいての即興演奏をおこないました。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。
次回の四茶げろきょオープンマイクは7月19日(日)午後4時からの開催です。
詳細と参加申し込みはこちらから。

【YouTube】野々宮卯妙の朗読「うん☆ころん、うん★ちろん」

2015年6月10日に三軒茶屋のライブカフェバー〈四軒茶屋〉でおこなった現代朗読協会主催のオープンマイクイベントから、現代朗読協会のメンバーで朗読家の野々宮卯妙の自作朗読パフォーマンスをお送りします。
この作品は2015年5月におこなわれたポエトリースラム・ジャパンで野々宮がファイナリストになった際、おこなわれたパフォーマンス作品です。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。
次回の四茶げろきょオープンマイクは7月19日(日)午後4時からの開催です。
詳細と参加申し込みはこちらから。

2015年7月17日金曜日

「祈る人」のこと

こういう状況のなか、無力感をおぼえている人も多いのではないかと思う。
友人から、いまこそ「祈る人」を読むときでしょう、といわれた。
YouTubeにいくつか朗読映像があるはずだと思いたって、検索してみたら、知らない人が「祈る人」を読んでくれている映像もあった。
またどこかであらたに読んでもらえるとうれしい。

春うふ2011より「祈る人~ここへとつづく道」
震災直後の3月21日におこなったライブで、野々宮卯妙が朗読、伊藤さやかが歌のパフォーマンス。

三鷹Sonido(12)祈る人
三鷹のライブハウス〈Sonido〉で、現代朗読協会のメンバーたちと、ドラムの今竹一友さんとのパフォーマンス。

ガス展「祈る人」野々宮卯妙と菊地裕貴のツインロードク
東京ガス展というイベントでのツイン朗読パフォーマンス。

「祈る人」のテキスト全文はこちらで公開しています。
著作使用権を開放してますので、どなたも自由にお使いください。

8月17日:BEE’s CAFE@カフェ・オハナ

トランジション世田谷 茶沢会のミツバチ部にて、今年、「羽根木の家」でニホンミツバチの養蜂ができないかと、勉強会や準備をすすめてきました。
そして、ついに4月下旬、ニホンミツバチがやってきました!

分封してニホンミツバチたちがやってきたときのようす、いま現在のようす、養蜂の作業のようすなど、動画や写真を見ながら、お話会を開催することになりました。
どうぞお気楽にお越しください。

◎日時 2015年8月17日(月)19時半~
◎場所 ふろむあーすカフェ・オハナ(三軒茶屋)
  東京都世田谷区三軒茶屋1-32-6 (駅徒歩2分, 246通り沿い1F)
  Tel/Fax (03) 5433-8787
  http://www.cafe-ohana.com/
  Twitter:http://twitter.com/cafe_ohana
  facebook:https://www.facebook.com/fromEarthCafe.OHANA

◎参加費 888円+1オーダー(*要予約)
◎ナビゲーター:水城ゆう(羽根木ミツバチ部)

お問い合せ・予約は、こちらのフォームよりお願いします。

【YouTube】村田活彦のポエトリーリーディング「るり子」

2015年6月10日に三軒茶屋のライブカフェバー〈四軒茶屋〉でおこなった現代朗読協会主催のオープンマイクイベントから、詩人の村田活彦さんのポエトリーリーディングのパフォーマンス「るり子」をお送りします。
ピアノ演奏は水城ゆう(即興です)。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。
次回の四茶げろきょオープンマイクは7月19日(日)午後4時からの開催です。
詳細と参加申し込みはこちらから。

【YouTube】なっしー紙芝居その1&その2

2015年6月10日に三軒茶屋のライブカフェバー〈四軒茶屋〉でおこなった現代朗読協会主催のオープンマイクイベントから、「なっしー紙芝居」という演目の1と2をお送りします。

 演者 川崎満里菜
 作者 川崎実雪
 演奏 水城ゆう

この三人は「ペムペル・カスタネット」という紙芝居ユニットです。
映像はこちら(画像をクリックしてください)。
次回の四茶げろきょオープンマイクは7月19日(日)午後4時からの開催です。
詳細と参加申し込みはこちらから。

【YouTube】安全保障関連法案に対する真宗大谷派のコメント@せたがやピースアピール

2015年7月15日、安全保障関連法案の衆議院平和安全法制特別委員会における採決を受けて、真宗大谷派の宗務総長・里雄康意氏がコメントを発表した。
その全文を、三軒茶屋でおこなわれ「せたがやピースアピール」にて野々宮卯妙が朗読した。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。


2015年7月15日水曜日

雇われない生き方を選ぶ人が私のまわりで増えている

私自身は学生時代のアルバイトをのぞいて、会社に勤めたりだれかに雇われて働いたことはない。
バーテンダーのアルバイトからバンドマンとして独立し(いまかんがえてみればまさに独立したんだな、あれは)、カラオケブームのおかげでバンドマンで食えなくなったあとはピアノ教師をやり、そのあと職業作家になった。
いまはピアニストであり、小説家でもあり、現代朗読協会を主宰していたり音読療法協会をオーガナイズしていたり、養蜂をやっていたり(笑)するが、フリーランスであることに変わりなく、どこかから給料をもらっているわけではない。

「普通の生活」というと、学校を出たら就職して、毎月給料をもらい、結婚し、子どもを産み、ローンを組んで家を買う、みたいなフレームがいつの間にか人々の頭に刷りこまれ、実際にそのような人生を歩んでいる多くの人々によって大量消費社会が成立している。
しかし、そこからイチ抜けたり、そもそもそこに行かない生き方を選ぶ人もいるし、それがだんだん増えてきているように思う。

だれにも雇われない生き方をするためには、自分でなんとか生きていく手段を持つ必要がある。
昔は漁をしたり畑をたがやしたり、山仕事をしたり、自分ひとりの力で生きている人はいくらでもいた。
私の小説書きの生徒さんだった、タレントの清水國明のお父さんの清水栄馬さんは、マタギだった。
山の漁の話をたくさん聞かせてくれたし、書いてもいる(どこか出版しないかね。そのおもしろさは谷甲州さんのお墨付き)。

そんな昔の人でなくても、私のまわりにもたくさんいるし、増えてきた。
羽根木の家の横で手作りの帽子を荷車に乗せて売っていた女性がいた。
彼女はそれだけで生活していたし、そのやりかたを1、2年つづけて、自分の好きな熊本に移住する資金を作ってしまった。
いまは熊本で暮らしているはずだ。
いまもきっと、自分ひとりの力で生きているだろうと思う。

美大を出て、ゴム判子を手作りして、それだけで生活している女性も知っている。
受注が何ヶ月も先まで順番待ちで人気なのだが、自分の個展も時々開催したり、ワークショップもやったりする。
私のところでも何度かワークショップをやってもらったことがある。

先日偶然行った〈小春食堂〉というお店の瑞穂さんは、別のお店につとめていたが、夜だけ営業している居酒屋の昼の時間を借りて、もうひとりの料理人と共同でランチのお店をやっている。
日曜日は一日、彼女たちがやっていて、そのときはイベントをやったり、オープンマイクを開催したり、多く人が集まって愛される店になりつつある。
私も今度そこで共感カフェをやることになっている。

その共感カフェを主催してくれる萩岡真美さんもフリーランスで、メインはオイルマッサージを自宅でやっているのだが、フットワークの軽い人で、いろんなイベントをオーガナイズしたりファシリテートしたりして、たくさんの友だちがいるようだ。
私の共感カフェも、初対面で話しているうちに、あっという間に開催が決まってしまい、なかなか痛快だった。
その共感カフェに興味がある方はこちらをどうぞ。

だれにも雇われないで生きていくためには、もちろん要件が必要だ。

 ・技術を身につけている
 ・ネットワークがあって情報発信ができる
 ・ストレス耐性が高い

技術はなんでもいいのだ。
手に職を、というとすぐに「資格が」という人がいるが、かならずしも資格を取る必要はない。
私の仕事であるピアニストも小説家も、資格はいらない。
帽子職人もゴム判子職人も料理人も、とくに資格はいらないだろう。
とにかく、なにか得意なことがあって、それを使ってだれかのために役に立つことができれば、それを生かせばいい。

ネットワークや情報発信については便利な時代になってきている。
これを利用しない手はない。
パソコン苦手だから、とか、ネットはこわい、などと毛嫌いするのではなく、利用できるものはフットワークを軽くしてやすやすと使いこなせばいい。

ストレス耐性は重要だ。
フリーランスにとってもっとも重要な要件がこれかもしれない。
定収入がなく、健康を損ねたら仕事もつづけられない、そういう不安な状況のなかにおいても、いきいきと自分の能力を発揮しつづけられる強いメンタルが必要だ。
しかし、これは身につけることができる。
共感的コミュニケーションや音読療法が役に立つだろう。

自分で自分の必要なもの(食料、衣服、家など)を作ってしまう人も多い。
必要なら学校だって作ってしまう。
ものを作って売ることで生活する人、ものを加工したり修理することで生活する人、表現したりなにかを教えることで生活する人、人を集め学びの場を運営することを生業としている人、人を癒したり健康作りの手伝いをしている人、研究したりアドバイスを専門としている人、なにかを流通させることで生活する人、プログラミングやデザインを生業としている人。
人に雇われずに生きていく方法はいくらでもある。
あるいはだれかと組んだっていいのだ。

共感的コミュニケーションや音読療法そのものを仕事にしてしまうこともいいのではないか。
まだそれを仕事としておこなっている人はまだほとんどいない。
だからこそ大きなチャンスがある。
もっとも、前人未到だからこそ、集中力が必要だ。
自分の持っている能力をすべてそこにつぎこんでこそ、フリーランスが成り立つのであり、だれにも雇われない生き方ができるのだ。
適当に手を抜いて山仕事をしているマタギなんていないでしょ?

2015年7月14日火曜日

羽根木ミツバチ部活とあらたに共感カフェ企画が決まった

今日は朝から羽根木ミツバチ部による羽根木Beesの作業だった。
養蜂箱の天板(三枚の板でできている)に元気なミツバチたちが自然巣を作ってしまって、具合が悪いので、それを撤去して、ふたたび人工巣枠にはめて巣にもどす、という作業をやる予定だった。
ミツバチ部のカトシュンさんらに手伝ってもらって、実際に自然巣を切り取るところまではやったのだが、それを巣枠にセットして巣箱にもどそうと試みたところ、暑さで巣板が非常に柔らかくなっており、簡単に折れたりへこんだりしてしまうので、巣枠にセットするのは断念。
ふたたび上蓋に自然巣を作られないように、巣枠をセットしたあたらしい巣箱を最上段に乗せ、そこにすでにぎっしりと利用されている巣枠を1枚だけ挿しこんでセット完了。
残りの巣枠には早急に巣礎を追加することにした。

今日は2段め3段めの巣箱と巣板を点検する余裕がなかったので、近いうちに涼しい時間帯をねらって試みてみることにしよう。
取りのぞいた自然巣からは、かなりまとまった分量の蜜蝋ができた。

昼は和食ちゃんと東松原の〈小春〉に行く。
先日、てんちゃんに連れていってもらった店だ。
てんちゃんはこちらの店主とあるオープンマイクで知り合ったとのことで、行ってみたらいろいろなつながりがあってびっくりしたのだが、今日はさらにびっくりした。
今日行ったのは、和食ちゃんが「友だちからすすめられたので行ってみたい」というからだったが、店には偶然その当の友だちが来ていた。

和食ちゃんの友だちは荻岡真美さんという人だが、いろいろなワークショップを主催している人で、私の知り合いともたくさんつながりがあって、話をしているうちにその場で、8月16日の昼に小春で共感カフェをやることが決まってしまった。
あとですばやくもFacebook経由で開催要項が送られてきたが、内容をみると真美さんのアイディアでとっても素敵な内容になりそうだ。
あれよあれよという展開でびっくり。

Facebookにはもうイベントが立っているようなので、Facebookをやっている人はこちらをご覧ください。

ボイスコーチングBLOG:事例・声がかれやすい

水城ゆうのボイスコーチングの事例から「長く話していると声がかれる、出にくくなる、喉が痛くなる」と悩んでいる人の事例を、「水城ゆうのボイスコーチング」BLOGで紹介しました。
興味のある方はこちらをご覧ください。

2015年7月13日月曜日

ボイスコーチングBLOG:事例・人と話すのが苦手でまとまらないまま話しだしてしまう

無料体験をふくむボイスコーチングの事例から「なにかいわれたらとにかくすぐに答えなきゃ、反応しなきゃ、待ってもらうのは申し訳ない、というあせる気持ちが生まれてしまう」と悩んでいる人の事例を、「水城ゆうのボイスコーチング」BLOGで紹介しました。
興味のある方はこちらをご覧ください。

8月28日:福井県立病院・夏のピアノコンサート

ご好評をいただいている福井県立病院でのソロピアノ・ミニコンサートのお知らせです。
どなたもよくご存知の日本の夏の唱歌や童謡などの懐かしいメロディーを中心に、水城のオリジナル曲もまじえ、自由なアレンジでお送りする予定です。
どなたも自由にお聴きいただけます。

◎日時 2015年8月28日(金)13:30〜14:30
◎場所 福井県立病院受付ロビー(エントランスホール)
    福井市四ツ井2-8-1
◎料金 無料

福井は私のふるさとですが、活動拠点を東京に移して以来、福井で演奏する機会はあまりありません。
今回も貴重な機会を大切にしつつ、みなさんとのトークを交えた気軽で楽しいコンサートにしたいと思っています。

ちなみに水城ゆう最新CDはこちらから聴けます。


ダウンロードしなくても全曲試聴できます。

やる気がない人といっしょにいるとこちらもテンション下がる

タイトルのようなことで悩んでいる人がいた。
だれかが憂鬱な顔をしていたり、悲しんだり、苦しそうにしていると、こっちまでそのような気分になってしまって、実際に活力が低下したように感じることは、たしかにある。
逆に、喜んでいたり、活発だったり、いきいきしていると、こちらまで元気になるということもある。

しかし。
できれば他人の状態に自分が引っぱられて、影響を受けたくない。
よい影響なら受けてもいい、という人がいるかもしれないが、他人の状態に自分の状態が左右されてしまうということそのものが、おもしろくない。
自分の状態はだれかに左右されるのではなく、よいも悪いも自分で把握し、そのなかで自分なりのペースでなにごともおこないたい。

共感的コミュニケーションが役に立つのは、だれかが憂鬱な顔をしていたり、悲しんだり、苦しそうにしていたら、ただそのニーズを推測することによって、それは相手のなかで起きていることなのだという確認と実感が持てることにある。
その相手は、なんのニーズが損なわれて、そんなふうにふるまっているのか。
気になれば実際に聞いてみてもいいし、ただ推測するだけでもこちらの自立性は確保できる。
その相手の苦しさをやわらげてあげたい、役に立ってあげたいという「自分の」ニーズが見えたら、積極的に相手に共感すればいいし、そのことで自分はよりいきいきとするだろう。
その逆もまたしかり。

だれかと一緒にいて、その人が落ち込んでいたら、悲しんでいたり、あるいは喜んでいたりするとき、そのニーズを推測したり聞いてみたりすることで、自分自身がさらにいきいきと活発になっていく、それが共感的コミュニケーションのおもしろいところだ。

直近の共感カフェの開催情報について、こちらのブログ記事に書きました。
興味のある方はどうぞ。

2015年7月12日日曜日

晴れあがって暑い日に羽根木の家で韓氏意拳

梅雨もひと休みして、暑い日になった。
最高気温が32度といってたが、緑にかこまれた羽根木の家はそれほどには感じない。
それでも、身体を動かすとすぐに汗ばむ。

午前10時からはじまった講習は、内田秀樹先生が終始熱意のこもった指導をしてくれて、結果的に午後6時までの8時間、すこしの休憩と食事時間をはさんだだけで、非常に内容の濃い時間になった。
少人数だったので、手把手による直接指導を受ける時間も多く、これまでになく深い体認と気づきの多い練習になったように思う。

午後の講習では、これまでじっくりと取りくむ機会のすくなかった基本拳式を丁寧に教えていただいた。
状態と手法の関係、状態と身法の関係、状態と歩法の関係、状態とそれぞれの拳式の関係、いずれにしても状態がもたらすものを見ていく。
見ていくのだが、見ないことも必要。
内見せず、外を借りてのびやかに、しかし緊密に全面的に表現できるかどうか。

難しい練習だったが、やればやるほど楽しくなってきて、身体が軽くなっていく感じだった。
終わったらドッと疲れたけれど。

現代的な効率とか論理から見れば矛盾だらけの稽古体系だが、深まっていくとそれしかないという方向が見えてくる。

講習時間が終わっても、今度はフィリピン武術の稽古がはじまったり、「型」の意味を教えてもらったりと、キリがないくらいだった。

内田先生、長時間にわたりありがとうございました。
次回8月の東京世田谷「羽根木の家」での講習会は、8月2日(日)の開催となります。
くわしくはこちらをご覧ください。

最近の共感カフェとこれからの共感カフェ

このところ共感カフェの開催がつづいた。
そしてあといくつかつづく。
お茶会をかねた勉強会でカフェ形式なので、気になるかたは気軽にご参加いただきたい。
もちろんリピーターも歓迎。

前の月曜日・7月6日夜は、草加〈Jugem〉で、毎月おこなっている共感・声カフェを開催した。
初参加の方が3人いて、そのうちの2人は共感的コミュニケーションそのものが初めて。
とても興味を持ってくれて、濃い内容の会になった。
ひとりは職場での人間関係の質に問題を感じていて、その解決策のヒントを共感的コミュニケーションに見出したようだった。
帰りの電車がいっしょになったのだが、本人が降りる駅をすぎても話がつきず、私が降りる渋谷駅まで付き合ってくれた。

翌火曜日・7月7日夜は、神奈川県民センターで横浜共感カフェ。
めずらしく男性ばかり5人の会になった。
内2人は初参加。
横浜はなぜか参加人数の増減が激しいのだが、リピーターもいて、ちょっと遠いのだが、月に一度その人たちに会いに行けるというのも楽しみ。
それは草加もおなじ。

金曜日・7月10日夜は、羽根木の家で「親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会」を開催。
こちらは女性ばかりの会となった。
共感的コミュニケーションに初めて接する人が多かったので、前半は共感の解説や練習。
後半は初めての方が多いにもかかわらず、思いがけず深い話になったりして、私にとってもかなり集中した濃い時間となった。

直近の共感的コミュニケーション関連のご案内をいくつか。

共感・声カフェ@下北沢ステイハッピー(7.13)

ネット&スマホ時代のための文章スキル講座(7.17)

共感・声カフェ@羽根木の家(7.23)

2015年7月8日水曜日

羽根木ミツバチ部のイベント「都会でみつばちと暮らす――佐々木正己先生をお迎えして」終了

今日は代田区民センターの会議室を借りて、羽根木ミツバチ部主催の「都会でみつばちと暮らす――佐々木正己先生をお迎えして」というイベントというかお話会を、午前中に催した。
定員30人のところ、定員いっぱいの方が参加して、にぎやかな会となった。

佐々木先生は玉川大学の名誉教授で、多くのご著書のほか、ニホンミツバチに関する貴重な論文をいくつも書いていて世界的にも有名なのである。
そんな先生が羽根木のミツバチ部の顧問についていただいているとは、これほど心強いことはない。
佐々木先生を紹介してくれた後藤純子さんというミツバチインストラクターがいてくれるのも、心強さを鉄板にしている。
しかも後藤さんは、ミツバチ部員にもなってくれているのだ。

プロジェクターを使って貴重な映像を見ながら、大変興味深いミツバチの話をたくさん聞かせていただいた。
私も聞いたことのないようなおもしろい話から、専門的な話題、そしてびっくりするような話がいくつも聞けて、大変お得な会だったのではないだろうか。
ミツバチに興味を持っている方々とたくさん知り合えてつながれたのも、私にとってはありがたいことだった。
今日、羽根木ミツバチ部に入部してくれた方も何人かおられた。

お話会が終わったあとは、ミツバチ部員たちは羽根木の家に移動して、佐々木先生を囲んで昼食会。
これがまた楽しかった。

天然素材の石鹸や香料などを作ったり販売しているムーンソープという会社を経営している滝井みおぎさんもミツバチ部員だったので、後藤純子さんの指導で羽根木Beesの蜜と蜜蝋を使って「Bee Cream」の試作品を作った。
小さなサンプルケースに30個以上、ハンドクリーム、リップクリーム、ヘアワックス、なんにでも使える、安全安心の完全天然素材の化粧品。

女性陣がキッチンで作業しているあいだ、私は佐々木先生のバイオリンとデュオ演奏の初合わせ。
あらかじめ先生から楽譜を送ってもらってあったベートーベンのバイオリンソナタ「春」の第一楽章と、タイースの冥想曲の2曲を合わせてみるが、いやー参った!

佐々木先生もアマチュア演奏家なので、たぶん最初の合わせはつっかえつっかえ、お互いの息の合わせ方を模索するような練習になるのだろうと思って、あまり練習する時間もなかったこともあってきちんと弾けるように練習してなかったのだが、いざ始まってみると、いやいや、やばい!
最初の一音から「これはプロ級」とわかる音で、どんどんなめらかに演奏されていく。
私はちゃんと仕上げていない楽譜を必死についていくのがやっとで、ひさしぶりに音楽で冷や汗をかいた。
というより、惨敗(笑)。

9月5日に羽根木の家でまたミツバチイベントを開催する予定だが、そこで佐々木先生に演奏してもらうことになった。
もちろんそのための入念な準備と練習が必要なのは、先生ではなく私。
参ったな。

ともあれ、会は無事に楽しく終えることができた。
準備に多大の時間を割いてくれたコアメンバーの和食ちゃんと卯妙さん、そして今日スタッフとして手伝ってくれたミツバチ部員の皆さんに感謝。
ミツバチの世界からは人間社会のさまざまな問題点が見えてきて、ときに悲観的なものもあるけれど、今後の指針を見せてくれるものもたくさんある。
なにより、ミツバチという驚異の生き物に触れてみると、ニンゲンであることに謙虚にならざるをえない。

ところで、ミツバチの活動と音楽はとても相性がいいようなのだ。
私はミツバチと音楽の関係について、もうすこし勉強を進めてみよう。
9月5日はミツバチ、お茶、音楽、そんなことが中心のイベントになる予定。


みなさん、予定をあけておいてね。

2015年7月7日火曜日

メンターの有用性とボイス・メンターについて

私が「メンター」という言葉をはじめて聞いたのは、音楽の話でのことだった。
あるジャズの有名なトランペッターは、すでに充分に世間に知られ、コンサートをすればホールはいっぱいになるし、経済的にも安定した状況になっても、定期的にニューヨークに飛んで自分の先生と会うのだ、という話だった。
しかも、先生といっても、相手はトランペッターではなく、つまりトランペットの指導を受けたり、演奏を聴いてもらったりするわけではない、というのだ。
では、なんのために行くかというと、演奏家としての自分の方向性を確認したり、メンタル面でのアドバイスをもらったりする、つまり「メンター」としての存在に会うためだ。

世界の有名企業のトップも、多くが「メンター」を持っていて、ことあるごとに相談したり、話を聴いてもらうことで、リーダーとしての自信や安定を保つことをしている。
政治学者のピーター・ドラッカーが多くの経営者のメンターをやっていたことは有名な話で、そのことが本にもなっている(A Year with Peter Drucker)。

ドラッカークラスのメンターを持つことは普通の人にはなかなかできないが、有名人でなくても時々話を聴いてもらったり、相談する相手がいるのは、とても助かることがある。
そういう人をメンターという。

私は長いあいだ、自分にはメンターがいなくて、なんでも自分ひとりでかんがえたり決めたり、勉強しなければならないと思っていた。
人に話を聴いてもらったり、相談することには苦手意識もあったし、勉強も独学のほうが性に合うと思ってもいた。
実際、いま仕事としている即興ピアノも、朗読演出も、ものを書くことも、先生についたり学校に行って習ったことはない。
しかし、最近、メンターがいることの有用性や安心をしみじみと知るようになった。

最近、何人かに自分自身の話を聴いてもらったり、アドバイスをもらう機会がつづけてあった。
その人たちが「メンター」という看板をかかげているわけではない。
それぞれコンサルタントだったり、コーチだったり、ファシリテーターだったり、仕事の名称はちがうが、いずれにしても対人援助職にはちがいない人たちだ。
彼らと話をして、気づいたことがいくつかある。

・評価をまじえずにだれかに共感的に話を聴いてもらえるのは、それだけで自分の安心があり、安定につながる。

・話を聴いてもらう相手が、かならずしも自分よりスキルが上だったり、人間的にすばらしくある必要はない。

・相手のスキルが自分より下だとしても、話すことによって気づくことはあるし、逆に自分では気づいていなかった自分のスキルの有用性をあらためて確認できることもある。

・メンターとの対話はキッチンのシンクをときどきピカピカに磨きあげるように、ある程度定期てきにおこなうと、すっきりして日々のパフォーマンスが向上していく。

ところで私もボイスコーチであり、共感的コミュニケーションの伝道者でもある。
人の話を聴くスキルについては自負がある。
私をメンターとしてくれる人がいるとうれしいなと思う。
とくに経営者、管理者、指導者、表現者といった人々だ。
きっとお役に立てるだろうと思う。
ボイスコーチなので、私はさながらボイス・メンターということになるかもしれない。

※Skypeを利用したリアルタイムでのオンラインボイスコーチングをおこなっています。どなたもまずは気楽に無料相談で。くわしくはこちらを。

2015年7月5日日曜日

作品の読解(現代朗読)は客観的事実のみをあつかう

昨日の午前中は現代朗読基礎コースの今期3回めを開催した。
各コースにはゆるやかにカリキュラムというか、回ごとのテーマが設定されていて、いちおうそれにそって進行している。
3回めのテーマは「読解」。

現代朗読では、朗読表現そのものにたいするアプローチが他の朗読教室や講座とかなり異なっているのと同様に、読解についても独自のかんがえかたを持っている。

現代朗読で重視しているのは、テキストをできるだけ客観的にあつかう、ということだ。
たとえば、こういう読解はしない。

 ・作者について詳細に調べる。
 ・この作品を書いたときの作者の状況、環境などについても調べる。
 ・作品の背景を調べる。
 ・この作品にこめられた作者の意図、狙い、テーマを推測する。
 ・作品の舞台となった実際の場所に行って、想像をめぐらせる。

では、なにをするのだ、ということだ。
現代朗読の読解では、テキストそのものをあつかう。
そこになにが書かれているのか、どのように書かれているのか、ただその事実のみをあつかう。
そこに読み手の推測、想像、思いこみ、決めつけをまぎれこませることはしない。
作者がだれなのか、どういう状況で書かれたのか、といった情報も、表現にバイアスがかかる原因になるのでかんがえない。
可能なかぎりリアルに「作者の思い」とか「作品の意図」などを想像する方式もあるが、それをおこなうことは読み手としての主体を手放し、作品や作者に「読み方」をゆだねる、指示されることを許すことを意味する。

あくまで表現の主体は読み手であり、作品でも作者でもない、という立場を現代朗読は取るため、「読み方」を決定するのは徹底して読み手の側である、とかんがえる。

それがひとつ。
まず、テキスト。
朗読表現という「現場」にある、あくまでもリアルで、まぎれもない事実・事象としてあるもの。
テキストはまぎれもなくそこに事実として存在するリアルなものであり、それは動かないし、動かせない。

もうひとつ、おそらくたしかであろう存在事実として、読み手の身体がある。
それはたえず流動し、移り変わる存在だ。
動かない存在事実のテキストを、瞬間瞬間変転しつづける読み手という存在事実があつかう。
ここに朗読表現のダイナミクスがある、と私は感じている。

したがって、現代朗読の読解では、テキストを構造的に読み解き、ことばを音節・音素単位までつぶさに受け取ってその感触をなじませ、最終的には客観から「いまこの瞬間の自分自身のありよう」という絶対的主観へと進入するための道すじをつけることをめざす。

というふうにことばで解説しても、わかりにくいですね、はい。
気になる人はどうぞ体験してみてください。
7月の朗読体験講座は7月25日(土)夕方、羽根木の家にて。
詳細と申し込みはこちらから。

2015年7月4日土曜日

ボイスコーチングBLOG:事例・自分の声にコンプレックスがある

無料体験をふくむボイスコーチングの事例から「自分の声が嫌い、自分の声にコンプレックスを持っている」と悩んでいる人の事例を、「水城ゆうのボイスコーチング」BLOGで紹介しました。
興味のある方はこちらをご覧ください。

2015年7月2日木曜日

小春食堂、断捨離つづき、オーブィオブック収録製作コース7

今日は、まず、朝ゼミ。
その前に、大整理・断捨離中の羽根木の家の座敷に散らかっている荷物を、講座ができる程度になんとか片付ける。

朝ゼミのあとは、てんちゃんの案内で、東松原の〈小春食堂〉という定食屋まで新規開拓をかねて行った。
唐揚げ定食がうまし。
食後、店の方と話したら、いろいろと知り合いがつながった。
オープンマイクイベントもやっているということなので、今度参加してみよう。

店を出たところで、まさにいましがた話題にしていたアトゥールさんとばったり。
笑ってしまった。

午後は羽根木の家の断捨離つづき。
そこへ高円寺の古書店〈アバッキオ〉の店主で詩人の黒川くんがやってきて、処分する本を下見してくれる。
黒川くんとは共通のカルチャー的関心がたくさんあって、いろいろ盛り上がる。

夜はオーディオブック収録製作コースの7回め。
早めにやってきた幸さんが、断捨離の様子を見て、自分のカバンの中の断捨離をはじめた。
今夜の講座はオーディオブックというものがなんによって成り立っているのか、我々はなにをめざしてオーディオブックを製作するのか、そのためにどんなことが必要なのかについてつぶさに確認したあと、ひとりずつ読んでみる。
今夜はとくに、ひとりひとりがのびやかに自分自身でありつづけながら、動きのある朗読に向かえているのが見えて、大きな手応えを感じた。
楽しかった。

※次期オーディオブック収録製作コース全10回は8月6日(木)夜にスタートします。
 詳細はこちら

ボイスコーチングBLOG:ボイスコーチング事例:ひと前で話すときに緊張して真っ白になる

無料体験をふくむボイスコーチングの事例から「ひと前で話すときに緊張して頭のなかが真っ白になってしまう」と困っている人の事例を、「水城ゆうのボイスコーチング」BLOGで紹介しました。
興味のある方はこちらをご覧ください。

2015年7月1日水曜日

ボイスコーチングBLOG:ボイスコーチング事例:滑舌が悪い

無料体験をふくむボイスコーチングの事例から「自分の滑舌に問題がある」と思っている人の事例を、「水城ゆうのボイスコーチング」BLOGで紹介しました。
興味のある方はこちらをご覧ください。