私の家にピアノがやってきたのは、私が小学2年のときだった。
習いはじめたのは4つ年下の妹が先だった。
彼女はまず、当時全国に爆発的に広まっていって田舎町にも出現した音楽教室に通いはじめた。
ヤマハ系列とカワイ系列が二大教室で、どの町にもあった楽器店が系列の音楽教室を運営していた。
教室の収益自体はそれほどでもなかったと思うのだが、楽器が売ったマージンが大きな収入になったのだと思う。
とくにピアノは大きな売り上げで、世界中を見回してもこれほどどの家庭にもピアノがある国はめずらしい。
ヤマハとカワイが競い合って、まれに見る販売戦略を成功させたのだ。
うちに来たのはKAWAIのアップライトピアノだ。
妹はまず音楽教室に通って、歌だのお遊戯だのオルガンだのタンバリンだの、グループレッスンでしばらく習ったあと、教師のすすめで個人レッスンにスイッチすることになった。
そのためにピアノを買ったのだ。
その際に、両親は私にも、ピアノを習ってみたいか、と訊いた。
どでかいピアノは音の出るおもしろいおもちゃで、もちろん私は習ってみたいと答えた。
家にピアノがあって、親からレッスンをすすめられて断る子どもがいるだろうか。
ピアノがなくても、ピアノやバイオリンを習うことに興味を持てない子どもは少なくないと思う。
その証拠に、私の年代でも多くの人が子どものころにピアノを習った経験がある(そしていつしかやめてしまった)。
妹と私が個人レッスンに通ったのは、音大を出たばかりの、未婚の若い女性教師で、厳しいところもあったけれど、基本的に優しく、きちんと教えてくれる人だった。
私は小学3年生になったばかりで、当時のセオリーどおり、譜読みをおぼえながらバイエルとハノンの練習からスタートした。
いまから思えば、あれほどつまらない練習法はないと思うけれど、しかしあのつらない練習を乗りこえて興味を持続できることが、楽器習得の最初のハードルなのかもしれない。
すべての人が音楽を楽しめるようになるといいなとは思うけれど、すべての人が楽器を弾けるようになる必要はない。
楽器が弾けなくても、声や身体というすばらしい楽器を、人は持って生まれてくるからだ。
◆ピアノ七十二候
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