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2019年2月16日土曜日

東海北陸ツアーから帰還

2月10日から14日まで、名古屋、福井、岐阜とまわって、昨日の深夜というか未明に国立にもどってきた。

名古屋では天白区の水野生惠さんの民家スペース〈アロマファン〉で、朗読と共感のコラボワークをおこなった。
年末年始はお休みだったが、昨年からほぼ毎月おこなっているイベントで、今回も常連の方んや初めての方たちが参加して、気づきの多い学びの時間を持つことができた。

主催の生惠さんが書いてくれた感想から引用して紹介する。

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楽しかったな~(*´ω`*)
毎回出逢いと発見があり再認識もあり、わかってたつもりの事がまた少し腑に落ちたり。
現代朗読はテキストは読むけど「自分を読む」もの。
そこで表現される「その人自身」のエネルギーを聴き手が感じる。
生きていくうえで制約はゼロにはできないけど、可能な限り自由になれる可能性を現代朗読は感じさせてくれる。。。
それはNVC(共感的コミュニケーション)の在り方や私の好きなフォーカシングの在り方ともつながっていて、その人自身の本来性(生き生きとした魅力)が引き出される、感じられることを私は求めているのかなぁ。。。と感じました。私自身の生き生きさも含めて。
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福井では実家音読カフェと、福井県立病院でのピアノコンサートをおこなった。
こちらも楽しい時間だった。
ピアノコンサートのようすは、また近いうちに演奏を抜粋して紹介しようと思っている。

岐阜では各務原の白狼澪さんの民家スペース〈花寧香くらぶ〉で水城ゼミをおこなった。
ゼミといっても、アロマファンでやっている朗読と共感のコラボをコンパクトにしたもので、その時々の参加者のニーズに応じてさまざまなワークをおこなう。

主催の澪さんが書いてくれた感想を紹介する。

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水城ゼミは凄かった!(毎回凄いんだけども)
やはり武術をしている水城さんならではの自分の身体との共感を、ほんの数分でリアルに実感できてしまうというワークに。
なんで~?うっそ?という歓声のなか、ゆかちゃんと笑うほどの面白さだったね。
んん~心地よいよい。
やっぱり普段ないがしろに扱っちゃってる自分。労りが足りないまま使ってるのは自分自身なんですよね。
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アロマファンと花寧香くらぶは、来月3月も開催予定。
それぞれ3月3日(日)と3月7日(木)となります。
ご都合のつく方、どうぞお越しください。


朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

東京を中心に定期開催しご好評をいただいている水城ゼミを、岐阜各務原でも開催しています。共感的コミュニケーション(NVC)をベースに、読むこと、書くこと、動くことを統合し、全体性を表現することを探求します。今回のテーマは「ことばと身体」です。13時から。

2019年2月14日木曜日

ピアノ七十二候:立春/魚上氷(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立春の末候(3候)「魚上氷(うおこおりをいずる)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年2月13日水曜日

映画:ショーシャンクの空に

1994年公開のアメリカ映画。
監督はフランク・ダラボン。
ほかにも「グリーン・マイル」や「ミスト」なども作っていて、この映画も含めてスティーブン・キング原作のものが多い。
監督作品よりもプロデュースや脚本で関わることが多いようだが、いずれにしてもハリウッド映画界ではベテランといってもいいだろう。

評判の高い映画ながら、いままで未見だった。
時間があったので、Netflixサーフィンをやっていたら目についたので、ふと観てみた。

途中で観るのをやめようかなと何度も思ったほど、前半は地味。
しかし、その地味さは計算された地味さで、後半に生きてくる。
そして最後は、ええーこうなるのか! とびっくり、感動するという仕掛け。

いやあ、よくできてるわ、脚本が。
もちろんそれを踏まえた映像もよくできている。

役者がいい。
主人公役のティム・ロビンスももちろんいいし、助演のモーガン・フリーマンもすばらしい。
他の脇役たちも、ちょっと鼻につく過剰演技がないわけではないけれど、なかなかの名優ぞろい。

ちょっと古い映画だけど、おすすめ。
観る人には、とにかく後半までがまんしてちゃんと観ることをおすすめする。
前半にいろいろ仕込まれていることが、最後にちゃんと回収されていくし、その回収のしかたがかなり驚きの気持ちよさなので。

映画:ボビー・フィッシャーを探して

1993年公開のアメリカ映画。
監督のスティーヴン・ザイリアンはこの映画の脚本も書いているが、むしろ脚本家といったほうがいい経歴の持ち主だ。

「レナードの朝」
「シンドラーのリスト」
「今そこにある危機」
「ハンニバル」
「ギャング・オブ・ニューヨーク」
「ザ・インタープリター」
「アメリカン・ギャングスター」
「ドラゴン・タトゥーの女」

そうそうたるリストがならぶ。
みんな私の好きな映画だ。
どうりで「ボビー・フィッシャーを探して」もよかったわけだ。

生まれもっての天才を扱ったストーリーというのは、どこかずるい感じがして私はあまり好きにはなれないのだが、この映画はよかった。
主人公の少年ジョシュは持って生まれたチェスの才能で注目を浴びるのだが、勝負の世界にどうしてもなじめない優しさが彼の本質でもある。

しかし、彼に期待する父親やコーチは、彼に厳しくあたり、勝つためには相手を憎めという。
負けると罰を与える。
そんな彼の唯一の理解者で見方となるのは、母親だ。
母親から離婚を告げられた父もやがて目がさめ、ジョシュを守るようになる。

チェスをしないこと、ときには負けること、公園のホームレスと野良チェスを楽しむこと、好きな野球をやること、そんなのびのびとした生活を取りもどしたとき、彼の本来の才能が輝きはじめる。
これは一種の教育映画なのだ。
教育とはなにか、子どもの本来の才能を伸ばすとはどういうことなのか。

そして子役がまたかわいいのだ!

有名な映画でありながら、なんとなく見過ごしていたが、気になっていた。
観てよかった。
未見の人がいたら、ぜひおすすめしたい。

2019年2月11日月曜日

ドイツ・フライブルクでピアノ演奏するどー

来月はドイツ行きだ。
3月11日の出発して23日に帰国する。
ほぼぶらぶら旅行なのだが、その間に決まっている予定がふたつだけある。

ひとつはフライブルク在住の音読トレーナーのなおみさんを訪ねること。
なおみさんはドイツ在住だが、5年前の一時帰国した際に、音読療法協会の音読トレーナー資格を取得して、ドイツの高齢者介護施設で時々音読ケアワークを実施しているのだ。
音読といってもドイツ語だ。
そのようすを見せてもらうことになっている。

もうひとつは、やはりなおみさんの紹介で、ジャパンフェアともいうべき「日本文化の日」というイベントに出させてもらうことになっている。
こちらで生け花のライブ映像を上映する時間があるのだが、そこで私が生即興で映像を見ながらピアノを弾くのだ。

どちらもとても楽しみだ。

名古屋天白のワークショップでびっくり

昨日2月10日は毎月恒例の(といっても年末年始はお休みしたけど)名古屋市天白区の水野生惠さんち〈アロマファン〉でのワークショップをおこなった。
初参加の方がおふたりいらしたのだが、そのひとりが私のYouTube番組「ピアノ七十二候」を聴いてくれているという。
しかも、そのこととは別に、今回のワークショップを見つけて参加しようとして、講師名を見て「この人、どこかで見たことある」と思いだしたのだそうだ。

名前がおなじだけど、ピアノ七十二候と現代朗読のワークショップとが結びつかずに、同一人物なのかどうか半信半疑のまま参加してくれたという。
別のルートからたまたま私に行きついたというのは、とてもおもしろく珍しいな偶然だと思った。

それはともかく、午前中は現代朗読のワークショップ、午後は非暴力コミュニケーションの勉強会。
いずれもテーマは身体性。

通しで初めて参加してくれた人が、午前中も午後も「初めて聴く話、初めて接する世界」と、なかば呆然としておられたのが印象的だった。
まあそうだよな。
自分自身のいまここを生きること、それを表現すること、非暴力の世界に生きること、それがあたりまえになっているが、そうではない時間のなかにいる人のほうがずっと多いのだろう。
あらためてこちら側にいられることをありがたく思う。

明日は実家音読カフェ。
明後日は福井県立病院でのピアノコンサート。
この無料のボランティアコンサートはかれこれ六年以上つづいているイベントだ。
ご都合つく方は会いに来てくださいね。
午後1時半開演です。

2019年2月10日日曜日

【新刊】雨降りだからピアノでも練習しよう

アマゾンKindleから水城ゆうの新刊書『雨降りだからピアノでも練習しよう』が配信スタートしました。

ブログ「水の反映」に「私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか」と題して35回にわたって連載したものを、加筆修正し、あらたに書きおろしたいくつかの短編作品も追加して『雨降りだからピアノでも練習しよう』と改題したものです。
内容も「音楽歴」や「即興ピアニストになったいきさつ」からだいぶ逸脱して広がっています。
ごく個人的な回想ではありますが、それぞれの時代や音楽シーン、音声コンテンツやライブ業界のある側面をリアルに描写している部分もあります。
お楽しみいただければ幸いです。

新刊『雨降りだからピアノでも練習しよう』はこちらから。

※追記
iOS端末などのKindleアプリでダウンロードできない、「互換性がありません」と表示される問題が報告されています。ちょっと調べてみたら、こんな記述がありました。

「iOS端末でなぜかダウンロードできない場合は、ちょっと待ってみましょう。明日になったらダウンロードできるようになっているはず!」

しばらく日時をおいて試してみてください。

2019年2月9日土曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(36/最終回)

現代朗読、そこから派生した音読療法、それらのベースになっているマインドフルネス、NVC、音楽瞑想。
そして6年前からはじめた中国伝統武術の流れをくむ韓氏意拳。
これらが有機的に相互に関わりあって、いまの私の健康生活と表現活動の全体性をうまく作ってくれている。

小説家・作家として書くこと。
それを朗読者に読んでもらうこと。
それを身体表現としてとらえ、演出すること。
ピアノやキーボードによる即興演奏で、そのライブ表現に関わること。
健康を心がけ、心身を整え、いきいきとした表現活動をおこなうための音読療法と武術。

武術は密度の濃いマインドフルネスの鍛錬の時間でもあるが、それはスポーツ医学でいうところのフローやゾーンの練習でもある。
それより密度は薄いが、日常的なマインドフルネスの練習の時間として、このところ編物にはまっている。
これは「いまこの瞬間の自分自身」につながりながら、同時にまわりにも気づきつづける練習になる。
またその自然な身体性は人の話を共感的に聴くことにも向いている。

日本みつばちの活動もある(羽根木みつばち部)。
みつばちという生き物を育てるという楽しみもあるが、そこから見えてくる自然の姿や人が関与している環境の問題がある。
みつばちと関わっていると、人による環境汚染は切実な問題として立ちはだかってくる。

日本みつばちを通して環境問題と、音読療法を通して社会問題や社会貢献活動を、執筆や演奏によって表現活動を。
いまの私はこのようなバランスの上に立っている。

人はだれしも、いつしか老い、その活動も終息していくものだが、いまはまだやれているし、かつてできなかったことがまだまだどんどんやれていっている、まだ成長の途中だという感覚がある。
身体的にも自分がどこまでやれて、なにができないのか、そしてそのできないことはどうすればどこまでできるようになるのか、可能性の明確さがわかるようになってきている。

即興演奏をするとき、いまこの瞬間の自分自身に好奇心を向けることが大切だが、それとまったくおなじことが生活そのものについてもいえる。
人生の目的を問われると、人はさまざまな答えを持っているだろうが、私のいまの答えはこうだ。

この瞬間を味わうこと、生きているプロセスそのものを楽しむこと、それが私の人生の目的です、と。
(おわり)

ピアノ七十二候:立春/黄鶯睍睆(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立春の次候(2候)「黄鶯睍睆(こうおうけんかんす)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年2月8日金曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(35)

NVCを私に紹介してくれたのはアレクサンダーテクニークの講師として朗読講座に来ていた安納献だった。
アレンサンダーテクニークの教師の資格を取ったばかりの彼は、勉強のためにしばしば渡米していた。
その折にNVCを知り、いたく感銘を受けたらしく、私にも紹介してくれたのだった。

アレクサンダーテクニークの講座が終わってから、現代朗読協会の関係者を相手に、内輪のシェア会を何度か開いてくれた。
私もNVCの考え方を知ってかなりびっくりした。
びっくりすると同時に、うれしくなった。
いまの社会にこれが広まれば、さまざまなトラブルがなくなるだけでなく、人本来の思いやりをもって接しあえる、共感的な世界が実現するかもしれない。
戦争や紛争や暴力のない世界だ。

NVCはアメリカのマーシャル・ローゼンバーグが提唱したコミニュケーションの考え方だ。
私がこれを知った2007年当時、マーシャルの本はまだ翻訳されておらず、英語の本を読むしかなかった。
のちにマーシャル本を監訳することになる安納献が、私にとって最初のNVC指南者になったというのは、ラッキーなことだった。

その後、やや距離を置いた時期もあったが、NVCは私の生活や表現活動にとって欠かせないものとなり、自分でも『共感的コミュニケーション』という本を書いたり、またいまも書きつづけたりしている。

表現活動に欠かせないものといえば、すでに書いたようにマインドフルネスがある。
そしてこれはNVCでも重要視されていることで、両者は切っても切れない関係にある。
このふたつは健康——とくにこころの健康にとって重要な役割を果たしている。
私が日々、いきいきと楽しく活動できているのは、これらのおかげといってもいい。

健康といえば、身体的健康に寄与している重要なものがある。
それは現代朗読の活動からスピンアウトした音読療法という方法だ。
これもまた、いま現在の私の活動の柱のひとつになっている大切なものだ。

2019年2月7日木曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(34)

即興ピアノを弾くようになったいきさつをちょっと説明するつもりが、思いがけず大長編になってしまったが、この話もようやく終わりに近づいた。

NPO法人現代朗読協会を立ち上げ、学校や介護施設などでも公演やワークショップを積極的に展開する一方で、自分の表現活動もコツコツと続けていた。

ネットでは音声コンテンツのダウンロード販売が普及すると同時に、電子出版も少しづつ環境が整っていった。
電子書籍を販売できるサービスがたくさんできたが、私にとってもっとも大きかったのはBCCSとKindleだった。
BCCSはブラウザベースで電子書籍の編集ができて、そのまま紙本の印刷注文もできるし、epub方式の電子書籍データを取得して他の電子書籍販売サイトに持っていくことができる。

最初はBCCKSでデータを作り、それをアマゾンその他の販売サイトに登録する手順でやっていたのだが、いまはKindle一本に販売サイトを絞りこんだため、書籍編集はアドビのInDesignに以降している。
InDesignで書籍を作り、epubデータをアマゾンKindleに持っていく。
また、おなじデータをPDFに出力し、製本直送というオンデマンドの紙本印刷で紙の書籍にする。

これらの作業が全部ひとりでできることが、私にとっては重要なことだった。
とくに近年は個人製作者が使える決済手段がいろいろと出てきている。
製作、配信、販売、決済、これらすべてを、大きな企業や出版社を通すことなく、つまり過大な手数料を取られることなく、個人的に利用できる。
個人製作者にとって、また表現作品をコンテンツとして発表したい者にとって、非常にありがたいことだ。

さらにここ数年はYouTubeという動画配信コンテンツを利用する者も増えてきている。
視聴者が十分に多ければ、YouTubeからのペイバックを受け取ることもできるし、実際に莫大な収益を稼ぎ出しているユーチューバーも数多く出てきている。
すべて個人事業者、個人表現者だ。

お笑いコンテンツばかりでなく、利用価値の高いハウツーや教育コンテンツ、ダンスや音楽などのアートコンテンツもたくさん出てきている。
作りこまれた作品もあるが、基本的に日常的に、即興的に生みだされていく、パーソナルな表現コンテンツが強いし、また視聴者の要求もそちら側になってきている。
すばらしく美しく作りこまれた完璧なコンテンツより、もっと個人的で表現者の息使いが感じられるライブに近いものが求められているのだ。
これは一種のコミュニケーションに近いのかもしれない。
そういう時代に来ていて、まだそこに自分が現役でいられるということに、おもしろさを感じている。

そういう世界で非常に強力なバックグラウンドとして私を支えてくれているのが、非暴力コミュニケーション(NVC)の考え方である。

2019年2月6日水曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(33)

朗読の活動をNPO法人にしようという話が持ち上がったのは、2005年のことだった。

NPO法人すなわち特定非営利活動法人にしようとしたのには理由がある。
ひとつには、スタート当初、参加者はほとんどがプロの声優、アナウンサー、ナレーター、またはそれを目指す人たちだったのが、独自の研究でノウハウを重ねていった結果、そういう人たちが徐々に減っていき、気がついたら表現に関心があるノンプロの人たちが増えてきた、というのがある。
つまり、職業的なスキルを獲得する場ではなく、表現者や、日常的に表現をしてみたい人たちがあれこれ試したり、自分の可能性をさぐる開かれた場となりつつあった。

もうひとつには、そういったノンプロの人たちの活動の場が、放送局やステージではなく、学校や図書館の読み聞かせの場だったり、介護施設だったり、ちいさなカフェやライブハウスだったりしたので、社会活動としての朗読に私自身可能性をさぐり、もっと広げてみたかったというのがある。

何人と協力して書類の準備をし、都に許認可申請をおこない、正式にNPO法人として許認可がおりたのが2006年3月だった。
こうして特定非営利活動法人・現代朗読協会が誕生した。

法人化して活動がしやすくなった面はたしかにある。
たとえば世田谷区の文化協議会のグループのひとつ、世田谷文学館と組めたのも、法人格を得ていたことが大きかったのではないかと思う。

世田谷文学館は世田谷区内の小中学校を順次巡回して、文学パネルの展示をおこなっていた。
たとえば、宮沢賢治の作品を紹介する展示パネルを各学校に設置する巡回企画をおこなっていた。
展示により関心を持ってもらうために、文学館の職員による朗読をふくむ文学トークも同時におこなっていた。
ただ、それだと職員の負担が大きいのと、朗読という表現のクオリティを確保したいというので、現代朗読協会に協力依頼を求めてきた。

よろこんで協力することになり、最初は宮沢賢治の作品をコラージュした独自の群読作品を作り、生徒たちの前で上演することになった。
「KENJJI」というシナリオを私が書き、現代朗読協会員に協力してもらって、いくつかの小中学校で公演をおこなった。
「KENJI」だけでなく「HOLMS」というコナン・ドイルの「赤毛同盟」をベースにした群読作品も作り、上演した。

「KENJI」はのちに、名古屋でもワークショップ形式で一般市民から群読参加者を募り、名古屋市芸術創造センターでの大きめの公演を実現することになる。
さらには「GINGA」という群読公演も、愛知県芸術文化センターでおこなうことに発展していった。
この課程、私自身は執筆、脚本、演出、そして音楽製作と演奏という一連のながれが、自分の表現スタイルとして確立していき、また演奏においては即興性とコミュニケーション性の重要性の確信をさらに深めることになった。

2019年2月5日火曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(32)

地下スタジオで毎月、定期的におこなっていたピアノ演奏のライブは「ディープ・リスニング」という名前だった。

マインドフルネスを知る直前に、音楽や朗読など音声表現活動の重要なヒントとして、ポーリン・オリヴェロスの『ソニック・メディテーション』やマリー・シェーファーの『サウンド・エデュケーション』を読みこみ、ワークショップでも実践していた。
その課程でディープ・リスニング(深く聴くこと)というキーワードを知り、自分のライブでもそれをキーワードにしてみようと思ったのだ。

何度かひとりでピアノ演奏のライブをおこなったあと、何回めかに、ふと、ゲストを呼ぶことを思いついた。
すこし前に知りあっていたウォルフィー佐野というサックス奏者にゲスト出演をお願いしたら、快く承諾してくれた。

ウォルフィーは全盲のミュージシャンで、ギターやヴォーカルもこなし、完全即興演奏も得意だった。

当日になり、会場と楽器のセッティングをしながら、なにげなく彼に尋ねた。
「照明はどうしよう?」
いつもかなり薄暗くして、オーディエンスにはなるべく音に集中してもらえるよう心がけていたのだ。
しかし、ウォルフィーの返事はそっけなかった。
「どうせおれ、見えないから、どっちでもいいよ」

いわれてみればそのとおりだった。
そこで私は、一曲だけ完全暗転のなかで演奏してみることを提案した。

地下スタジオだったので、明かり取りの窓を目張りしてしまえば、鼻をつままれてもわからないほどの完全な真っ暗闇にできた。
即興でのデュオ演奏だったが、たぶん10分くらいの完全暗転のなかでの演奏をおこなった。

「見えないのによくピアノが弾けますね」
といわれることがあるが、ピアノの鍵盤は幸い、規則的なならびになっている。
見えなくてもほぼ正確に弾けるのだ。

演奏が終わって照明をあげてみて、ちょっとびっくりした。
オーディエンスの何人かが涙を流し、ほかの何人かもすぐにことばを出せないほど感情を動かされていたのだ。
真っ暗闇のなかで音楽を聴くのは、ある人にとってはなにか強烈な影響を与える、ということが、そのときわかった。

ディープ・リスニング・ライブは、その後、「沈黙の朗読/音楽瞑想」としてこんにちにいたるまで10数年以上にわたって、私のライフワークのひとつとして継続しているイベントとなっている。

2019年2月4日月曜日

自撮りのコツ(武術、身体トレーニング、ダンス、音楽、なんでも)

どんな稽古でも、自分が教わったとおりきちんとできているかどうか、思いこみや変な癖がないかどうかをチェックするのに、最近はスマホなどを使って簡単に動画や静止画を撮れるようになった。

いつの時代にも、どんな場合にも、便利な機器を使うことに異をとなえる人がいるし、また実際に注意しなければならないことがあることもたしかだが、うまく使えば変な回り道をしなくてすむこともある。

ワープロだって、当初、
「やっぱり原稿は手書きでないと」
とか、
「キーボードで入力すると文体が変わる」
などといわれたのだ。
初期のころから使っていた私など、それでずいぶんいじめられたり、圧力をかけられたこともある。

武術の稽古で自撮り動画を使うことに難を示す先生もいれば、推奨する先生もいる。
私が取りくんでいる韓氏意拳という武術の駒井雅和教練は、「うまく使ってください」といってくれる派だ。
「こういう便利な機器がなかった時代の昔の達人も、あればきっと使っていたでしょうね」
たしかにそうだろうと思う。

スマホで自撮りしようとして、うまくいかないことがあったり、ちょっとしたコツがあったりするので、簡単に紹介したい。

まず、iPhoneなどスマホやタブレットを使う場合。
これはかなり画角が狭いので、狭い部屋だと全身を映すのが難しい。
縦位置に構えて映すのが前提だが、それでも3メートル以上は離したほうがいい。
それだけの距離を確保できない狭い部屋で撮る場合はどうしたらいいか。

ひとつには広角アダプタを使う方法。
クリップ式のものや、スマホケースに装着する方式のものなど、安価なものがたくさん出ているので、それを用いると、画角を広く撮れる。
ただし画質は若干劣化する。
まあ自分の稽古用に撮るだけだから、画質はそう気にすることはないだろう。

もうひとつは、広角が基本のアクションカメラを使う方法。
GoProなど、画質もいいし機能もたくさんあるものはやや高価だが、旅行や風景撮影などにも使えるので価値はある。

安価なアクションカメラでおすすめなのは、ZOOMというメーカーが出しているQ2nというカメラだ。
これは音質もよく、安いのに(2万円を切る値段)、画質はフルハイビジョンなのですばらしい。
最近これの4K画質も撮影できるものが出たようだ。
このカメラだと、床やテーブルの上にポンと置いて、すぐに撮影できる。
画質もいいし、なにより超広角なので、狭い部屋でも十分に全身撮影ができる。
おすすめだ。

駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級&養生功講習会を2月25日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(31)

私の表現と身体の研究はアレクサンダーテクニークからスタートしたといってもいいかもしれない。

アレクサンダーテクニークを知ったほぼ同時期に、マインドフルネスということばを知ることになった。
NHKラジオを聴いていて、偶然、ティク・ナット・ハンという人の著書を紹介していたのだ。
そのなかで、マインドフル、マインドフルネス、ということばが出てきた。
ティク・ナット・ハンという人がおこなってきた「行動する仏教」や、ベトナムの反戦運動にかかわり、現在はフランスでサンガを開いているという経歴も興味がわいた。

さっそくラジオで紹介されていた本を買って、読んでみた。
そこに書かれていたマインドフルネスの考え方は、朗読や音楽演奏を身体表現と結びつけて考え初めていた私にとてもしっくりきた。
いまこの瞬間を生きる、いまこの瞬間の自分自身とまわりのことに気づきつづけている状態、まさにそのようないきいきした状態で表現すること。
書かれているテキストの内容とらわれたり、だれかから教わったりルールを押しつけられて「こう読まなければならない」と思いこんでいたりすることから自由になり、マインドフルでのびのびとした自分の存在そのものを、瞬間瞬間表現していくこと。

アレクサンダーテクニークが教える身体の癖から自由になり、本来ののびやかさを取りもどすことと、マインドフルネスは、身体表現においてとても重要で必要なものだと直感的に思った。

朗読だけでなく、音楽演奏においても、私はマインドフルネスや身体の気づきを積極的に取りいれていった。

音楽演奏において重要な転機がおとずれたのは、まさにその直後のことだった。
2003年から4年にかけてのころだったと思う。
朗読表現の研究とは別に、自分自身の音楽活動として、地下スタジオで定期的にピアノ演奏のライブを毎月のようにおこなっていた。

ピアノ七十二候:立春/東風解凍(YouTube)

日本の二十四節気七十二候にちなんだピアノの即興演奏です。
立春の初候(1候)「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」をイメージして演奏しています。

映像はこちら

5日おきに新曲が配信されます。
よろしければチャンネル登録をお願いします。

2019年2月3日日曜日

映画:バード・ボックス

2018年公開のNETFLIXオリジナル映画。
監督はデンマーク出身の女性スサンネ・ビア。
主演はサンドラ・ブロック。

サンドラ・ブロックのいちばん新しいところでは、私は「ゼロ・グラビティ」が印象に残っているが、もっとも存在感を植えつけられたのは「スピード」だろうか。
あまり演技のうまい女優という印象はなかった。

「バード・ボックス」はのっけから非常に厳しい展開の映画で、万人におすすめできるものではない。
多くのサスペンスやホラーを観てきた私ですら、かなり厳しいと感じた。

とにかく人がどんどん死ぬ。
人が死んでいくなかで、主人公は生きのびるために必死になっている。
その必死さが切ない。
なぜなら、主人公は臨月の妊婦だからだ。

なぜ死ぬのか、なぜ眼をあけてはならないのか。
なにかを見てしまうと死ぬという設定であることがわかってくるが、その理由は最後まで明かされない。
人類が死滅するほどの危機におちいる、その原因が、宇宙人の侵略なのか、あるいは未知の病原体なのか、それとも別の理由なのか、明らかにはならない。

事件の発端の5年前と、その5年後の現在が、交互に語られる。
どちらも生きのびるために厳しい状況だ。
そんななか、主人公ともうひとりの女性がほぼ同時に出産する。
そして主人公はふたりの子どもを抱えて生きのびていかなければならなくなる。

主人公の生きる目的は、ただひとつ。
この子たちを生きのびさせること。
そのための手段は問わない。

絶望的な世界の状況のなか、最後はハッピーエンドといえなくはないが、まったくのすっきりした結末ではない。
世界は相変わらず絶望的なままだ。
しかし、エンディングには救いがある。

子役がすばらしい。
かわいい。
そして主人公が決死のなかようやくたどりつく状況は、予想しなかったものだし、メッセージ性も強い。
まあ、ラスト20分のために観る価値はある、かもしれない、といえる、かもしれない(もごもご)。

お誘いよっつ

今日は午後に映画「小名木川ものがたり」の国立春野亭上映会の打ち合わせ。
明日は銀座松屋まで近畿編針の「編み物でマインドフルネス」ショップを見に行こうかと思っている。

今夜の身体文章塾

明後日の森のBee's Cafe

今週末土曜日のボイスセラピー講座

日曜日の名古屋天白〈アロマファン〉朗読と共感のコラボワークショップ

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(30)

豪徳寺の地下スタジオではじめたことのいくつかが、現在でも私のなかで重要なポジションを占めている。
ひとつがまずは、表現における身体についてのさまざまなアプローチだ。

朗読研究会を進めていく上での最初の気づきとして、プロのナレーターやアナウンサー、声優たちの朗読が、きれいで正しくはあるけれどなぜこれほどまでにつまらないのだろう、ということがあったり
つまらないし、心が動かされない。
しかし、たまにやってくる、まったくのド素人の朗読が、下手だけれど妙に心を動かされることがあった。

なにが違うのだろう。
それをかんがえていると、声と身体という問題に行き着いた。
テクニックを駆使して読まれる朗読表現は、薄っぺらく躍動感がない。
上手だけど、命が感じられない。

下手だけど、懸命に全身で表現しようとしている人は、生命の多様性に満ちている。

結局、朗読というのはテキストを読みあげる行為ではあるが、同時に声と呼吸、さらには姿勢、全身を使っておこなう身体表現でもあるのだ。
身体が生きている人は声もいきいきしている。
身体が抜けている人は、テクニックでカバーしていてもそれは命の表現として形骸化されたものになっている。

それをいうなら、そもそもすべての表現は身体あってのものだ。
音楽もそうで、私もピアノを弾くとき、身体が生きているのと、手先だけでテクニックをろうして演奏するのとでは、まるでちがうものになる。
朗読もおなじことだ。

私は朗読講座に身体研究を持ちこむことにした。
外部から講師を呼ぶことも決めた。
それはアレクサンダーテクニークという身体ワークの専門家で、その教師になったばかりの若者を知り合いから紹介してもらった。
やってきたのは安納献という、まだ30に手が届いていない若い教師だった。

2019年2月2日土曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(29)

iTunes Music Store のオーディオブックコンテンツは、当時、オーディブルインクの日本支部が管理していた。
この部署ははっきりいって、非常に連絡がつきにくく、動きのにぶい部門だった(当時の私の印象)。

こちらにコネクションを持っている会社があって、その会社とはiTunesがやってくる前から取引があった。
ある電子機器メーカーで、独自にオーディオブックの展開をしていたのだ。
そこがアイ文庫コンテンツを買ってくれていた。

そのメーカーから独立した人がオーディオブック専門の会社を立ちあげ、オーディブルインクとの橋渡し役を引きうけてくれた。
ことのは出版という会社で、いまもがんばっている。
オーディブルインクはその後、アマゾンに吸収され、現在はアマゾンのオーディオブック部門となって、多くのコンテンツを配信している。

ことのは出版はアイ文庫のコンテンツをiTunesに渡してくれたり、共同製作として資金を提供してくれた。

コンテンツの収録・製作は、前に書いたように、豪徳寺のワンルームマンションでちまちまとスタートしたのだが、その後梅丘の一軒家を借り、さらに豪徳寺の酒屋の地下室を借りてスタジオとした。

地下室は収録には最高の環境で、とにかく静かだった。
ただ湿気がひどく、常時除湿機をフル稼働させておく必要があった。
完全暗転にもできる環境で、かなりの広さもあったので、ライブ会場にもできた。

スタートしていた朗読研究会が朗読講座、朗読ワークショップと発展し、そこでつちかわれた表現を発表するためのライブもおこなうようになった。
私がシナリオを書き、群読パフォーマンスを作りあげた。
私もピアノやシンセサイザーなど、音楽演奏で参加して、ライブパフォーマンスを作った。

朗読公演としてはなかなか斬新な内容で、いつしか「コンテンポラリー朗読」あるいは「現代朗読」という名称が生まれた。
なんとなくドイツのコンテンポラリーダンスの舞踊団であるピナ・バウシュの「タンツ・テアター」を連想していた。
ダンスでピナがおこなっているようなことを、朗読でやっているような気がしていた。

この地下スタジオからは、コンテンツもライブパフォーマンスもたくさんの作品が生まれた。
音楽や小説の仕事も、この地下スタジオの時期は私にとって重要な時間でもあった。
年齢的には40代後半から50にさしかかろうというときだった。

映画:ユピテルとイオ 地球上最後の少女

今年・2019年の1月にNETFLIXで配信されたばかりの映画。
監督はジョナサン・ヘルバートという人だが、私は聞いたことなかった。
主演はマーガレット・クアリーという若手女優で、助演がアンソニー・マッキーというまあベテランといってもいい俳優だろう。

じつはこの映画、ほとんどこのふたりしか出てこない。
主人公サムの父親のダニー・ヒューストンがちょっとだけ出てくるが。

設定は最近よくある、そしてちょっと食傷気味の感がある、汚染されて人類が住めなくなった地球。
人類は新天地を求めて宇宙空間に旅立っており、わずかに残された人々も大気汚染などで生物が死に絶えた地球で死に瀕している。

主人公サムはそんな地球に残った少女で、それが邦題になっている。

映画はだれもいない街で、酸素マスクを装着した彼女が食料などを調達している場面からはじまる。
彼女の独白がつづく。
残っている理由や、すでに宇宙空間に旅立った恋人とのメールのやりとりなどが描写されるが、どこか裏がありそうな気配がただよう。

ほかにはだれも残っていないはずなのに、父親の講義録音テープを無線電波で毎日流しつづけている。

みつばちが出てくる。
汚染された環境に適応しつつあるのではないかというわずかな希望がある。
ほかにも豚の実験も出てくる。
しかし、希望はなさそうだ。

最後の宇宙へのシャトルが発射される時間が迫っているなか、突然、気球に乗った男がたどりつく。
彼はサムの父の博士をたずねてきたのだ。
そこから話は大きく展開していく……のだが、基本的に静かな映画だ。

たんたんとした描写がつづく。
荒涼とした風景と、CGで作りこまれた廃墟。
この静かさは、どこか「インターステラー」や「メッセージ」と通じるものがある。
悪くない。
私はきらいではない。
あまり救いのない映画ではあるが。

2019年2月1日金曜日

YouTube:野々宮卯妙朗読パフォーマンス「夢十夜 第十夜」@キノ・キュッヘ

2019年1月31日。
国立〈キノ・キュッヘ〉にて開催されたオープンマイクに、野々宮卯妙が朗読パフォーマンスで参加しました。

作品は夏目漱石「夢十夜」から「第十夜」。
水城ゆうがミニショルダーキーボードの即興演奏で参加しています。

映像はこちら

YouTube:勝木雪子朗読パフォーマンス「ニジェール物語」@キノ・キュッヘ

2019年1月31日。
国立〈キノ・キュッヘ〉にて開催されたオープンマイクに、勝木雪子が朗読パフォーマンスで参加しました。

作品はフクダヒデコ「ニジェール物語」からの抜粋。
水城ゆうがミニショルダーキーボードの即興演奏で参加しています。

映像はこちら

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(28)

朗読コンテンツはオーディオブックという名称としていまは知られている。
Apple社製のiPodという音楽プレーヤーが日本にはいってきたとき、もたらされたのは機器だけではなく、その仕組みだった。

それまでCDを買ってプレーヤーで聴いたり、ちょっと進んだ人だとパソコンでCDをリッピングしてデジタルデータとして携帯電話や携帯プレーヤーに転送して聴く、という方式だった。
しかし、iPodを買うと、パソコンとつないで iTunes music というアプリで手持ちの楽曲を管理したり、転送する方式になっていた。
そしてそのアプリはネットにつながっていて、そっくりそのまま Music Store になっているのだ。

音楽はCDを買う時代から、ネットから一曲ずつダウンロードする時代になった。

Music Store は楽曲だけでなく、オーディオブックとPodcastというコーナーもあった。
(いまはそれに加えてゲームや映画、ブックなどもある)

海外では識字率の低さや長距離ドライブの機会が多いこともあって、オーディオブックはかなり普及していた。
メジャーな作家の本は、新刊書と同時にオーディオブックも作られる。
そんなわけで、インターネットが普及したとき、ダウンロードコンテンツとしてのオーディオブックもかなり充実していて、Appleの Music Store にも相当数のコンテンツが並ぶんでいた。

ところが日本の事情はまったく異なっていた。
iPodを買ってiTunesを開いた人も、「オーディオブック? なにこれ?」という感じだったのではないか。
私もそうだった。
なにしろほとんどコンテンツがなかったのだから。